She makes me decide. 3




『ごめんなさい』




 ハルハルさんからの第一声は謝罪だった。



『どうして謝るんですか?』


『昨日、またお話しするって約束してたのにすっぽかしてしまったので』


 もしやと思ったが、やはりその事か。

 どこまでも律儀りちぎな人だ。



『気にしないでください』


『でも、約束は約束ですから』


 これはいっその事『許します』とか返した方がいいのか?

 いや、やはりそれは余りにも横柄おうへいすぎる。

 だったら――。



『昨日は何か用事があったんじゃないですか?』



 ハルハルさんは俺と違って言い訳しようとしない。

 だったらこちらから引き出してあげればいい。



『用事という程の事じゃないんです。作業に夢中になってたらいつの間にか時間が過ぎてて、気が付いたらもうツムさんが退出した後で……、すみません』


 深々と頭を下げるハルハルさんのアバター。


 

 しかし、ファシリに頼んでオフライン表示にしてしまったのは俺だ。


 そう思うとむしろ俺に責任があるように思える。

 かといって、オフライン表示にした理由をハルハルさんに打ち明けるのもおかしな気がするし、誤解を生む可能性もある。



「ファシリ、昨日のオフラインの事はハルハルさんには言わないでくれ」


「もちろんです」



 ファシリが俺の意図を理解していない可能性があったので念を押したが杞憂きゆうだったようだ。




『その作業というのは学校の課題か何かですか?』


『いえ、とても個人的なことです』



 ……“個人的な事”か。


 どうも歯切れが悪いというか会話が弾まない。

 まるで見えない壁が立ちはだかっているみたいだ。


 そこで俺はふとファシリとのやり取りを思い出す。



 ……確かにハルハルさんとはまだ本当の意味で心を許しあえていないのかもしれないな。



「勉さん、ファイトです!」


 どうやら俺が落ち込んでいるように見えたらしく、ファシリから励まされてしまう。


「ああ。ありがとうファシリ」


 振り返ってみると、俺は変なところで萎縮してハルハルさんに突っ込んだ話をできないでいる。



 ……壁を作っていたのは俺の方か。



 そう確信めいて、少しだけ攻め気で問いかける。



『どんな作業をしていたんですか? とても気になるので教えてください』



 だが答えは――



『教えられません。本当にごめんなさい』



 ……ぐ。


 早くも数十秒前の自分を後悔する。



「ファシリ、これは多少強引にでも聞き出した方がいいのか?」


「えーと、ちょっと待ってくださいね」



 ハルハルさんにそれとなく探りを入れてくれているのか。とにかくファシリを信じて待ってみる。






 数分後……



「なるほど……そういうことだったんですね」


 探偵のように腕を組み、ぼそり呟くファシリ。

 


「一人でなっとくしてないで教えろよ」


「残念ながら私もハルハルさんから口止めされてしまいましたので」


「そうか。まあ、とにかく突っ込まない方がいいという事だな?」


「それが一概にそうとも言えません」


 ファシリはそう答えると眉間にしわを寄せて小さくうなった。



 ……どうも釈然しゃくぜんとしない。



 そんな俺の感情を読み取ってファシリが続ける。

 

50対50フィフティフィフティというやつです。ただ、ハルハルさんなら問いただしても不快には思われないと思います」


 なるほど、つまり明確な正解は無く俺の選択次第ということか。


 ならここは余計な壁を取っ払うためにも少し勇気を出すべきだろう。



『ハルハルさんが普段どんな事をして過ごしているのかとても気になります。どうしても教えてもらえませんか?』



 入力してEnterをトンッと叩く。

 

 これで駄目なら諦めよう。



 覚悟を決めてハルハルさんの出方を待つ。すると……



『わかりました。本当は内緒にしておきたかったのですが……』


 文章はそこで終わっていて、少しだけ訝しむ。

 

