プロローグ2

 真鍋勉まなべつとむ、30歳。

 日本で指折りのAI企業「ALIVEアライブ」の広報部で働くサラリーマン。

 

 今となっては当たり前の機械学習およびディープラーニングは2006年頃からの第三次AIブーム突入のきっかけとなった技術であり、汎用AIの登場とともに急速に生活に浸透していった。


 ALIVEは優れた画像診断システムが評価され発展した企業であり、それを皮切りにさまざまな産業向けAIの開発を行っている、日本AI業界をリードする巨大企業だ。


 そんな企業に就職できた俺はとても運がいいと言える。


 だからこれ以上を望んではいけない……はずなのに。



「よお、また一人で昼飯食ってるのか?」


「ふん、余計なお世話だ」


 悪態をつきながらも向かいの席に「どうぞ」と手で指し示す。


 飄々ひょうひょうとした同年代の男は定食の乗ったトレーを机に置くと、さっと席につき、何が楽しいのかにこにこしながら俺の顔を覗いてくる。


「何か用か、ゆう。からかいに来ただけなら消えてくれると助かるんだが」


「唯一の親友にそんな冷たい態度は無いだろ、勉」


 まあ、確かにそうだ。親友と呼べる人間は足立優あだちゆうただ一人と言っても過言ではないだろう。

 やたら軽そうなこの男はこれでいて大学時代は主席だったのだ。


 大学の時に知り合い、志を同じくする友として、また時には同じ企業への就職を狙うライバルとして切磋琢磨せっさたくまし合った仲だ。と言っても、優に勝てたことなど一度も無いのだが。


「一つ勉に頼みたいことがあるんだよ。聞いてくれるか?」


「まあ、聞くだけなら」


 俺は既に食後のブラックコーヒーを嗜んでいたところだったが、聞いてやることにした。

 普段は断るが、吹き抜けのガラス越しに見える秋晴れの空が青々しく気持ちがよかったせいかもしれない。


「それは良かった。俺の部署で開発してるAIのモニターの件なんだが……」


「また、その話か」


 俺はため息混じりにそう言って、つい目を逸らしてしまった。

 しかし、反論するだけの理由はある。


「あのアプリは既に大ヒットした、言うなれば完成されたアプリだ。今更俺がモニターする意味があるのか?」


 そう、二年前に正式なサービスが開始され、瞬く間に世間に広がったコミュニケーション支援アプリ。利用者数は500万人を超えてネットCMも絶賛放映中。

 あまりに売れすぎているため、玄人の俺には広報としての仕事が回ってこないほどだ。


「そうなんだが……ほら、スペックの問題で今はまだPC向けにしかサービスを行ってないだろ? それを再来年あたりを目途にスマートフォンでも利用できるようにしようと思ってるんだ。その作業に移る前にぜひ勉の意見を聞いておきたくてさ」


 俺は思わず目を丸くした。

 まだ社内食堂だからいいものの、そんな情報が外部に漏れたら会社の株価が間違いなく急騰してしまう。そんな爆弾発言をこいつはさらりと言ってのける。

 まったく肝が据わっているというか、無頓着と言うか。それともこれが大物の風格というやつなのか。


「しかしな、俺の意見つったって俺は開発側の人間じゃ……」


「俺は勉の意見はかなり参考になると思ってる」


 優は突然俺の言葉を遮るようにきっぱりと言い切った。


 とてもまっすぐな目。


 優がこういう目をしている時は本心を言っている時だ。


 どうしたものか……。


 俺が反応に困って頭を掻いていると急に、


「じゃ、任せたからな」


 の一言を残し颯爽さっそうと消えて言ってしまった。


 いや、いったいいつ昼飯食ったんだよ!


