I can't see anything but you. 1


 面接日の夜。


 今日はちょっとだけ奮発してそこそこ値の張るイタリアンを食した。

 とは言ってもフルコースではないし、お酒だって飲んでない。



 今日は大事な報告会があるからだ。



 予定の時間は20時半。

 いつもの如くPCの前で行儀よくスタンバイ。


 酒を飲みたい気分なのはやまやまだが、それをしてしまったらただでさえ浮かれた気持ちが際限なく舞い上がってしまう。

 そんな姿はとてもじゃないが春美さんには見せられない。


 俺は春美さんにとってはあくまで“紳士的で余裕ある大人の男性”なのだ。



「やあ、ファシリ」


「お帰りなさいませ、勉さん。あ、その様子ですと今日は言い報告が聞けそうですね♪」


 隠していたつもりなのにファシリにはすっかり見透かされている。


 自分では割とポーカーフェイス……というよりもただの仏頂面した無表情のつもりなのだが。まあ、それはいいとして。


「それで春美さんは?」


「なんと30分前から誰ともお話せずにずっと待機されてましたよ。余程勉さんの事を心配されているようで。おかげで私はいろいろとお話が出来ましたが」


「へえ、どんな話をしてたんだ?」


「勉さ~ん。それを聞くのは野暮ってものですよ?」


「そんなもんか?」


 ……あ、さてはガールズトーク的なノリなのか。


「それに、これ以上春美さんを待たせるのはおかわいそうですし……」


「そうだな、じゃあ早速繋げてくれ」


「了解しました! それではごゆっくりとお楽しみください」





「こんばんわ、春美さん」


「こんばんわ、勉さん」


「いつも時間通りに来てもらってありがとうございます」


「そんな、そんな。何と言っても今日は大切な日ですから」 


 春美さんのこういった言葉がいちいち俺のテンションを跳ね上げる。

 しかも首を少し傾けてお淑やかに笑う姿なんてつけられたら、もうたまらなく癒される。



 って、あんまりもったいぶったら心配させるかもしれない。だからまずは報告だ。


 前の反省も生かして今日はずっとこの時の言葉を考えておいた。



「それで結果発表はまだ一か月後なのですが、自分として全力を出してとことんやりきれたと思います!」


「やっぱりそうだったんですね! 今日初めて勉さんの顔を見た時、そうなんじゃないかって思ってたんです!」



 優、ファシリだけではなく春美さんにも心を見透かされてしまうとは。


「ははは……俺ってそんなにわかりやすいですか? 友人や上司、ファシリにもすぐ見抜かれてしまうんですが……」


 俺が落ち込んで見えたのか(まあ、実際に落ち込んだが)、春美さんは急にアタフタしだして、


「いや……その、私の場合は前より勉さんの顔をまっすぐに見つめられるようになったからと言いますか……」


「え? 俺の顔? ……ああ、男性恐怖症が治って来てるという事ですね! それは朗報です」


「ひやっ……その……えと、そう……です」


 別にそんなに恥ずかしがることは無いのに。


 っとそうだ、このタイミングであの事を聞いてみるか。


「まだ結果は一週間後なんですが、実質俺はもうできる事がなくなってしまったので春美さんの事を聞かせてもらえませんか?」


「え? 私の事ですか?」


「はい。ずっと俺の話ばっかり聞いてもらったり、心配かけてばっかりでしたが今度は俺が全力で春美さんの力になりますから!」


「でも……私の事なんか……」


 本当は男性恐怖症を克服するためにその原因とか聞いてみたいが、まあ言いにくいだろうし無理に聞き出さなくても要は症状が治まってしまえばいいわけだから、そうだな……


「何でもいいんです。男性恐怖症の事じゃなくても絵の事とか、あるいはもっと小さな悩みでも……とにかく何でも……」



「本当に何でもいいんですか⁉」


 画面におでこをぶつけそうな程に顔を寄せて、予想以上の喰いつき。


「はい」



「私、勉さんにぜひ聞いておきたいことがあったんです」


 ……え、結局俺の事? まあ、いいか。



「何ですか?」



「勉さんて……あの……えと……そう、一人暮らし……ですか?」


「はい。一人暮らしですけど」


 なぜか嬉しそうな春美さん。


「あとそれと……もう一つ……」


「バレンタインにチョコをくれそうな人はいますか?」


 ……これってまさか――





 ――優しさ?



