Melt into the ordinary.



 ――そういえば、最近は天気がいい日がやけに続くな。



 社員食堂の吹き抜けのガラス越しに見える雲を眺めながらふと思った。


 今日は風が強いのだろう。

 強い日差しで明暗コントラスト生える雲がまるで競い合うように流れていく。


 いつもなら、こういう空を見ていると心がざわついたものだった。


 どこへたどり着けるでもなく彷徨さまよい続け、最後は風にもまれ綿あめのように引きちぎられて溶けていく様が焦燥感と虚無感を募らせるからだ。



 ……でも、今日は何かが違う。



 まだ人事異動の時期じゃないというのもあるが、部長に直談判しに行くほど扇情的にはなれないし、何か吉報があったというわけでもない。


 日常はいつも通り過ぎているだけで具体的に何が変わったと明言する事ができない。


 思考を宙に浮かべて悪戯に時間を過ごすのもバカバカしくなって。



 ……まあ、いいか。



 と、物思いに耽るのを止めてすっと視線を正面に戻すと、ニヤニヤ顔のやつがいた。



「なんだよ、優。気持ち悪いぞ」


「いや、何かいいことがあったのかなと思ってさ」


「はあ?」


「違うのか? 幸せそうに笑ってたからてっきり……、いや、まあ気にしないでくれ」


 そう言って、箸でつかまえていた白身魚のフライをサクッと頬張る優。


 俺はキョトンしてその所作を眺めるも、まだ昼食の途中だった事を思い出してサラダに箸を伸ばす。



「そういえばFaciliの携帯端末への移行は順調なのか?」


「ああ、日米で共同開発した新しいDRAMを搭載した次世代型スマートフォンが来年度に発売されるから、それに合わせて調整中だよ。実際はそのまま移植する事はできなくて、軽量化の作業が必要だけどね」


 軽量化とはつまり余分なデータを消去してメモリへの圧迫を緩和したり、人間でいうニューロンの数や層を減らして思考を単純化する作業だ。

 恐らく何百何千回という試行錯誤が必要になるだろうから一年程はかかるだろう。


 では逆に、


「機能の拡張は予定されていないのか?」


 という質問をぶつけてみる。


 “機能の拡張”という表現は随分と大雑把だが、広報部に回ってくる情報には限りがあるから仕方がない。

 まあ、優がついポロっと機密情報を吐いてくれる事を期待していないと言えば嘘になるが。


「そうだなー……」


 優の目が泳ぎ、俺は音をたてないように唾を飲み込んだ。が、


「……マイナーチェンジは予定してるけど、しばらくはシステムの簡略化に注力する予定だよ」


  


 ……やはり、新しい情報は得られなかったか。


 そんな俺の腹黒い思考とは対照的に優はさわやかに微笑んでから再びランチにがっつく。



 何とか少しでも情報を引き出せないかと俺は密かに悪計をめぐらせる。

 


 Faciliの事を褒めちぎって気を緩めさせるか?

 それともあえてFaciliの欠陥について尋ね、ヒントを探るか?



 しかし、優は無防備に見えて勘が鋭く、罠に嵌めているつもりが逆に嵌められていたという事は大学時代にも何度か味わい、苦い記憶として残っている。



 などと、頭の片隅で考えていると優が突然立ち上がった。


「ん? どうした急に」


「いや、メシ食い終わったから仕事に戻ろうかと思って」


 見ると確かに綺麗に平らげられている。

 相変わらず早すぎる。


「じゃ、そういうことで!」


「ちょっと待て! 食後のブラックコーヒーでも……」


 立ち上がり呼び止めた俺に一言。


「俺、カフェモカ派だから」


 確かに優は甘党で、ここのバリスタはブラックコーヒーかカフェラテかカプチーノの三択……って、そういうことじゃない!


 などと下らないセルフツッコミを入れている間に、


「あっ、ちょっ……お盆と食器!」


 あとは任せた言わんばかりに去り際に挙げた右手をひらひらさせる優。

 競歩未満の絶妙なスピードでさっそうと逃げていくのがまた一段と腹立たしい。



「……まったく」



 椅子にドスンと腰を落として、仕方なく窓の外を見やると、今まさに消えてなくなってしまいそうな雲が視界に飛び込む。


 俺はその景色をゆったり眺めて口角こうかくを緩めた。

 



 たとえ消えたように見えたとしても水の分子は必ずそこにあり、自然の中を回りまわって絶えず循環していく。


 そんな漠然としたイメージを思い浮かべながら。

 

 

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