Let me feel. 1


 人事異動の申し入れ期間は11月末から12月初旬までの約二週間。

 それからAIによる適正度評価や転属希望先の部長あるいはチーフとの面接を経て上役会議で決定される。


 もちろん、異動の希望はあくまで希望であり、叶わないことの方が多いし、上の都合によっては全く想像もしていなかった部署にあてがわれる事もある。


 だから無策ではだめだ。


 とは言えファシリの言うように弱みにつけこんで揺するような真似は俺にはできない。



 となればやはり正攻法でいくしかない。




 ここで大きな関門は二つ。



 まず第一に広報部の服部部長の説得。

 そして第二に開発部のコミュニケーションAI開発チーム代表である石破チーフへの売り込みだ。


 いつも第一段階でつまづいていた俺が言えたものでは無いが、最大の難関は後者だ。


 

 石破チーフは社内でも厳格な人柄で有名で、熱意だけで押し通せるなどとは到底思えない。




 だから、“お土産”を用意する。


 思わず飛びつきたくなるようなとびっきりのアイデアを。



 幸いにも芽はある。

 今必要なのはとにかく時間だ。

 


 勤務時間中はノルマを早々に解消し、浮いた時間でPCに張り付いてアイデアを練り上げる。

 帰り道でも、帰宅後もなんなら夢の中でさえ、常に俺の頭の中はその事でいっぱいで、精神をすり減らせる毎日。


 まるで荒れ狂う嵐の中心で蝋燭ろうそくに火を灯し続けるような。


 

 必然的に切り詰められる日常。


 ただ一つの例外と言えば――




「春美さんがログインされたようです」


「そうか。じゃあ、早速チャット申請を送ってくれ」



 それまで激しくタイピングしていた指を止め、作業ウインドウを閉じる。

 コーヒーを一口だけ飲み込んで、深呼吸し気持ちを切り替える。



 どんなにノッている時でも、これに敵う時間はない。



 春美さんと話していると情熱を分けてもらえる気がする。

 ちびりかけていた蝋燭がいつの間にか元の大きさに、時にはそれ以上に新調され、また煌々こうこうと火をくべ続けることができるのだ。


 だが、春美さんも自分の夢を叶えるために一分一秒惜しんで切磋琢磨しているはず。

 それなのにここのところは毎日話を聞いてもらっている。

 だから、もしかしたら今日は……。

 


「チャット申請が受理されたのでお繋ぎしますね……あの、どうかされました? お疲れでしたら今日は止めておくよう春美さんにお伝えしますが」


「あ……いや、別に疲れているわけじゃなくてだな……」


 まあ、確かに疲れてはいるけど違う。

 ファシリは俺の動作を疲弊あるいは落胆と読み間違えたようだ。


「ではどうしてそんな風に肩を落とされたのですか?」


「い、いや、そこはそんなに気にしなくていいから! と、とにかく……繋いでくれ」


「ふふふ、わかりました」



 まったく……“春美さんと話せる事に安堵した”なんて言える訳がないだろう⁉






『こんばんわ、勉さん。また来てしまいました(笑)』


『ようこそ、春美さん』



 最近ではこんな砕けた調子から会話が始まる。

 ベストアンサーシステムもほとんど参考にしなくなり会話のテンポも良くなった。

  

 

 そして話の内容は俺の話と春美さんの話が7対3くらい。

 自分の話ばかり聞いてもらって申し訳ないと思うが、どうやら春美さんはAIに興味があるらしく、リアクションが良いのでついつい俺も嬉しくなって調子に乗ってしまう。

 

 ……というのは俺のおごりかもしれないが。



『それで計画は順調ですか?』


『おかげさまで何とか間に合いそうです』



 俺の内情を知り、かつ心から応援してくれる春美さんに進展状況を逐一報告するのが定例。



『それは何よりです。あっ、という事はあのアルゴリズムが遂に実現するということですよね? とても楽しみです!』


 あれを実現させるにはまず俺が開発部に転属し、予算を確保し様々な試行錯誤を経ないといけないのだから、春美さんはこれまた随分と気が早い。


 だが嬉しいのでそこはあえて突っ込まないでおく。



 そして、春美さんの言うこの”アルゴリズム”こそが俺のとっておきの隠し玉だ。





 ――AIに人間らしさを持たせるにはどうしたらいいか?



 本来AIは何らかの判断を下す場合、ディープラーニングにより構築されたアルゴリズムにのっとってただ一つの選択を機械的に導き出す。

 もちろん、試算の過程においてはいくつかの選択肢が上がるし、それをユーザーに提示することで最終的な判断を譲るという事もできる。しかし、例えば囲碁や将棋、チェスのAIを想像してもらえればわかりやすいが、いくつもの盤面を予想しても最終的に行えるアクションは一つのみだ。



 当たり前だが、そこに迷いという感情はない。


 しかし人の場合は少なからず迷いがあるもので、そこに人間らしさが生まれる。



 さらにこれがボードゲームではなく対話の場合ならどうだろうか。



 人は時に何気ない対話でさえ気をつかい本心とは異なる行動を選択する事がある。

 いわゆる“本音と建て前”だ。


 


 ここでいう建て前というのが元来のAIが導きだしている正解だとすると、本音の部分を別に導き出さなければならない。

 

