Let me feel. 2
『私も勉さんとライブチャットできたらいいなって思っていました』
この一文を目にしたとき、俺の心は確かに踊った。
思わず頬を緩めてしまうくらいには。
だが、それには続きがあって、
『……。でも、私は勉さんと上手く話せるか自信がありません。勉さんの事を不快にさせてしまうかもしれません』
俺がそうであるように、きっと春美さんも面と向かった人との会話を
こんな時、俺に相応のコミュ力があれば会話をリードしたり適切な表情や声掛けで和ませることもできるのだろうが、いかんせん……。
「勉さん、ファイトです! 私がフォローしますから!」
「……ああ。そうだな」
……俺にはこんなにも頼れる彼女が付いてくれている。そして、それはきっと春美さんも同じはずだ。
『俺も自信はありません。でも、春美さんと面と向かって話したいって思うんです。なぜって聞かれたら困るんですが、文字だけじゃ上手く伝わらない事も多いのかなって最近思うようになって。もしかしたら自分の意図が間違って伝わっているんじゃないか不安で……。だから、お願いします』
メッセージを送ってから10分が過ぎた。
返信を待つ間、俺に不安はなかった。
なぜなら、「もう少しだけ待ってあげてください。春美さんはちゃんと答えてくれますから」と、ファシリが俺に語りかけてくれたからだ。
そしてついに――
『お待たせしてすみませんでした。ライブチャットよろしくお願いします』
……来た!
「申請が受理されましたので、文字チャットモードからライブチャットモードに移行します」
ファシリがそうアナウンスすると、ウインドウが次々と閉じていき、全て閉じ切ると今度はフルスクリーンモードで真っ黒なウインドウが現れロードを開始する。
「あっ! ちょ、ちょっと待てまだ心の準備が――」
「ファイトです!」
「くぅっ……」
……え、えーと、と、とにかく、だ、第一印象が大事だから、まず表情を作って……ってどんな顔したらいいんだ⁉
しかし、無慈悲にも画面には『ロード完了』の文字。
……ああ! もうどうとでもなれっ!
カメラの向こう側がパッと映し出された。
目が逢った。
物柔らかな澄んだ眼差し。
かぐや姫を連想させるような、
白く透き通るような玉肌の頬はうっすらと桜色に染まっていて。
決して高くはないが整った鼻筋に小さな唇が彼女の小顔に完璧に調和している。
緩やかに弧を描くか細い眉からは上品さと
――そう、一言でいえば
彼女をこの目に映した時間はきっと一秒にも満たないはず。
なのに、今、瞼の裏に鮮明に焼き付いて離れない。
それほどに彼女は綺麗だった。
残念なのは、彼女の目を一秒以上も見ていられなかったことだ。
……やってしまった。
あまりにも衝撃的すぎて、条件反射みたく顔を
……情けなさすぎる。
春美さんもきっと幻滅していることだろう。
彼女が今どんな顔をしているのか知るのが怖い。
まるで巨人にでも顔を押さえつけられているように首が動かない。
しかし、春美さんはずっと黙っている。
それはそれで怖くて。
だが何より、
……こんな風に春美さんとの関係を終わらせたくない。
そんな立派な心の
どうやら俺はまだ、神に見放されていなかった。
偶然にも春美さんも横を向いたまま目を
俺が目を逸らしたのは見られていない可能性がある。
……いや、むしろその可能性に賭けるしかない!
これが最初で最後のチャンス。
……俺がリードしないでどうする⁉ 俺の方から話しかけろ!
