A & Q.


 1月22日、面接の日。


 通常勤務を終えてから17時30分に開発部AIコミュニケーション部門の会議室を訪れる。



 広報部の休憩室のように簡素な扉のはずなのに、心なしか重たそうに感じてしまい一旦目を閉じて逸る気持ちを落ち着かせる。



 アピールタイム20分、質疑応答10分のたった30分間に俺の命運がかかっている。


 俺はこれまでチャンスを逃し続け、上手くいった試しなど一度もない挫折ばかりの人生を歩いてきた。



 それを思うと黒い感情が心の隅でくすぶり始める。


 だが、そういったネガティブな感情はすぐさま踏みつぶされ塵になって消え失せる。



 ――負の連鎖を断ち切る準備と覚悟はできている。



 緊張感と重圧に耐えかねてキリキリと軋みをあげる胃袋。


 しかし、覚悟さえ決めていれば吐き気を催しそうなこの状況でさえ、超えるべきただの踏み台だと認識してしまえる。


 根拠のない自信だってなんだっていい。


 この日のために積み上げてきたことを思いっきりぶつけてやるだけだ。



 深呼吸して、目を開ける。

 


 会議室のドアを開くとそこにいたのは石破チーフ――


 オールバックの黒髪をきっちりとワックスで固め、切り立った眉の下には鋭い眼光が走る。

 顔つきは少し筋肉質で引き締まっていてそれが余計に頑強さを引き立てている。


「お時間をとっていただきありがとうございます。どうかよろしくお願いします」


「ああ、君のプレゼンを楽しみにしているよ」


 声まで低く厳格な感じで、服部部長に言われたらほっこりしそうなセリフまでプレッシャーに感じてしまう。


「そうだ、プレゼンを始める前に一つ伝えておかなければならないのだが、副チーフの足立君も面接の場に立ち会わせてもらう事になった」


 ……そう。会議室に入った時からずっと気になっていた。


 “なんでお前がいるんだよ!”


 の言葉を目線だけでやつに伝える。


 ライバルには手の内を見せるなとか言ってたくせに、ホントに調子のいいやつだ。


 固い表情を崩さず一言も発しない優。

 だが、俺としてはこいつがいてくれているだけで少しだけ安心できる。



「これは彼の強い希望でね。それとこれは念のために言っておく。彼と君が旧友であることも知っているが、それが面接の結果を左右する事は無いので変な期待はしないように」


「……はい。承知しています」


 今俺がいる会議室は開発部の中でも最も小さく、中央に折り畳み式の長机とパイプ椅子。せいぜい十人くらいが参加できる程度のスペースしかない。


 狭く距離が近いためか、空気がやけに重く感じる。 


 時計を気にする石破チーフの仕草に気づき、無言で準備に取り掛かる。


 机上に用意されたノートPCにUSBを差し込みパワーポイントを起動。


 プロジェクターで投影されたスライド。

 無線コントローラー兼ポインターを右手に握りしめて準備完了。



 石破チーフと優が席につくまでモニターの脇で待機。



 チーフは机にスマートフォンを置くと、ストップウォッチのアプリを起動し、トンっと叩くと、



「始めてくれ」



 開始の合図は重々しく、冷淡に放たれた。

 静かに時を刻むカウントダウン。



 ……よし、行くぞ。








 20分後――


 セットされたアラームが鳴り響く。




 緊張はしたが、プレゼンはリハーサル通りつつがなく終わった。

 


 プレゼンタイム中のチーフの反応は上々だった。

 さすが厳格なだけあってほとんど感情は読み取れなかったが、量子コンピューターを持ち出した時、一瞬だけ、僅かだけだが目が見開かれた。


 そして明らかな落胆や失望と言ったサインは見られなかったように思う。


 つまり、餌としては成功したはず。



 問題はここから。質疑応答。



 あらかじめ準備しておいた模範解答に加え、アドリブ力と決断力が試される。

 

 プレゼンテーターとしての実力が最も試される部分だ。



「プレゼン内容は以上です。ご質問をお願いします」



 ……さあ、どんな質問をぶつけてくる?


 無言の時間が5秒経過。


 たった5秒のこの短い時間が神経を張り巡らせたこの瞬間はやけに長く感じる。



 プレゼンテーターにとって“無言”というのはある意味、“高度な質問”、“重箱の隅をつつく意地悪な質問”よりも恐ろしい。


 なぜなら“質問が無い=興味が無い”を意味するからだ。


 完璧すぎて質問が無いという場合も可能性としては考えられるが、相手は素人ではなく間違いなく俺よりも格上。だからそれはあり得ない。


 ……来い!


 ……来い!


 ……頼む! 質問を――



 しかし、返ってきたのは俺が思っても無かった反応だった。



 狭い会議室にゆっくりと響く重たい拍手。



「いや、実に素晴らしい。良く練られた完璧な理論。正直言って私の予想以上だったよ」


「え……」


 石破チーフの表情は硬く声のトーンも低いまま。

 しかし、明らかに称賛されている事実を前に俺は思考が停止しそうなほどの衝撃を受ける。


「あの……ご質問は……」


「質問か……そうだな、ならば一つだけ。君が主張する量子コンピューターを利用した二律背反ジレンマアルゴリズム……その応用性・将来性に関して君はどう思う?」


 ……応用性。つまり予想されうる今後の展開。


 この系統の質問はプレゼンではかなりオーソドックスな質問で、自由度が高く発表者も比較的答えやすい。

 したがって当然、模範解答は準備できている。


 用意した回答がまるで滑るように喉を出て、



「二律背反アルゴリズムは量子コンピューターを使用していることから計算速度の改善と演算の複雑性の回避からサーバーへの負担を大幅に軽減し、例えばFaciliにこれを用いれば携帯端末への移行や――」