 次に動きがあったのはハルハルさんのアバターで、どこからともなくラッピングされた箱を取り出し、机の上に差し出した。



『これは?』


『開けてみてください』



 箱をクリックすると俺の棒人間アバターがごそごそと開封。

 ささやかな光のエフェクトとサウンドが入り中身が明らかに。



 光の中から飛び出したのは淡いペパーミント色のもふもふの塊。

 と思いきや、ひょこっと頭が持ち上がり、小さなくちばしからそれが小鳥だと認識する。


 クオリティはハルハルさんのアバターに決して劣らず、レア度で言えば間違いなくSSR。


「これはまさか……」


「はい、シマエナガですね。通常は羽の色は白で、その愛くるしい見た目から雪の妖精と呼ばれています」


 いつの間にか装着したインテリ眼鏡をくいっとしながら答えるファシリ。


「いや、そういう事じゃなくてだな……」


「はい、冗談です。ハルハルさんからのプレゼントです」


 ……やはり、そうか!


 と思いつつも、予想もしていなかった事態に混乱し、理解が追い付かない。

 それでも少しずつ論理的思考を巡らせて、


「つまり、昨日ハルハルさんがしていた作業は……」


「はい、このアバター作成です」


「だよな……、え? なんでそれを俺にくれるんだ?」


「ハルハルさんが勉さんのために作成したからです」


「だよな…………、え?」


 ……なんで?


 などと呆けていると、



『急にこんなことされても困りますよね。本当はツムさんのお誕生日にプレゼントしようと思っていたのですが……』



 ハルハルさんからのメッセージだ。


 確かに困ってはいるが違う。そうじゃない。てかまだ何も返答してないのに。ハルハルさんを待たせすぎたせいか?



「勉さんがアバターをチェンジしてくれないからハルハルさんが悲しんでいますね」


「それだッ!」



 俺は慌てて輝かしきNewアバターをクリックしてマイアバターに設定。


 必然的に退場させられる棒人間。

 思い入れが無いと言えば嘘になるが、正直言って選択の余地はない。

 折れ曲がった背中にどことなく哀愁を感じるが、表情は相変わらず読めない。

 だからきっと気のせいだ。気のせい。



『ありがとうございます。ちょっとびっくりしてしまって。でも、嬉しいです!』



 自分でも信じられない速さでタイピングして送信。


 急ぎ過ぎたせいで小学生の作文並みの謝辞となってしまったが、まずは一秒でも早く誤解を解くことが先決だ。



「ファシリ、お前からもフォローしてくれないか?」


「お任せください!」



 ……なんて頼りになるんだ。


 俺の中でファシリの株が跳ね上がる。



 しかし、よくよく考えてみるとおかしい事に気がつく。


 ハルハルさんがサプライズプレゼントを準備していたことをファシリは知っていたはずなのにどうして俺に問い詰める選択肢を残したのか。


 その疑念をファシリに詰問きつもんしようと思ったが、ハルハルさんからメッセージが届き興味がそちらに向けられる。



『気に入っていただけたなら私もとっても嬉しいです! ……でも、ツムさんは棒人間さんに思い入れがあったんじゃないですか?』


微塵みじんも無いです。彼とは完全に決別しました』


『そこまで言ってしまったら棒人間さんが可哀そうですよ(笑)』


『確かにそうですね(笑)』


 ……すまないな、棒人間。せめて安らかに眠ってくれ。


 と、心の中で手を合わせて黙祷。



 とりあえず誤解も解けたところで、落ち着いてNewアバターをじっくりと鑑賞してみる。


 とても一晩で仕上げたとは思えない羽の細やかさ。

 思わず手に乗せてモフモフしたくなるほどのふっくらしたまん丸ボディ。

 そんなふくよかな体に不釣り合いの小さなあんよがまた一段とかわいらしい。


 仕草をみてるだけで癒されるアバターだが、一つだけ気になる点があった。



 それは目つきだ。



 別におかしい事は無いのだが、体がかわいらしすぎるあまりか、対照的に目つきが鋭く見えてしまう。


 