優しく、柔らかく、春美さんを和ませられるような余裕のある笑顔で。
「春美さん、大丈夫ですか?」
それから春美さんはきっと俺がしたようにぎぎぎと顔を正面に向きなおす。
だけどまだ瞼は閉じているし、下を向いたまま黙っている。
何とか瞼を持ちあげようとひくついてるのがわかるし、体は変に力が入っているせいか縮こまってしまっている。
「ゆっくりでいいので、顔を上げてください」
「……はい」
蚊の鳴くよな声を震わせて、しかしゆっくりとだが確実に体のこわばりは抜け、その重そうな瞼は持ち上がった。
俺は微笑んで、
「初めまして。春美さん」
と俺が想像しうる“良い人”、“爽やかな人”のイメージを総動員して呼び掛ける。
春美さんが抱いているであろう警戒心や緊張を取っ払いたい一心で。
すると彼女は唇を震わせながら、
「こ……こんにちは。あっ、違っ……。あ、あの……こんばんわ……でし…たね」
こちらが顔を真っ赤にしそうなほどに頬を染めて。
子犬が物欲しそうな声で鳴くようにクゥ~っと喉を鳴らして。
目線は右へ下へと行ったり来たりせわしなく、時々みせる上目遣いに内心ドキッとして穏やかな表情を崩しそうになってしまう。
「もし辛かったら今日のところはこれで終わりにしましょうか?」
……というか俺の方が持ちそうにない気がする。
「ま……待ってください。今、落ち着きますから……」
それから春美さんは胸に手を当てて、何度か深呼吸を繰り返し、紅潮していたほっぺも心なしかおさまっていった。
「ごめんなさい。びっくりしてしまって……」
「分かります。俺も突然の事でびっくりしました」
「あ……確かにそれもびっくりしたんですけど……あの、えと……、勉さんがあまりにも想像通りの人で……その……」
「想像通りって顔が……ですか?」
「顔もそうなんですが、その優しそうな声とか落ち着いた感じとか。本当に私の……」
「私の?」
俺が問いかけると、春美さんはまた俯いて
また気まずい沈黙が訪れる。
……しまった、リアクションを取り間違えたか⁉ こんな時どうしたら……。
とそこでいつもならうるさいはずの彼女が静かな事に気が付く。
というより画面上からいなくなっている。
“ファシリ! 今すぐ出てきて助けてくれ!”
なんて情けない声を上げることもできずに困っていると、画面右端からファシリがひょこっと覗き込んできた。
そして吹き出しには、
『私の助けが必要ですか?』
謎のどや顔はこの際おいといて、俺は迷わず『はい』をクリック。
『わかりました。あ、ちなみにライブチャットモードでは私は音声をoffにしています。お二人の邪魔は致しませんからご安心を』
……なんだその意味深なにやけ顔は⁉ いや、今はそんな事より――
『大丈夫です。勉さんの対応は間違っていません。だから自信を持ってください』
不覚にもファシリのこの言葉で少しだけ気持ちが落ち着いた。
だから、もう一度勇気を振り絞って、
「春美さん。俺も同じです」
「え? えええ⁉ ど、どういうことですか⁉」
……あれ、思っていた反応と違う。
しかし、ファシリは『その調子です』と親指を立てている。
「えーと……俺が思っていた通り、お淑やかで和やかで……その……お姫様……みたいな」
紛れもなく本心からの言葉があるのにはっきりと言えず濁らせる。
髪や肌が触れたくなるほど綺麗だなんて言ったら気持ち悪がられるだろうし、透き通るような声が可憐だとか顔が整っていて可愛いなんて言ったらセクハラ認定されそうでとてもじゃないが口にできない。
「お姫様……あ、そ、そういう意味だったんですね」
「え? 他にどんな意――」
と、ここでファシリから
「いや、まあ、うん。それは良いとして……、そうだ! いつも俺の話を聞いてくれてありがとうございます。これを直接言いたいなってずっと思ってたんです!」
「あの……私もずっとお礼が言いたいなって……」
「そんな、俺は春美さんに何も――」
「そ、そんな事ないです!」
急に小さいなりに張り上げた彼女の声に俺は押し黙ってしまった。
「あ……ごめんなさい。急に大きな声を出したりして……その……うまく言えないんですが、勉さんとお話させてもらっているだけで私にとっては……うぅ……ごめんさい、やっぱりうまく言えません」
春美さんの言おうとしているところを俺なりに想像してみる――が、ダメだ……さっぱりわからない。
……くそぅ、俺にコミュ力さえあれば。
