One-sided begining. 2


 外宮の参拝が終わって内宮へと移動。


 二か所を結ぶバスも運行されているのだが、春美さんの“バスや電車が苦手”という言葉を思い出して徒歩で移動。


 外宮参りをしていた時の距離感は嘘のように、春美さんは肩と肩が触れ合うほど近く、俺の袖を摘まんでいる。


 明らかに周囲を警戒していて、対面から歩いてくる人をちらちら見てはすれ違うたびに俺の方にぎゅっと寄ってくる。



 ……もしかして春美さんは人間恐怖症なのだろうか。



 それにしても仕草がいちいちかわいらしくて胸をえぐる。


 自分の息が荒くなってないか心配で、精神的にあまり余裕がない。



「あの、勉さん。私こんなに広い神社を参拝したのは生まれて初めてです」


「伊勢神宮は全国で一番広い神社ですからね」


「そうなんですか⁉ 勉さんは本当に神社にお詳しいんですね!」


「いえ、それほどでも」


 ……なんたって昨日詰め込んだばかりのほやほやの知識だからなぁ。


「あと、神社って一か所でお参りしたらいいものだと思っていたので、こうやって複数個所回る場所があるのは不思議な感じがします」


「伊勢神宮はメインの神様が二柱いるので外宮と内宮で分かれているんです」


 

「へえー、そうなんですね」


 厳密に言うと違うが、混乱させるかもしれないのでざっくりと。


「あ、それともう一つ注意することがありまして。こんな言い方したら神様に失礼かもしれませんが、内宮と外宮は二つでワンセットなので両方回らないと効果半減どころか、片回りと言って縁起が悪いと言われているんです」


「私一人で来てたら片方しか回ってなかったかもしれません。勉さんと一緒に来て本当に良かったです」


 袖をつかむ手にぎゅっと力が入る。


 そこからまるで見えない導線を伝うように何かが走って俺の心臓をドキンと跳ね上げる。



 一つ一つの仕草が殺〇的に可愛い。

 俺が大学生だったら、既に余裕でノックアウトされている事だろう。


 体温もグングン上昇している気が……。



「汗がすごいですけど大丈夫ですか?」



 ……うっ。



「だ……大丈夫ですよ。実はこの下に結構厚着してるので思いの他暑くて。ははは……」


 ……カイロこんなに貼ってくるんじゃなかった。メチャクチャ熱い。



 時折歩道を吹き抜ける冷たい風が本当にありがたい。



 っとふと気づいて、



「春美さんは寒くないですか?」


「はい。勉さんのコートのおかげです。本当にありがとうございます」



 ……それならよかった。




 そうこうしている間に内宮の入り口に到着。


 お辞儀を忘れず鳥居をくぐって五十鈴川に架かる宇治橋を渡る。



 内宮は最高神の天照大御神が祭られていることもあり、外宮よりもさらに厳かな感じで私語は最小限にして雰囲気を楽しむ。



「少し歩き疲れたのでそこの河原で休みませんか?」


 俺の提案に春美さんは小さく頷いた。



 この河原は五十鈴川御手洗と言って、さりげなく俺が気になっていたスポット。


 水深はかなり浅く川幅も狭いので向こう岸まで歩いて渡れそうなほどの小さな川。

 水流もそんなに早くなく、猛々しさとは無縁の、見ているだけで心休まる穏やかな川。。


 ほとりの石畳に腰かけて、滾々こんこんと流れる水の音や辺りを包む爽やかな空気を全身で楽しむ。



 ……はあ、いい。これは思ってた以上に癒される。



 そんなリラックスモード全開の俺とは対照的に、


「勉さん! ここすっごくいいです! ウルトラマリン色のキラキラの水面と鶯色を中心とした緑のグラデーションがコントラストになってて、創作意欲が掻き立てられます!」



 確かに今日は快晴で、空の色を映して水面は青々と、光の加減でそれがさらに煌めいて映っているようだ。


 だが、そんな絶景よりも――。


 これまで見せた事のない、無邪気な子供のようにはしゃぐ春美さんに、俺は釘付けになってしまった。



 ウルトラマリンを映して輝く彼女の瞳にはきっとこの世界は違って見えているのだろう。


 何もかもが煌めいていて、優しくて――。



 叶う事なら、彼女が覗く世界を俺も一緒に見てみたいと思った。





 


