She makes me decide. 4


 ハルハルさんこと春美さんとの親密度が2に上がった。


 これはFaciliのシステム上はリアルフレンドの範疇はんちゅうらしい。



 だからというわけじゃ無いが、少し思い切って突っ込んだ質問をしてみる。



『ところで春美さんはどんな学校に通っているんですか?』



 これまでのやり取りからいくつか候補はあった。

 例えばCGクリエーターとかアニメーター。

 そのあたりの専門学校が筆頭だ。


 そして春美さんの答えは――。



『私は都内の美術大学に通っています』


 ……美術大学?


 思い返せば確かに、プロフィールには専門学生ではなく大学生と書かれていた。

 

 しかし意外だ。


 俺の世代では美術大学と言えば絵画、彫刻などの実体を伴うようなものが主流で先にあげたような職業は専門学校の範疇だったからだ。



『最近の美術大学ではCGクリエイター的な専科まであるんですか?』


『世界的には一応そういう大学もありますが、私の場合は趣味みたいなものです』


『趣味であそこまでできるなんて凄いですよ』


『そんな、そんな(汗) 勉さんの会社の製品が優れているからですよ。それと……ごめんなさい』


 ……ごめんさい? 何の事だ?


『あの……、いったい何に対して謝ってるんですか?』


『あ! すいません。確かにこれでは意味が分かりませんね(汗) 実は私プロを目指しているんです。なのに弱気になって趣味でやってるなんて嘘をついてしまって』



 ……春美さんは本当に正直な人だ。


 もし春美さんが臆するほどに大変な道のりなら応援してあげたい。

 だけどまずは春美さんが目指しているものをもっと知りたい。

 それも把握せずにただ頑張れと言うだけでは少し冷たい気がするから。

 


『気にしないでください。それで、そのプロというのはCGクリエイターみたいなものですか?』


『正式には立体構築美術の中の立体絵画アーティストに当たります。絵画の世界を3Dで再現するイメージです。題材は何でも良いのですが、美術館に飾られているような西洋絵画の世界に実際に足を踏み入れるような感覚を想像してもらえると良さが伝わるかもしれません』



 ――絵画の世界に足を踏み入れる。


 確かにそれは衝撃的だが、今一つイメージがつきにくい。



「勉さん、立体絵画で検索したところ動画がヒットしたので参考までにupしておきますね」


「ナイスタイミングだファシリ。さっそく再生してくれ」



 ファシリは心底嬉しそうにニコリと微笑み、たった13インチの画面にではあるがそこには非日常的な世界が広がった。



 解説音声は日本語ではなくフランス語。

 だが、自動翻訳字幕もついているし何より視覚的に理解できる。


 VRゴーグルをかけてゲートをくぐるとそこには黄金色の麦畑が広がり、円錐型の古風な風車が遠くに見える。

 世界は静止画ではなく穏やかに揺らめいていて、まるで薫風くんぷうが吹き抜けてきそうな光景に思わず息を飲む。


 そして特徴的なのはあくまでも絵画的タッチで描かれている事だ。

 アクリル絵画というのだろうか、ハイクオリティなゲームや映画における“現実に寄せたCG”とは明らかに異なり、筆を使って絵の具で描いた感じがしっかりと伝わってくる。


 別にサブカルチャーとしてのいわゆる3Dアートを侮辱するつもりは無いが、あの独特のチープさがなく、細部まで丁寧に描かれており全てが完全に調和している。


 