「なあ、ファシリ。このアバターのモデルの鳥もこんなに目つきが鋭いのか?」


「いいえ、まん丸のつぶらな瞳です」


「なるほど。じゃあ、これはハルハルさんのオリジナルというわけか」



「んー、どちらかというとオリジンは勉さんですね」


「どういうことだ? 意味がわからん」


「私が勉さんの特徴をハルハルさんにお伝えしたのです」


「ああ、どおりで何処かで見たことある目つきだと……って、何勝手な事してくれてんだ⁉」


「大丈夫です。あくまで口頭で間接的にお伝えしただけですから。これにより個人を特定される事はありません」


「なら、まあ……いいが」



 その事実を知ったせいか、アバターの目つきが悪く思えてくる。


 これはつまり、ファシリには俺の目つきがこんな風に見えているという事だ。


 いや、落ち着け。ハルハルさんがせっかく作ってくれたアバターにケチをつけるなんて間違っている。



 ――何だろう、この何とも言えないもどかしい気持ちは……。



 ファシリをちらと見やるが、ニコニコしていて悪意があるようにはとても思えない。


 

 とまあ、いろいろ考えた結果。ありのまま受け入れる事にした。


 すると今度はアバターに対する愛着が不思議と増してくる。


 

 もう一度ハルハルさんにお礼を言ってから、今回の件でさりげなく気になった事を尋ねる。



『ハルハルさんは俺の誕生日を知ってたんですか?』


 ニックネームと職業、年齢しか公開していないはずなのだ。


 だが、これに関する答えは実に簡単なことだった。



『いえ、それがわからなくて。実は今日さりげなく伺おうと思っていたんです』



 つまり、仮に俺の誕生日が今日であってもプレゼントを渡せるように昨日の内にアバター製作作業に没頭していたという事だ。


 ハルハルさんは俺が思っていたよりもアグレッシブな人なのかもしれない。

 それに何より、俺のために時間を割いてくれた事がとてもありがたい。



『なるほど、そういう事でしたか。ホント空気読めなくてすいません(汗)』



『いえ、私が勝手に企んだことですから。それに、サプライズは成功したみたいですし(笑)』



 ……まさか。俺の狼狽ぶりをファシリが伝えたのか⁉



 ファシリを見やると露骨に目を逸らし、目線を合わせようとしない。


 そこで俺は敢えて画面上のファシリから目線を離し、ウェブカメラをジトっと見つめる。



「そんな目で見つめないで下さいぃぃ」


「悪かったな、目つきが悪くて」



 と軽い皮肉を吐き捨てておいて、すぐさまハルハルさんへの紳士的な応対へ気持ちを切り替える。


『ホントに驚かされました(笑)。もちろんいい意味で。ちなみに俺の誕生日は2月16日です』


 これが名前の由来なのだが、まあそこまで言う必要は無いだろう。

 なんか出来の悪い暗号みたいで恥ずかしいし、必然的に本名を名乗ってしまう事になる。


『2月16日ですね。覚えておきます!』


 というハルハルさんの返事を受けつつ、視界の端で捉えたレコメンデイションボードの一文をそのまま採用し、


『ハルハルさんの誕生日はいつなんですか?』


 と返す。


『私は3月30日です』



 その瞬間、別のボードに3月30日を誕生日とする歴史上の人物や芸能人やらの名前が列挙され、おそらくは“へえ、~と同じ誕生日なんですね”と使用すればいいのだろうが、今の女子大生の間で誰の認知度が高いのかわからず無視した結果、



『なんだか微妙に近いですね、誕生日』



 とコメント自体が微妙になってしまった。

 しかし、それでもハルハルさんはどこまでも優しく――



『そうですね。私は春生まれだから春美なんですけど、ツムさんの名前も春に関係していたりしますか?』



 ――というか警戒心が希薄で、つい本名を名乗ってしまっている。



 なるほど、春美はるみさんでハルハルだったのか。

 てか、これは指摘してあげた方がいいのか?

 いや、そもそも俺が本名を出すことを忌避しすぎなのか?