 身も心も十分に癒されたところで正宮まで歩いて外宮でしたように祈りを捧げる。



 目を閉じて、ただ日々に感謝する――なんて、きっと以前の自分では素直な気持ちで祈れなかったかもしれない。


 だが、今は余裕でできる。


 なぜなら、それはきっと――いや、紛れもなく春美さんのおかげだ。



 春美さんのために祈りたい気持ちを抑えて目を開ける。



 晴れ晴れした気持ちが心地いい。



「勉さん、ちょっと気になることがあるのですがいいですか?」


「なんですか?」


「あの、さっきから探してるんですがおみくじってどこにあるんですか?」


「ああ、一応あるにはあるんですが、伊勢神宮では引かなくていいんですよ」


「え? 引かなくていいってどういう事ですか? 私おみくじ引きたいです!」


「これにはちゃんと理由があるんです。伊勢神宮は最高神の天照大御神が祭られた日本で最も尊い神社なので、参拝する事自体が大変な幸運とされ、おみくじで運勢を占う必要がないんです。わかりやすく言うと、参拝するだけで大吉確定という事です」


「え、えええ⁉ そ、そんなの良いんですか⁉」


「良いんです!」


 俺はどや顔でそう言った。



「はあぁぁぁ……尊い、尊いです。神様……」




 胸の前で小さく手を組んで改めて祈りを捧げる春美さん。


 その様はまさに巫女か聖女のようで――。



 俺ももう一度祈っておこう。



 ……神様、ありがとう。



 目を閉じると自然にイメージが広がる。


 神々しく輝く天照様――の尊厳あるお顔が。


 ……ん、なんか一瞬ファシリが見えたような……気のせいか?




 最期に内宮内にある別宮である荒祭宮でお賽銭を入れて個人的な願いを祈る。



 ここで、あのことを思い出す。


 ……春美さん、確か俺のために祈るって言ってたよな……、なら俺も――






 という事で目的は概ね達成された。



 

 


 

 あとはアフターケアーを万全に。


 という事でお守りを求めて神楽殿へ。



 狙うはもちろん必勝祈願、と言いたいところだがそれそのものズバリな御守が無いので一番近いと思われる学業祈願(合格を祈って)を手に取る。


「勉さん! 私これにします!」


 ニコニコ笑顔で春美さんが手に取るのは一番高そうな木製のお札。

 “天照皇大神宮……”と達筆な筆字で書かれているいかにもなやつだ。


「これ、凄く効きそうな気がします」


「ははは、確かに。でも春美さん、それ海上安全・大漁祈願のやつですよ?」


「えっ……、う……は……恥ずかしいです」


 そっと元の場所に戻す春美さん。


「春美さんってちょっと天然で面白いですね……ぷははは……」


 こらえきれず、つい笑ってしまった。


 春美さんが威勢よくマグロの一般釣りをしている姿をイメージしてしまったのだ。



「もう、そんなに笑うなんてひどいじゃないですか……」


「ごめん、ごめん。それで春美さんはどのお守りを買うつもりですか? やっぱり学業御守ですか?」


「それが、探してるんですが見つからなくて……」



 ……探してるけど、見つからない?



「ああ、もしかして恋愛成就の御守ですか?」


「え⁉ あ、え⁉ どうして……わかったんですか?」


「伊勢神宮には恋愛成就の御守が無いのが有名なんです」


「そうだったんですね。じゃあ、私も学業御守だけにしようかな……」


 明らかにテンションが下がっている。


 きっと誰か大事な思い人がいるのだろう。


 何か代わりになるもの、代わりになるもの……


 安産――は流石に気が早いだろうから、そうだな……



「これなんかどうです。The御守です」


 そう、“御守”という名前の御守。

 健康や幸せを祈願したオールマイティなやつ。


 なら最初から全部これでいいんじゃ……というツッコミは置いといて。



「あ、私それにします!」



 気に入ってくれたようで良かった。



 ……てか、こっちの方が万能そうだな。



「なら、俺もこれにするよ」


「おそろ……ですね」



 御守っておそろっていうのか? という疑念はどうでもいいぐらい、春美さんの笑顔を見ていると幸福な気分になれた。






 そして今度こそ全ての目的を達成したわけだが、ここにきて予期しえた問題にぶち当たる。



 それは帰り道――



 内宮を出て橋を渡り、出口である鳥居の前に近づくほどに足取りが遅くなる。



 ……ここで春美さんを一人で帰していいのだろうか。



 春美さんを出迎えた時の事を思い出す。



 “私、人込みが苦手で……”


 

 でも、俺が一緒にいたからって何がしてやれるわけでもない。



 だから、やはりここは……



「あの、春美さん。今日は春美さんと初詣が出来てとても楽しかったです。誘ってくれてありがとうございました。それと、これから暗くなると思うので……その……」



 “気をつけて帰ってください”



 気を利かしたはずのその言葉がどうしても冷たく突き放したように感じてしまう。




「私もとても楽しかったです。急にお誘いしたのに勉さんは嫌な顔一つせずに私に付き合って下さって……。だから、そんな勉さんにこんな事言うのは我儘かも知れませんが――」



