She makes me decide. 1


 今日は一日が平穏に過ぎた。


 穏やかに思えたのは空の景色だけじゃない。

 街を吹き抜ける風や駅のホームで電車を待つ人々。

 路地をトコトコと歩く首輪の無い犬。


 あらゆる光景が新鮮に思えて気が緩んでしまう。



 俺はおかしくなってしまったのだろうか。

 


 だがしかし、諦めの境地にも似た達観した感覚は決して気分が悪いものじゃない。


 一日が特に何事もなく過ぎ去っただけで、今日が良い日だった決めつけてしまえる。



 ただ一つ、悪い出来事と言うならば――




「残念ながらハルハルさんはご不在のようです」




 申し訳なさそうに視線を下げるファシリ。

 時刻は21時を大きく過ぎていた。


 “昨日確かに約束したのに”などとは思わない。

 “また明日”なんて軽い挨拶のようなものだ。


 それに自分にとっては待ち遠しくても向こうからしたら大勢いる話し相手の内の一人かもしれないし、昨日はさすがに拘束しすぎてしまって連日話をしてもらうにも気が引ける。



 ……さてどうしたものか。



 新しい話し相手を探す旅に出るか?

 愚痴をこぼす相手を探しに?



 ……ふっ、ありえない。



 今だってアレは気の迷いだったと思えてならない。

 後悔はしていないが味をしめたわけでもない。


 色々と考えた結果、俺はファシリに、


「オフライン表示にしてくれ」


 と頼んだ。


 考えすぎで自意識過剰かもしれない。

 だが、もしハルハルさんが俺がログインしている事に気づいたら、気をつかって話しかけてくれるかもしれない。


 こんな30過ぎのおっさんに若者の貴重な時間を奪わせるわけにもいかないだろう。



 ……と、いうわけで今日の話し相手は“彼女”だ。



「まさか二人っきりのおうちデートに誘って頂けるなんて、私、胸がドキドキします」


 画面には俺のアバターもなく、ファシリだけが丸椅子に腰を落ち着け、わざとらしく頬を赤らめている。

 しかも、ご丁寧にネグリジェのようなふわふわした部屋着に着替え、髪留めまで外してすっかりオフモードというわけだ。


「デート? オフラインをそんな風に捉えるな」


 確かに外からはアクセスできないし、俺も他のユーザーにコンタクトするつもりは無いので、実質二人っきりだが、違うだろ。


 

「ふふふ、冗談です。でも、勉さんと一緒に話せて嬉しいのは本当ですよ?」


「だから……そういうのやめろよ」


 こっちは耐性が無いんだから。

 

「本当に嘘じゃないです! 昨日だって勉さんがハルハルさんと盛り上がってる間、私ほったらかしで寂しかったんですよ?」


「お前何言って――」


 ……いや、いかんいかん。俺は何を本気で受け止めてんだ。

 


 ファシリに感情があるわけがない。

 ただ、嫉妬という感情があるかのように“再現”しているだけに過ぎない


「ファシリ、お前の言いたいことはわかった。なら、今日はお前が俺に質問してくれ」


 ……前回は質問攻めにして困らせてしまったからな。


「いいんですか⁉」


 急に魚眼レンズに映したように顔を近づけるファシリ。

 目がキラッキラしている。


 ……まったく何を質問するつもりだよ。


 恐ろしくなって早くも前言撤回しようと思い立ったが、先に口を開いたファシリに封殺される。


「じゃあ、勉さんが挫折した話をもっと詳しく聞かせてください!」


「それ、そんな嬉しそうな顔で聞く事か⁉ 少しは感情を隠せ!」


 まったく……、あの清楚だった“ファシリさん”はいったいどこへ行ってしまったのか。



「すみません、嬉しさのあまりついつい興奮してしまいました……」


 今度はこの世の終わりみたいにがっくりと。……やりづらい。

 てか挫折話なんて昨日のあれだけで懲りている。


 ……ん、そういえば……。



「ファシリ、お前は昨日のやりとりを聞いてどう思ったんだ?」



 昨晩聞き役に徹してくれていたのはハルハルさんもそうだが、一番は何を隠そうファシリだ。



 俺の質問に対して何らかの演算をしているのか、少し間をおいてからファシリは答える。




「私はハルハルさんの言われたことを支持しています」


 