 ほとんど無意識と言っていいほどに滑らかに動いていた舌が一瞬止まる。



 ……待てよ、このアルゴリズムの可能性はそれだけじゃないんじゃないか⁉ そう! もっと大きくて革命的な――



 それは紛れもなく閃きだった。



 あり得ない程の緊張感が普段では決して到達する事のないパフォーマンスを俺に与えてくれたのかもしれない。



 天啓てんけいにも等しいと思った。


 

 だから俺は本能の命じるままに口を開いた。




「――いえ、それだけではありません。応用すれば人間でいう“直観”や“気まぐれ”の再現も可能で、さらにこれらを応用すれば同じビックデータから全く違った判断基準のAIを生み出すことができます。つまり個性が爆発的に増えるのです。そしてこれは何もコミュニケーションAIの分野に限った話ではありません。なぜなら、直観的に正解を導き出し後から整合性を確かめるといったプロセスは人間で言うところの“閃き”。つまり、アインシュタインやニコラ・テスラのような天才的発明がAIに可能となる。そう……これは言うなれば――AIエーアイ Quantizationクオンティゼイション(AIの量子化)! ゆくゆくはIT業界に革新的潮流を巻き起こしうる理論です!」



 シンと静まり返る会議室。


 俺は乱れた呼吸を整える。

 


 つい無我夢中で熱弁してしまった。



 思いつくままに理想を語ってしまった。



 だが、少し冷静になって考えてみても決して不可能な話ではない。


 あのポーカーフェイスの石破チーフでさえ隠し切れない驚愕が彼の口をこじ開け、刮目させていた。



「……なんて事だ。確かにそれは……シンギュラリティさえも軽く……ふむ……」


 俺に、と言うよりはぶつぶつと独り言を呟くチーフを俺はただ見つめていた。


 

 ここで質疑応答の終了を告げるアラームが鳴り響いてチーフは我に返ったようにハッと顔をあげた。


「……おっと考え事をしていて悪かったな。確かに君の理論は魅力的だ。だが、問題はコストなども踏まえた実現可能性だ。いかに素晴らしい理論でも実現できなければ所詮机上の空論、SFに過ぎない」


「……はい。確かにそれはその通りだと思います。ですが――」


「大丈夫。わかっている。今回の面接はあくまで君が開発部のメンバーにふさわしいかどうかのテストだ。そうだな……総評すれば、熱くなると冷静さを失う部分は欠点と言わざるを得ない」


「……」


「だが、それを差し引いて余りあるほどの熱意と発想力は実に素晴らしい。ぜひ前向きに検討させてもらうよ」


 チーフの初めて見せる笑顔。そして差し出された右手を俺は思わず両手でつかんで頭を下げた。


「よろしくお願いします!」


「はは、まだあくまで検討段階だ。上に掛け合ってみて一か月後には暫定的な結果を報告すると約束しよう。あと今日話したことはくれぐれも他言無用で頼むよ。では私はこれから会議があるので失礼する」


 悠然と去っていくチーフの背中に俺はもう一度頭を下げた。



 手応えとしてはこれ以上無いほど。



 ……そうだ、優にも改めてお礼を。



「なあ、ゆ――」



 俺は呼び掛けて固まった。


 なぜなら優が俺の予想とは正反対の表情を浮かべていたからだ。



 少し垂れ目のにやつきフェイスが見る影もなく険しく、思いつめたような表情で。



「おい、優。いったいどうしたんだ?」


 その声掛けで優は我を取り戻したようにいつものストレスとは無縁そうなひょうひょうとした調子に戻る。


「ん? 何がだ?」


「いや、今思いつめたような顔してたぞ」


「あー、そう。そうだな……勉の有り余る才能にちょっと嫉妬しちまってな」


「何かお前が言うと皮肉にしか聞こえないんだが……」


「いやいや、マジだって」


「どうだか」


「まあまあ、とにかくお疲れさん。勉はホント良くやったと思う。つーか最後の回答、絶対その場の思い付きで言っただろ」


 ……やっぱり優にはバレてたか。でも、


「いやいや、予定通りだから」


 なんて胸を張って強がってみたりする。


「まったく、お前はそういうon/offオン・オフ激しいところがホント危なっかしいんだよ」


 まあ、こうやってすぐバレてしまうだろうなとは思ったけど。


 この感じがとても懐かしく思える。



「ほら、これ忘れずに。そして絶対他人に知られないようにしろよ」


 そう言って、優はPCに刺さったままだったUSBメモリを俺に手渡した。


「……あぶね。忘れるところだった。ありがとな優」


「は~、この危機管理意識のなさ。まったく先が思いやられるよ。まあ、とにかく今日は例の彼女に言い報告ができるんじゃないか? でもまあ結果が出るまではあんまり浮かれるなよ」


「わかってる。痛い思いは大学時代にさんざん味わわされてこりごりだからな。ホントどっかの誰かさんのせいでな」


「は……はは……は……」


 俺はそんな捨て台詞を最後に苦笑いする優と分けれ部屋を出た。



 憑き物が取れたように体が軽い。


 浮かれるなとさっき優に言われたばかりなのに、“よっしゃあ!”と叫びたくなってしまう。

 代わりに拳を握って小さくガッツポーズ。


 

 この調子で春美さんとチャットしたら後々悲惨な事になりかねない。


 だから、絶対に抑えて抑えて。



 ただ、一人でならいくら騒いでも恥をかく心配はない。



 ……ふふ、今日はうまい酒が飲めそうだ。

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