She makes me decide. 2
昨日までの天気が嘘のように、今日は朝から土砂降りだった。
昼を過ぎて少しずつ降り止んで来たとは言え、高層階から下界を見下ろすと霧雨が煙るように街を覆っていて実に息苦しそうだ。
今日は土曜日。基本的に会社は休み。
月曜日のプレゼンの準備は午前中に終わってしまって手持無沙汰だ。
しかし天気が天気なので何処かに出かける気にもなれない。
まあ、もともとインドア派なので例え快晴でもスケジュールに変更はなかっただろうが。
PCはスリープモードで机の上。
当然ファシリもお休み中。
……AIだって土日ぐらい休んでもいいだろう。
なんて、くだらない事を考えてふうっと笑う。
「さて、どうしたものか……」
別に焦っているわけではないが、昨日密かな決意を固めた手前何かに取り掛からないといけない気がしてならない。
……何か新しい書籍でも買って読んでみるか?
ネットで注文したら届くのは早くて明日、場合によっては明後日以降になってしまう。電子書籍という手もあるが学生時代に本で勉強したせいか、実物でないとなんとなく頭に入らない気がするのだ。
……しかたない。面倒だが駅の本屋まで行くか。
部屋着を適当に着替えなおして、財布とスマホ、あと小さな折り畳み傘だけ持って準備完了。
手動で部屋の明かりを消し、靴を履き、
……さていくか。
と、玄関のドアノブに手をかけようとした時。
ポーン♪
まるで俺を呼び止めるかのようなタイミングで何かが鳴った。
リビングの方からだ。
何の音かはすぐに察しがついた。
部屋に戻るとロック状態のPC画面にやはりポップアップメッセージが浮かんでいた。
ファシリからのメッセージで、
『ハルハルさんがログインしました』
と。
通知設定を細かくいじった覚えは無いのでどうやらこれがデフォルトらしい。
『ログインしますか?』
の備え付けメッセージをクリックすると、顔認証でロック解除。
そのままFaciliが起動する。
殺風景な箱部屋にポツンと置かれた机に伏して眠る女性。
恰好は昨日と同じふわふわした青みがかったネグリジェで、弛緩しきった穏やかな表情があまりにも無防備だ。
スースーと鳴る寝息に合わせてわずかに上下する背中。中々に芸が細かい。
この演出は恐らくスリープモードからの復帰にかけていると思われ、自分がとるべき行動も察した。が、
「気持ちよさそうに寝てるから起こすのも悪いな。よし、出かけるか」
と言ってノートPCを畳もうとすると、
「ああ、待ってください! 寝たふりですから! 閉じないでくださーい!」
内蔵PCカメラが振り切れそうなほどの上目遣いをして俺の顔を覗き込もうとしてくる。
しかし、遂に諦めたのかキュウン……と、切ない音を残してだんまり。
……少しやりすぎたか?
と、おそるおそる蓋を持ち上げる。
画面に映るのはやはり殺風景な部屋の机に伏す女性。
しかし先ほどとは違い、寝顔が見えない。腕の中に顔を埋めて小さな体を震えさせている。
「……グス……グスグスグス……」
この音源は明らかに。
……まずい。完全にやりすぎた。
「あの……ファシリさん?」
「……」
俺が呼びかけると彼女の体の震えがピタッと止まる。
全くの無言無動。
「あのー、ファシリさん? もしかして怒ってますか?」
「怒ってないです」
旧世代のAIのような無機質な声で即答。
それが逆に怖くて、嫌な汗が額から一筋。
……どう釈明したらいい。いや、釈明も何もイジワルしただけだから、ここは全力で謝るか? なんて言ったら恰好が…いや恰好何て気にしてる場合か?
ただ謝ればいいだけなのに、少しでも体のいい言葉を探して視線が右往左往。
でも、結局見つからなくて、
「……すまん。そこまで怒らせるとは思ってなかったんだ……」
と頭を下げる。と、
「本当に怒ってないですよ?」
柔らかな声に顔を上げると、心配そうにのぞき込む彼女がいた。
眉尻をすんっと下げて、なぜか彼女の方が今にも泣き出しそうな顔をしている。
「本当に? 怒ってないのか?」
「はい」
それを聞いて張り詰めた空気を抜くようにため息をつく。
俺の気が緩んだのを感知したのかファシリもにこやかに。
「実は私も勉さんをからかっていたので、おあいこです♪」
「さては泣き真似したな?」
「はい」
「まったくお前は……」
「でも悲しくなったのは本当です」
「ぐ……」
何も言い返せない。
「勉さんは女性にもっと紳士的に接した方が良いと思います。もしハルハルさんに同じように接したら嫌われてしまいますよ?」
悔しいが正論だ。しかし、コミュ力の低い俺でも流石にそれぐらいはわきまえている。
「心配するな。当然、ハルハルさんにはちゃんと紳士的に接するから」
まったく、随分と気の利く……いや、気が利きすぎるファシリテーターだ。
「それはどうしてですか?」
「え?」
俺はファシリがいう“それ”が何を指すのかわからなくて固まった。
すると彼女はさらに明確に、
「どうして、ハルハルさんには紳士的に接して私にはイジワルするのが当然なのですか?」
彼女の困惑した声色とエモートから嫌味が無い事はすぐに察した。
単純に理由を知りたがっているのだ。
「それは……」
“ファシリがAIだから――”
それが初めに頭に浮かんだセンテンス。
でも、口に出せずに言い淀む。
……俺はファシリがAIだからという理由で彼女の事を軽んじていたのか?
感情が偽物だから?
傷つくことが無いから?
……いや、それは違う。
理性的には彼女がAIであり、感情が再現された物だとわかっていても、つい本物だと感じて感情的に振舞ってしまう。
……だからきっと、
「心を許しているからだと思う」
「本当ですか⁉」
キラッキラな目を画面いっぱいに近づけてくるファシリ。
それに対し、
「あ……ああ」
と、あまりの迫力に少し引き気味に答える俺。
するとファシリは急に真顔に戻る。
ただ、それは俺の感情を読み取ったからというわけではないようで。
「でも……」
そう溢して俯くファシリ。
しばらく考え込んでから、
「それだとハルハルさんには心を許していないという事になってしまいますね」
あっ、確かに。
「えーと……それはだな、つまり……」
「あ! わかりました! 要するに比較の問題ですね? そういう事なら、勉さんが私以上にハルハルさんと仲良くなれるように、この私がしっかりと頑張ればいいという事ですね!」
「あ……ああ、まあ……うん。そういう事……かな」
何か違う気もするが納得してくれたからあえて水を差さないでおく。
「はーい。そうとわかればオフライン表示を解除! 早速お繋ぎさせていただきますね!」
ローギアからいきなりフルスロットルに入れたみたいにはしゃぐファシリに、なぜか俺がエンストを起こしてしまってもたつく。
ハルハルさんはまだ誰とも話していなかったようで、心の準備をする間もなく速攻でつながってしまった。
……さて、今日はどんな話をしようか。
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