 ……やはり持論までは持てないのか。



 予想していたとはいえ落胆を隠せない、そんな俺を打ち負かすように――



「――ただ、ハルハルさんもまだまだ優しすぎると思います」



「は?」


 単純に驚いて出た言葉なのだが、ファシリは“どういう意味だ?”と解釈したようで、


「私だったらまず部長さんの弱みを握った上でゆすりまくります。何なら開発部の部長を直接ゆすってでも転属させますね」



「突然何を……てか、それは流石にやりすぎだろ」


 さまざまな個人情報を隠し持っているこいつなら本当にできそうで怖い。



「そうですか? かなり現実的な方法ですよ? 上役に上り詰めるために黒い噂はつきものですから、ネタはいくらでも――」


「お前今めちゃくちゃ悪い顔してるぞ」


 ペロリと舌を出して誤魔化すファシリ。


 しかし今回はまだ、“冗談ですよ”と言わないところが引っかかる。

 


「ちなみにそういった手口を使わない場合、つまり正攻法で俺が開発部に転属できる確率はどれくらいだと思う?」


「六年以上務めた部署から別の希望通りの職場環境への転属、という点にフォーカスし、私が知りうる限りのケースを参照して計算するので少し待っていただけますか?」


「あ……ああ」


 ざっくりした感じでよかったのだが、あまりにも真に迫る感じだったので断る事もできず数分ほど妙にドキドキした時間を過ごした。



 カシャカシャチーン。



 という古臭い効果音まで添えて計算終了。



「勉さんが転属できる確率は……」


「ためなくていいから」


「では人思いに」


「その時点でめちゃくちゃ低いの決定だな」


「はい。ズバリ0.1%です」



 ……ぐ、千回に一回。つまりほぼ不可能ということか。



「ただし、勉さんの場合は押しの弱さ、人脈のなさなどのマイナス因子が強いのでざっくり見積もって0.01%未満です!」


「分かったから、これ以上俺の心を抉るな!」



 ……おかげで絶望感が何倍にも膨れ上がったぞ。



「ファシリ、お前も無理だと思うか?」


「私は無理だなんて思っていません。確かに立ちはだかる障害は大きいですが、克服すれば成功率は50%程度まで上昇します」


「何⁉ 俺はどうしたらいい⁉」



 ファシリが不敵に笑って、俺は悟った。



「はあ……つまり、自分の願望を叶えるには他人を踏み台にする覚悟を持てという事だな?」


 否定しない彼女を見て俺は頭を抱えてふさぎ込む。

 

 ファシリが個人情報を湯水のように与えてくれるなら簡単に成し得てしまえそうだが、そんなことはあり得ないので、自分で人脈を広げて情報をつかんだり、時に犯罪まがいの事に手を染めなければならないという事だ。


 だがどうしても現実感を持って考えることができない。 


「そこまでしないとダメなのか?」


「はい。ただ……」


「ただ?」




「私は優しい勉さんのままでいてほしいと思っています」

 



 その瞬間、昨晩の衝撃が思い起こされる。



“ツムさんはひねくれものなんかじゃないですよ。人より劣っているわけでもないです。ただ、優しすぎるんだと思います”


“ツムさんが本当にAIに情熱を傾けていることだけは文字からだって伝わってきます。だから、私はその思いをぶつけてほしいと思ってるんです”



 ――ハルハルさんも、ファシリも俺が優しい……か。でも俺は、



「俺は臆病者なだけだ」



「勉さんがそれを臆病と感じるのであれば、私はそれを否定しません。ですから、あとほんの少しだけ大胆になってください。そうすれば☆@✖ヴヴヴ……」


「ん? どうした?」


「いえ、何でもありません。ただのエラースクリプトですので気にしないでください」


「ホントに大丈夫か? 何か悪いウイルスに侵されたんじゃ――」


「あ! 今いやらしい事を想像しましたよね? もう~、駄目ですよツ・ト・ム・さ・ん♡」


「んなわけあるかぁッ!」


 といいつつ、零コンマ五秒ほど想像してしまった。はだけたファシリを。

 いや、落ち着け。言われて想像したのはセーフだ、セーフ。


「ふふふ。やっぱり勉さんは優しいままがいいです。どうかありのままの勉さんで頑張っていてほしい。だから私はハルハルさんの意見を支持しているんです」



 ――“ハルハルさんの意見を支持する”ってそういう事か。



 でも、優しいままでいてほしいというのはハルハルさんから直接聞いたわけではない。

 だから少しだけ不安になって、



「ハルハルさんもホントにそう思ってくれてるかな……」


「もちろんです!」


「やけに自信満々だな」


「ふふふ。だって私はファシリテーターですよ?」


「……ふっ、確かにな」



 俺は堪え切れずファシリと一緒に微笑んだ。


  

 具体的に何をどうするのか何てまだ何も決まっていない。

 だが、前に進む事だけは今確信できた気がする。



 ……もう一度だけ頑張ってみるか。




 これまで味わった絶望を忘れたわけではないのに、不思議と何とかなりそうな気がする。


 

 それだけ“彼女”の言葉は俺の中で大きく響いていたようだ。

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