 実はこの着想は大学時代に生まれ、その実現可能性について優とも熱いディスカッションを交わしたものだが、結局、“今の技術では実現は困難”という結論に行き着きお蔵入りしてしまった。


 考えてみれば当然で、取るべきアクションが二つも導き出されてしまったらそれは明らかにエラーであるし、確率を元にどちらかを選択してしまったらそれは結局従来のアルゴリズムと変わらず、人間らしさや個性が生まれない。



 ――しかし、それを可能にするものが今の世の中には存在する。



 それが量子コンピューターだ。


 

 従来のコンピューターは0か1の二進法だが量子コンピューターでは0でも1でもない揺らぎの状態が存在する。


 この違いは計算速度に反映されるが、俺はあえてこの0でも1でもないあいまいな状態そのものに着眼した。



 つまり人間でいう“迷い”というどっちつかずの感情をこの0でも1でもない“揺らぎ”で再現しようというのだ。



 俺はこれを二律背反ジレンマアルゴリズムと呼んでいる。




 優は当然このアイデアを思いついていてもおかしくなく、ひょっとしたらFaciliにこのアルゴリズムが既に採用されているのでは、とも考えたが、うちの会社ではまだ量子コンピューターを導入していないはずなのでまずあり得ない。



 とにかく、このアルゴリズムで間違いなく革新が起こせる!



 ……と、俺は信じている。



 そしてもう一人信じてくれてる人がいる。

 


『詳しい仕組みはわかりませんが、AIで感情が再現できるなんて本当にすごいです!』



 春美さんの言葉がとても励みになる。


 夢や目標をただ共有しているだけで、こんなにも心強く晴れやかでいられるものなのだろうか。


 日々の疲れは成りを潜め、自然と笑みがこぼれる。



 そんな微笑ましいムードをぶち壊すように、



「それはつまり私には感情が無いという事でしょうか。とても悲しいです」


 対照的にしょぼくれるファシリ。



「それ、言ってることが矛盾してないか?」


「あっ、確かにそうですね」


「まったく……」



 俺は呆れながらも、内心では少し焦っていた。


 ファシリに感情はない。


 しかしそれを面と向かって本人に言う事などできないし、彼女自身がその事を気にして落ち込む様子は見るに堪えない。


 ファシリの人間らしさがどうやって再現されているのかは分からないし、きっと俺が思い描くアルゴリズムでさえ感情と呼ぶには程遠いのかもしれない。


 ファシリを励ましてやれる言葉は俺には思い浮かばず、誤魔化すので精いっぱい。



 だからこの話題は早々に切り上げて、



『それで春美さんの方はどうですか?』


『私の方はまだ半年ほど先の話なので、今はひたすら基礎技術のお勉強です』



 春美さんの目標。それは立体構築絵画の美術展への応募だ。


 ただし、立体構築絵画は日本ではまだ普及しているとは言い難く開催地はフランスが予定される国際的で大規模な展覧会。

 スケジュールとしては4月中旬頃に日本枠としての予備選考があり、それを通過すれば来年の今頃にはほぼ間違いなく出展できているらしい。

 


『そうは言っても何となく構想は練っているんじゃないですか?』


『確かに考えてはいます。ただ、最近はその……心情的な変化……といいますか、世界の捉え方みたいなものが変わって来て、書きたいものが定まらなくなってるといいますか……』


『それっていわゆるスランプってことですか?』


 人の不幸に飛びつくようで悪い気もするが、俺としては少しでも春美さんを支えられるならそれがいい。


 まずは悩みを聞き出して、共感し、可能であれば助言するのが自然な流れ。


 だが――


『いえ、あの、そうじゃなくてですね……何と言ったらいいのでしょう』


 予想していた反応と違う。

 


「勉さん、春美さんをあまり困らせないであげて下さい」


 そしてファシリからダメ出し。


「ぐ……」


 ……俺はただフォローしようと思っただけなのに。


 実は春美さんはそこまで気にしてなくて、“へー、そうなんですね”とか何気ない感じで流すのが正解だったのか?



 春美さんがどんな表情をしているのか分かればこんな自爆も無かっただろうに。

 


 チャット特有のわずらわしさに首をもたげていると、



「勉さん? 今、悩んで……いますよね?」


「は……は? な、なんの事だ?」



 ファシリの細めた目線に心をのぞかれたような気がして思わず身を引いてしまう。



「隠さなくても私にはわかりますよ? 今が……その時ではないでしょうか」

 


 ……気のせいなんかじゃない。完全に見透かされてしまってる。





 ……いつからだ?




 文字チャットが煩わしいと思うようになったのは。


 画面の向こう側がどうしようもなく気になりはじめたのは。




 春美さんの心の内を、




 その表情から、



 その声から、




 

 ……直接感じたいと思い始めたのは。

 


 

 もう、これ以上嘘をつきとおせる自信が無い。



「ファシリ、やはりお前には敵わないみたいだな。ライブチャット、頼めるか?」



「はい! もちろんです!」



 春美さんに断られるかもしれない。


 これまで築き上げてきた関係が崩れ去るかもしれない。



 不安は募る。でも、どこか安心している自分がいる。

 


 そう、なぜなら……







 彼女が、いてくれるから。



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