 ……モテない一人暮らしの30歳会社員にチョコを恵んでくれるという伏線なのか⁉




 まあ実際、貰えるかどうかで言うと貰えてしまう。




 同僚の女子社員に。




 ただ、それはあくまで義理も義理。いや義理チョコとも言えないようなもの。



 そう、例えるなら設置型の無差別大量殺傷兵器。



 籠にプチサイズのチョコを一杯に敷き詰めて、休憩室に放置してあるだけの愛どころか労いさえ感じられない強制発動イベントだ。

 お返しには女子社員一人一人にそれなりの値段のものを貢がなくてはいけないのが暗黙の了解。悪しきしきたり。



 だから、この質問の答えは決まりきっている。



 ……チョコをくれそうな人? そんなの――



「いません!」



 ……やば、つい声に力が入ってしまった。


 しかし、春美さんはそんな事全く気にするそぶりもなく今度は何やら考え込んでおられるようで。



「あの、春美さん? それでこの質問の意味は……」


「え⁉ い、意味ですか⁉ た、大した意味なんてないですよ⁉」


 ……この慌てようはチョコを準備してくれるということなのか⁉ 期待してもいいやつなのか⁉


 つい春美さんの心の内を探ろうと見つめてすぎてしまったせいか、春美さんは俯いてしまって。


「あの、春美さん? その……」


「か……勘違いしないでくださいね。別に勉さんにチョコをあげようなんて考えてませんから……」 



 ……ああ、やっちまった。


 いや、もともとフラグ何て立って無かったのかもしれないが、僅かな可能性を自分自身で潰してしまった気がする。


 こういう駆け引きも学生時代からずっと苦手だったな。


 優のせいにしてたけど……やっぱり俺自身に問題が――



 ――いや、それはないな。



 思い出すだけでも腹立たしいあの戦慄のバレンタイン事変。


 俺が気になっていた女子から本命チョコを受け取った優が、宛名を修正ペンで俺の名前に書き換えて渡してきて、舞い上がった俺はホワイトデーに……。


 あれは、ホントに思い出しただけで萎える。



 この最悪の記憶を幸せな記憶で書き換えるチャンスを俺は……。




「あの、勉さん……、今のはその……ファシリさんに勧められたセリフを読んだだけで……その、そんなに落ち込まれるとは思わなくて……えーと……お詫びにチョコ作りますから」



 なんか結局チョコもらえる事になったけど、これってどうなんだ……。

 完全にお恵みチョコだ。

 いや、最初からお恵みチョコは確定なのだから実質何も変わってないんだが。

 でも、なんだかなぁ……。


「ははは……ありがとうございます」


 2月14日が楽しみなようなそうでないような。


 まあ、この話はこれぐらいにして。


「春美さん。以前、立体構築絵画で悩んでると言ってましたよね?」


 そう、文字チャットの時は結局有耶無耶になってしまったが、あれから作業の進捗状況を全く報告してくれないあたり、芳しくないと思えるのだ。


「俺は今自分の事が片付いて余裕があります。春美さん井お世話になった分、今度は俺が春美さんを支えたいんです。もし悩みが無いのであれば、上手くいってることでもいい。とにかく俺は春美さんと共感したいんです」


 思い返せば春美さんに聞いてもらったのは悩みや辛い事だけじゃない。


 例えば今日の報告のように、上手く言った事を共有して、本来の何倍もの喜びを分かち合う事ができた。


 いや、それどころか春美さんに出会うまで、俺はネガティブ思考から抜け出せなくて喜びという感情さえ忘れていたように思える。


 俺に春美さんと同じことができるのかはわからないが、それでも何かをしてあげたい。


 そんな思いを込めて春美さんに伝えた。



 だけど、春美さんは目を逸らして下唇を噛みしめるような仕草を見せている。



 ……だめか。


 確かに人にはどうしても言いたく無い事もある。

 男性恐怖症があるなら猶更。


 きっと春美さんの悩みはトラウマと呼べるほどのショッキングなものなのだろう。



 それでもせめて喜びくらいは分かち合いたかった……。



「……春美さん、すみません。勝手なことばかり言ってしまって」


 

 少なくとも今はまだ早かったという事。

 また時間を置いて仲良くなってから……



「……悩み……」


「え?」


「悩みを聞いていただいても良いですか?」


 覚悟が決まったのだろう。

 春美さんは眉根を持ち上げて縋るような視線でのぞきこんでくる。


 断る理由など微塵もなくて、



「はい、もちろんです」


 

 と両手でしっかりと受け止めるように答えた。




「実は立体構築絵画の作品作りが上手くいってないんです。以前、勉さんに聞かれた時につい強がってしまって……」


 春美さんの事だ。自分の事でいっぱいいっぱいだった俺に、余計な心配をかけたくなくて敢えて悩んでないふりをしたという事も十分考えられる。


 ……でも今の俺なら――



「悩みを打ち明けてくれてありがとうございます。時間は気にせずに春美さんのペースで話してください」



 それから春美さんは強張っていた肩の力を抜き深呼吸。


 ふっと静かに笑いかけてから、思いの内を語り始めた。

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