 と突っ込みをいれる気も削がれ、カップの底に溜まった濃いめのコーヒーをため息とともに飲み干した。





 今日も定時で仕事が終わった。

 基本的にうちの広報部に残業は無い。

AIによるスケジューリング管理で作業の効率化を図った結果実現した素晴らしい労働環境。


 今日もいつもと同じ電車に乗って、いつもと同じ帰り道を辿る。


 電車を降りて10分ほど歩けば家に着くのだが、俺は決まって業務用スーパーに寄って酒のつまみを漁る。別に高級志向は持ち合わせていないので、割引品で十分。


 そしてレジ袋を引っ提げて家につく。


 家と言っても一軒家では無く50階建てのタワーマンション。

 最上階の部屋を買ったのは静かな環境で暮らしたかったから。


 エレベーターが上昇するにつれ街の喧騒が遠退いていき、浮世離れしていく感じが心地いい。


 玄関の扉を顔認証と音声認証システムで開くと、自動的に部屋の明かりが灯る。

 天井の高い開放的なリビングルーム。ロングソファに雑多に荷物を下し、上着を脱ぎながら浴室へ。


 帰ったらまずシャワーがルーチン。


 指輪を外し洗面台の所定の位置へ。

 浴室はやたら広くて快適だが浴槽は滅多に使わない。

 ハンドルを捻り、降り注ぐ水の粒を髪に受ける。


 徐々に浸透していき重くなっていく。心さえも。



 いつからだろうか、このまま物思いに耽るようになったのは。






 惨めだった。






 本当は広報部ではなく、開発部で働きたかった。



 ニューラルネットワークの構築により、人の大脳の機能の一部を再現する事に成功したが、それはあくまで機械がアルゴリズムに従っているだけに過ぎず、厳密には知能があるとは言えない。

 だから、大学時代の俺とゆうはより人間らしいAIを開発できないかと毎日のように議論しあった。


 あの頃はただひたすらに夢を見ていればそれでよかった。



 しかし就職競争は残酷だった。


 ALIVEに就職したは良いが、AI開発はAI業界の中でも先進的で競争力の高い分野。


 主席だった優は開発部への所属が決まり、俺は広報部へと配属された。



 わかっている。



 何の才能も取り柄も無い俺がALIVEに就職できただけで奇跡のような事。


 

 だが、時々思ってしまう。

 優がいなければ俺は開発部に入れていたのかもしれないと。



 人生のイフを考えたところでどうしようもないのもわかっている。

 それにあれからもう8年経過しようとしているのに、俺は広報部のまま何の進展もない。

 自らの力量が足らない事はさんざん思い知らされてきた。


 だが決して広報部が劣っていると思っているわけではない。


 労力に対する給料も羽振りがいいし、AIを世の中に浸透させるのはやりがいのある誇るべき仕事……なんて、もう何度自分に言い聞かせただろう。

 


 完全に諦めたはずなのにトドメを刺し損ねた欲望がふっと顔を出す。



 ……俺はやれるだけの事はしたんだ。


 

 自分を売り込むために広報部としての仕事を必死になってこなした。

 俺は愛想のよい人間じゃないし、コミュ力も決して高くは無い。

 それでも理想的なプレゼンテーターを演じ続けた。

 


 卑屈な自分をただひたすらに押し殺して。



 そして俺はめでたく上司から信頼される模範的な広報部員になった。 

 おかげで上司に異動を頼み込んでも、俺に抜けられると困ると泣きを入れられ断られる始末。



 なら、俺は一体何のために……。




 

 気が付くとシャワーは止まり、顎先から水滴が滴っていた。

 モーションセンサーにより自動的に水流が停止されたのだ。


 それから俺は思い出したように息を吐いてから体を洗う作業に移った。

 




 浴室から上がって体を拭いて髪を乾かし、下着と寝間着に着替えてリビングへ。


 肌に少しひんやりと触れる空気はなぜか新鮮な感じさえする。

 体の汚れが洗い落とされると心まで新しくなったような気分になれる。

 


 ダイニングキッチンの冷蔵庫から冷たいビールを持ち出して、帰りに買っておいたつまみをローテーブルにセットし、ノートPCを開いて置けばささやかな宴の準備が整う。


 お気に入りのネット配信番組を見ながら晩酌するのが数少ない楽しみの一つなのだ。

 

 風呂上がりの一杯が乾いた臓腑にしみわたる。

 それから無造作につまみに箸を伸ばそうとした時。今日の昼、優から頼まれていた事を思い出した。


 AIのモニターの件だ。


 会社でノートPCへのインストールは完了させているので、あとはアプリを起動するだけ。


 しかし、タッチパッドへと伸びる指は重たい。



 あの時は断る理由を幾つか挙げたが、本当の理由は口にしていない。

 何のことはない。ただの嫉妬心しっとしん虚栄心きょえいしんだ。



 より人間に近いAIを作る。


 学生の頃の誓いを優は実直にこなしている。


 コミュニケーションAIはAI開発の中でも最も先進的な分野であり、それ故に課題も多く技術者のセンスや力量がはっきりと試される分野でもある。



 

 俺と優の差はどれほど開いてしまっているのか。




 俺はそれを確認するのが怖かった。


 だから広報部へそれに関連した仕事が回って来たときも、極力関わらないようにした。

 もっと若い者に仕事を回してやるという最もらしい理由を口にしていたが、それは紛れもなく詭弁だ。


 ひたすら意識の隅に追いやってきたそれと俺は今対峙している。


 思い起こすたびに恥ずかしく憂鬱になるこの感情をどうやって発散させるべきか。




 ……いや、もう全てを受け入れてしまった方が楽になれるんじゃないか?




 まるで神から啓示を受けたようにすっと降りてきたその着想に操られるかのように、俺はアプリのアイコンをクリックした。

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