 余程言いにくいのだろう。

 目線を逸らして、頬を赤らめて――。


 だが、次に彼女の口から出た言葉はやけにはっきりとしていた。



 

「――私と一緒に帰っていただけませんか?」




 その提案に俺の胸は高鳴った。

 彼女が本当にそれを望んでいるのなら俺に断る理由があるだろうか。


 だが、同時に俺にその資格があるのか、今日一日を振り返って思うと素直に“はい”と答えられない。



「……俺がいても……その……」


「私、勉さんなら……いえ、こんな言い方卑怯です……ね。でも、それも嘘じゃなくて……その……」



 俺の迷いを断ち切るように言葉を被せた春美さんはなぜか俺以上に苦しそうで。


 彼女が何に葛藤しているのか俺には分からない。

 だけど、今彼女は俺に大事な何かを伝えようとしている事だけは分かって。 


 そして春美さんは覚悟を決めるように震える唇を噛んで、キッと俺の目をまっすぐに見つめて言った。

  


「――私、男性恐怖症なんです」



 心の奥底にカギをかけて溜め込んでいた物を吐き出すように。


 だけど、彼女の表情は酷く歪んでいて、解放感というよりも恐れ、不安の色が濃く表れていた。



「これまで黙っていてごめんなさい。知られたら嫌われてしまうんじゃないかって怖くてどうしても言えなくて……。でも本当は男の人と触れるのも話すのも怖くて……」



 触れるのも怖い――。


 だから春美さんはあんなに周りを警戒して俺とも距離をとって。



 ……なら、今日俺は春美さんにとてもつらい思いをさせてしまったんじゃないか?

 


 春美さんが苦しんでいるとも知らずに俺は彼女の肌に気安く触れたり、得意げに話しかけたり。


 それは今日だけに限った話じゃない。


 いきなりライブチャットを申し込んだり、毎日のように話しかけたりして……。




 ――本当に俺は……最低だ。 




「春美さん、俺は――」


「だけど、勉さんなら――。勉さんなら大丈夫なんです。勉さんが傍にいてくれると胸の中の冷たい感情が溶けていって、安心していられるんです。だから……」


 救いを求めるように手を差し出す春美さん。



 “勉さんなら大丈夫――”


 きっとそれを素直に受け取ればとても嬉しく暖かく胸に響く言葉。だけど、



 ……春美さんは俺に気をつかってそう言ってくれたんじゃないだろうか?



 俺を傷つけないために。

 俺にとって今日が楽しい思い出になるように。

 


 ……もしそうだとしたら俺は――。


「……ごめんなさい。私、また変な事を……」



 俺がつかみ損ねた春美さんの腕がしぼむようにゆっくりと降りて行く。



 ……どうしたら春美さんを傷つけずにいられる⁉


 ……どうしたら春美さんが楽しく笑っていられる⁉




 ……わからない。でも、このままじゃ――




 そう思った瞬間に、俺の喉の奥から自然と声があふれてきて、



「……そうじゃない……そうじゃないんです!」


「えっ……」


「その……俺もここで春美さんと別れるのはなにか違うなって思ってて……だから、俺からも……いや、むしろ俺の方から言うべきでした――」


 

 学生時代に好きな人に告白して失敗した苦い経験が胸を過る。


 30歳にもなって何青春気取ってんだと思う冷ややかな自分もいる。

 だけど、そんな事どうだっていいと思えるくらいに俺はこの言葉を伝えたい。



「――一緒に帰りましょう、春美さん!」



 今度は俺から伸ばした手を、彼女は両手で優しく包み込んだまま、祈るように頷いて。


 隠し切れない嗚咽を飲み込もうと細く小さな体を震わせて何とか言葉を紡ごうとしている。


 彼女が必死に告げようとするその言葉を絶対に溢さないようにしたい。


 そんな覚悟で俺が体を寄せると、彼女の震えは次第に収まって――



「……はい、勉さん」



 空気に溶けて消えていってしまいそうなほどに小さな声を俺は確かに聞き取った。








 それからしばらくして春美さんは顔をあげた。


 泣き腫らして涙乾かぬ彼女の顔はこれまで見たどんな表情よりも素直で、純粋で、幸福に満ちていて――とても綺麗だった。



 その時俺は確信した。



 この時の自分の選択をきっと後悔しないと――

 



 



 こうして俺と春美さんの二人旅は少しばかり延長された。



 同じ道を辿って帰っているだけのはずなのに景色がまるで違って見える。


 使い捨てのカイロはとっくに切れているはずなのに体がのぼせたように熱くて。


 交わす言葉は無く、無言のまま時が過ぎていくが気まずさなんて一ミリもなくて。



 考えるのは春美さんの事ばかり。



 


 バスの中でも。

 電車やリニアの中でも。





 彼女の指は俺の袖をずっと掴んでいた。

 

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