などと嘆いているだけでは前に進まないので、とりあえず話題を変えていく作戦で。
「あの、やっぱりライブチャットの方がいいですね。文字チャットもそれはそれで良さがあると思うんですが、こうやって面と向かって話している方が感情がうまく伝わる気がします」
「あ、それは私も思います。ただ、伝わっちゃいけない感情まで伝わりそうで……、ああ、また私余計なこと言っちゃいました……くぅぅ……」
……どうしたらいい⁉ どんな話を振っても最終的に春美さんを俯かせて悶絶させてしまう。どうしたらこの負のスパイラルから抜け出せる⁉
しかし、ファシリは“このまま、このまま”と言わんばかりに余裕の笑顔で会話を促してくる。
……俺は“余裕ある大人”を演じるだけで精いっぱいなのに。
これ以上話すと流石にボロが出そうな気がするが。
……どうする⁉ もう少しだけ頑張ってみるか⁉
様々な思いを逡巡させた結果、俺は冷静さを取り戻し、
……そうだ、変に焦ることはないじゃないか。また少しずつ慣れていけばいいんだ。
「春美さん、今日はこの辺で終わりにしましょうか。実は今日、仕事で疲れてて早めに休もうと思うんです」
すぐに反応したのはファシリで、『え? 疲れてないって言ってませんでした?』と悪戯な笑みを添えて煽ってくる。
睨みつけたくなる気持ちをどうにか抑えて、穏やかな笑顔を続ける。
「そういう事でしたら。そう……ですね。今日はこの辺で」
……よかった。でも明日からはどうしたらいい? 今日の春美さんのリアクションを見る限り文字チャットの方が無難そうだが。
「「あの」」
春美さんと声が被った。
短い沈黙の後、先に話し出したのは春美さんで、
「あの、良かったら……明日からもライブチャットでお話してもらってもいいですか?」
その意外過ぎた提案に俺は、
「あ、はい」
と呆けた声で答えてしまった。
それから“おやすみなさい”を言う間もなく、まるで逃げるように春美さんはログアウトしてしまった。
「勉さんも中々やりますね」
突然声を取り戻したファシリに高評価をもらうが意味が分からない。
「あれでよかったのか?」
「ばっちりです!」
……まあ、確かに結果的にはこれからもライブチャットしてもらえるようになったわけだし、お互いの顔合わせもできたからいいのか?
「ただ言わせていただくなら、もう少し乙女の純情に対する理解が必要かと」
……は? 30代男性に何を求めているんだ?
「その様子ではピンと来ていないようですが、まあいいでしょう。そのために私がいますからっ」
と片目ウインクにキュピーンという効果音付きで決め顔。
「あ……ああ。よくわからんが、これからもよろしく頼む」
……実際今日は、ファシリがいてくれて助かったしな。
「それにしても、勉さんの二面性には驚かされました」
「ぐっ……」
それを言われると辛い。そして恥ずかしい。
営業の時のように他の誰かを演じるのは止めようと思っていたのに、結局はこのザマだ。
あるがままの自分でいるのがこんなにも難しいとは。
……というか、あるがままの自分ってそもそもどんなだ?
ありふれた哲学的禅問答でありながら、俺はこれまで深く考えた事がなかった。
「すいません。まさかそんなに悩まれるとは。私が言うのもなんですが、そんなに落ち込む必要はありませんよ。それも勉さんであることに変わりはありませんから」
「そんなものか?」
……それは何か違うような気がするが。
かと言って、春美さんにはあの時の俺で印象付いてしまっただろうから今さら素に戻ったら混乱させてしまうだろう。つまりは当面、このままでいくしかない。
そう思うと少しだけ肩が重くなった気がする。
「今日は本当にお疲れのようですね。もう休まれますか?」
確かに慣れない事をしたのは疲れた。でも――、
「もう少しだけ起きて頑張るよ」
「ふふふ、分かりました。どうかお体にはお気をつけて」
「ああ、ありがとう」
そうしてFaciliを終了し、作業ウインドウを再度開く。
……自意識過剰かもしれない。
だけど、俺は春美さんにできると約束した。
いや、春美さんは約束とは思っていないかもしれないし、はっきりと誓いを立てたわけでも無い。
でも、俺が夢を実現させないと春美さんを悲しませてしまうような、そんな気がする。
だから、頑張れる。
……いや、頑張っていたいんだ。
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