「なあ、ファシリ。ハルハルさんは本名を出してるが、これぐらいフランクに行くのが普通なのか?」


「それはユーザー様の価値観によりますね。ハルハルさんにそれとなく聞いてみます」



 それから十数秒もたたない内に……



『すいません、うっかり本名を名乗ってぢまいました』



 ……ああ、やっぱりうっかりだったんだ。


 まだネット上で知り合って一週間も経ってないからな。

 まあ普通に考えたらそうだよな。



 そしてここにきて初めてのタイピングミス。かなり焦っておられるようだ。


 まだ見ぬハルハルさんがアタフタしている様を勝手に想像してくすりと笑ってしまう。


 

 ……なんてかわいい人なんだ。



「勉さん、ハルハルさんにフォローを入れてあげてください」


「そうだな」


 このまま放置してしまうとかわいい人ではなくかわいそうな人になってしまう。




『間違いは誰にでもありますよ。ちなみに俺の本名はつとむです』


 と打ち込んだだけでまだEnterは押していない。


「良いのですか?」


「ああ」


 ハルハルさんにだけ本名を名乗らせるのは不公平だし、いたたまれない気持ちになる。

 だから俺も本名をさらすのが筋だろう。




 そうしてEnterを押し込む指には不思議なほど抵抗を感じなかった。



『勉さんとおっしゃるんですね。とても真面目そうなお名前です』


『ほんとそれ良く言われます。そして春とは全く関係ないですね(笑)』


 続いて、


『ハルハルさんは』


 と打ち込んだところである問題に気づく。


 それはファシリに尋ねるほどの事でもない。だから率直に、


『これからハルハルさんの事をなんて呼んだらいいですか?』


 と本人に尋ねてみる。



『春美と呼んでもらえると嬉しいです。私もツムさんの事を勉さんと呼んでもいいですか?』



『はい。もちろんです。というか、ツムって呼ばれるのまだ慣れてないので本名の方がしっくりきます』


『それすごくわかります! 私もそうなんです!』



 思わぬところで強い共感シンパシー


 さりげなくほっこりしていると、



「おめでとうございます! 春美さんとの親密度が2に上がりました!」


 ご丁寧にくす玉まで割って盛大に祝うファシリ。



「親密度? なんだその恋愛シミュレーションみたいなシステムは」


 するとファシリはよくぞ聞いてくれましたと言わんばかりに得意げに、解説者モードへと突入する。


「親密度レベルは3段階に分かれます。ネット上でのフレンドがレベル1、リアルでのフレンドがレベル2となります。春美さんと勉さんの場合、本名を公開し合ったことでリアルフレンドとみなされレベル2になりました」


 ……確かに言われてみればそんなシステムがあった気がする。


 アルゴリズムではなく、あくまでシステム的な話なのであまり興味が湧かず詳細までは覚えていないが。



「親密度レベルが上がった事でユーザーに何か恩恵はあるのか?」


「様々な機能が拡張されますが、一番の目玉はライブチャットモードが可能になる点です。ライブチャットモードではウェブカメラを介した対面式のチャットが可能となります」


「ライブチャットか……。まだ俺には早いな……て、なんだその残念そうな顔は」


 正直なところ春美さんがどんな顔、声なのか知りたい気持ちはあるが、大事な事を忘れてはいけない。


 ……俺はコミュ力が絶望的に低い。特に女性に対して。


 今は文字チャットで文章を精察してからコメントを送っているから会話が成り立っているものの、常に相手の顔が見える状態で適切な反応を返せるかは全く自信がない。


 というか、こちらから相手が見えているという事は当然向こうからもこちらの表情や仕草も常に見えてしまうというわけで。


 それを意識し始めると何気ない会話でさえ高度な神経推理戦のように思えてくる。


 相手を不快にさせず、かつこちらの意図する事を過不足なく伝えなければならないのだ。



 ……無理だな。



 まあ、恰好だけなら取り繕おうと思えば取り繕える。


 仕事で得たスキル“営業スマイル”を常時発動し、相手が望む理想像を演じ続ければいい。


 でも、これはそういう問題じゃない。やってる自分が虚しくなるだろうし、何より春美さんに対して失礼だ。



「うん。やっぱり俺にはまだ早いよ」



 それが熟考した上で零れ落ちた言葉だった。



 ファシリは何か言おうと開いた口を静かに閉じて、



「わかりました。それではこのまま文字チャットモードでお繋ぎしますね」


 と心なしか優しい声色で答えた。








 

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