 それからカメラはゆっくりと360℃を見渡す。


 明らかに現実とは異なる世界はどこか不気味さにも似た衝撃を伴うが、決して不快感ではなく感銘と呼んで余りあるほどの感動。


 そして、撮影者は何もない宙に何度も手をついて、そこにリアルの壁があることを視聴者に伝える。

 世界はそこで終わっているのだが、まるで地平線の遥か先まで存在していそうな気さえした。



 短い視聴を終えさっそくこの興奮を春美さんに伝える。


『今、紹介動画を見たんですが、確かにこれは感動的ですね。こんなジャンルがあるなんて恥ずかしながら全然知りませんでした』


 美術に関しては完全に素人ではあるが、CG作成ツールの販売社員としてはそういった需要を考慮していなかった事に、恥じらいを禁じ得ない。


『日本ではまだそれほど認知度が高くないので勉さんが知らないのも無理はないと思います』



 ……やはり春美さんは優しい。


 フォローとして言ってくれている意図もあるのだろうが、春美さんが言うからには実際に認知度が低く、日本では芸術としてあまり広まっていないのかもしれない。


 それを春美さんは独学で成し遂げようとしてるのだからその熱意は計り知れない……。



『春美さんはすごいです。俺だったら』



 そこまで打ち込んで指が止まる。

 何かが胸を貫いたような鋭く一瞬の痛みがそうさせた。

 


 ……俺だったら?


 

 俺は今何を打ち込もうとした?



 春美さんから感じる熱意は紛れもなく本物だ。


 なら、俺が学生時代に抱いていた物は何だ?


 

 隠しようもない。

 あれも確かに熱意だったはず――



 それを若さゆえのなんとやらって言うのは簡単だし、現実に打ちのめされた今となってはそれも一つの真実だとも思える。



 だけど、

 今、

 それを、


 春美さんを前にして言えるか⁉



 ……そんな事、できるわけがない!




 だったら―― 




『春美さんはすごいです。俺も諦めてられないですね』



 

 Enterを押し込んだ瞬間、俺の中で何かが息を吹き返したようだった。

 

 朧気に宙を漂っていたものが凝縮し、確かな質量を持ち、それが体の中に溶け込み広がっていくような。




『はい! 一緒に頑張りましょう。どんな障害があったとしても私は勉さんの事を応援していますから』


 ただでさえ浮ついていた心が春美さんの一言でさらに舞い上がる。


 無尽蔵に湧き上がってきそうな高揚感を無理やり宥め、あくまでも冷静を装って春美さんとの会話を続けた。



 その後、春美さんは立体構築美術について熱く語ってくれ、熱意溢れるあまり聞き覚えの無い専門用語が飛び交ったが、ファシリのフォローで大体理解することができた。



 春美さんはつい一方的に話過ぎてしまった事を誤ってきたが、そんな事全く気にもならなかったし、これまで見た事のなかった春美さんの一面に触れて、なんならずっと聞いていたいとさえ思えたほどだ。





 そんな風に熱も冷めやらぬままチャットは終了――



 俺はPCをパタッと閉じて一息つくや立ち上がり、その冷気に引き付けられるように窓際へ。

 


 高層階の窓から見える街並みは相変わらず霧雨で煙っていて、どんよりしている。

 だけど、それを全て吹き飛ばしてしまえそうなほど心は晴れやかで。


 そんな事を考えていると、ふと雨雲から差し込んだささやかな光の筋に輪をかけたように虹が映えた。


 そこからピントを手前にずらすと窓ガラスには見慣れたはずの自分おとこの顔がまるで別人のように映る。

 

 今すぐにでも飛び出して行ってしまいそうなほどに目をぎらつかせて、だけど冷静そうに不敵に笑って。


 

 ――なんでもいい。とにかく前に進みたい。


 

 ブレインストーミングの如く、やるべきことが頭の中に次々と並び立ち、優先順位をつけろと訴えかけてくる。



 参考書?

 最新の知見? 


 ……いや、俺が向かい合わないといけないのはそんなものじゃない。  



 それから俺は思うにまかせて寝室へと向かい、ウォークインクローゼットに忍ばせていた少しカビ臭いダンボール箱を引っ張り出した。


 別に劇物が入っている訳も無いので、躊躇ちゅうちょせずに封を切る。


 中にはいくつものノートやルーズリーフの束。

 大学時代に書き溜めたものだ。



 広げてみるとこんなに筆圧が高かったかと疑問を浮かべるぐらいに力強く描かれた夢の跡がまるで宝石のように光って見えた。



 そう、参考書なんかの前に俺が目を通すべきものはこれだった。



 あの時の熱い思いを貪るが如く俺はかつての軌跡を読み漁った。

 

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