「ギデオン」のち「エリヤ」
無慈悲な轟音と共に降り抜かれた横薙ぎの大剣から繰り出された衝撃波は外見の対象的な二人の青年を軽々と吹き飛ばし。
「もうやめてくれっギデオン?!なんでこんな事」
祐真……こと現在通称『白』は悲壮な表情を浮かべ、大剣を担ぎ睥睨する屈強な戦士へ叫ぶ。
「なんて力だ…迂闊に近寄る事も出来ない…」
冷静にギデオンを観察し警戒を怠る事なく隙を探すエリヤ……こと『黒』
二人は今自分達の置かれている状況も把握出来ていないまま、突如仲間だと思っていたギデオンに強襲され、その圧倒的な力に為す術も無く。
「いつまで逃げ惑う?理不尽を覆す力を手に入れるのだろう?我が汝らの理不尽だ、超えてみよ」
重みのある深い声色で、立ち尽くす巨躯の戦士は鋭い眼光を二人に向けたまま言い放つ。
ギデオンは一切の油断をする事なく再び大剣を前に構え地を蹴る。
「な、なんで……」
下段に構えた大剣を振り抜く様に『白』へと肉薄し一刀の元にその悲壮に歪んだ表情を斬り捨て––––––。
甲高い金属音と漆黒の軌跡が目の前で揺らぎ、必死の形相でギデオンの放った一太刀を受け止める『黒』
「ボサッとしてんなっ、死ぬぞ」
「エリヤ…すまない……」
背を向けたまま立て直す様に促す『黒』を無言のまま。
「ぐぅっ!?」
その膂力に任せ大剣を受け止めていた刀ごと後方に弾き飛ばす。
『白』を巻き込みながら吹き飛び、しかし、身を転がしながらもその視界は迫り来る巨躯をしっかりと捉え、受け身を取り、漆黒の刀を構え。
そこへ問答無用の強刄は容赦無くその刀に振るわれ、刀身ごと叩き斬ると言わんばかりの豪快な太刀筋が次々に『黒』を襲い。
なんとか紙一重で防いでいるが、その凄まじい膂力から振るわれる一太刀は重く、受ける度骨が軋む様な痛みと刀を握る手に痺れを感じ…しかし奥歯を噛み締め死に物狂いでその太刀をがむしゃらに受け止める『黒』
「こんなっところで…!俺はっ死ねない!あんたが誰でどんな目的でもっ関係無いっ、俺は生きる…ただそれだけだっ!」
豪快な太刀筋の軌道を捉え、返した刀を大剣の腹に滑らせながら懐に一歩踏み込み。
「なぜ故、生を望む?」
「それを望んでくれた奴がいる、そして約束したからだぁ!」
力強く踏み込んだ一歩から渾身の一太刀が空を斬り裂き、戦士の野太い首筋を目掛け一閃を放つ。
『黒』にギデオンを殺すつもりなど毛頭無い、しかしその容赦無い斬撃は彼への信頼であり、きっと理解していたから。
「––––––?!」
「その意気や良し!」
既の所で身を屈めたギデオンは大剣を内側に返しその柄で『黒』の鳩尾を勢いよく突き上げ。
「やっぱ、届かねぇか……」
激痛と共にその場に崩れ落ちた『黒』の耳元へ。
「少し休んでおけ…」
そう囁きながらその足を、驚愕の表情でギデオンを見遣る『白』へと向ける。
「我が恐ろしいか?祐真よ」
そう呟きながらギデオンは目の前に座り込んだままの青年を睥睨し。
「なん、なんだよ…もう意味わかんねぇよ…俺が、何したって言うんだよ!?どいつもこいつも訳わかんねぇよ…なぁ、教えてくれよ……」
縋る様に声を絞り出した『白』僅かに怒気を孕んだ声色でギデオンに言い放ち、しかしその手は徐に自身の刀へゆっくりと伸びる。
「わかっておるはずだ、このセカイを力を最初に渇望したのは誰か」
『白』の挙動など気に留める様子もなくギデオンは続け、その心中を悟った様に容赦無く心を揺さぶる。
「俺は、あいつの中に眠っていて…狼の魔獣と戦った時に目覚めたんだ…そんな事言われたって…」
「逆だ…あの時覚醒したのは『祐真』の方…汝は最初から目覚めていた」
「は、何言ってるんだ、ギデオン…あの時エリヤから離れて…おまえも記憶が戻って…それに祐真の方って…俺が祐真だ」
その表情には焦燥が滲み、しかしそれを打ち払うかの様に怒りの色で染まって行く。
ギデオンは目をそらすことなくその鋭い眼光は『白』の瞳をしっかりと見据えたまま、重苦しい雰囲気と共にゆっくりと口を開いて。
「そう、思わされていた……しかし事実は真逆、祐真…いや、エリヤ…と言うべきか」
そう呟いた瞬間二人の間にひりつく空気が流れ、時を止めた様な沈黙が訪れ。
「なにを言ってる…違う、俺が祐真だ…あいつがエリヤの方だろ?!おまえまであの男みたいな事言いだすのかよ…操られているのか?そうか、あの時のレインもきっとあの男に操られて…」
先に沈黙を破り口を開いた『白』はギデオンに見苦しく嘯き、しかし次第に濁り影を落としていくその瞳は『白』の心境を如実に物語っていた。
「エリヤよ、理不尽から目を背けるな、己が運命をしかと見定めよ」
ゆっくりと『白』に向かい歩み寄るギデオン、そんな男を煩わしいものを見る眼で一瞥した『白』は俯きぼやきながら…その拳はしっかりと柄を握りしめ。
「……いみわかんねぇよ…」
「………」
「意味わかんねぇんだよ!」
白い閃光が走りギデオンの喉元を掠める。
「汝は力を求め我をとった、そしてこのセカイに我と共に来たのだ」
しかし動じることなく言葉を続けるギデオンへ手首を返し袈裟斬り…胴体、肩、腕と乱雑にその刃をギデオンへ向けて振るい。
その尽くを呼吸をするかの様に躱すギデオン。
「うるせぇ!俺は知らない、そんな事知るか!」
「目覚めた本来の祐真は、汝の記憶を垣間見てそれを自身の記憶と思い込んだ、そしてエリヤ、汝は本来の祐真という人格を模して成り代わろうとした…」
次第に荒くなる呼吸、乱暴に振るわれる雑な剣技はまるで駄駄を捏ねる子供の様で。
「違うっ!祐真は俺だ、これは俺のものだ!」
そんな剣撃が歴戦の英雄に届く筈もなく、切っ尖をそらす様にゆらりと構えられた大剣をその眼前に向けられた事でその動きは完全に静止させられ。ゴクリと唾を吞む音だけが何も無い静かな空間にはやけに響いて。
「哀れな……」
「黙れよ…たかが刀だった分際で説教なんかしてんじゃねぇえ!」
叫びながら懐に踏み込み肉薄しようとするも、ギデオンの纏う覇気に気圧され足を竦ませる。
「汝、本当は気がついておるのだろう?自身が『彼』の手によって創り出された仮初めの人格なのだと…故に、ゴブリンの村であのような行いを自作自演し、さも『黒』…祐真がやった様に錯覚させた……汝が善行を積んだかのように見せかける為に…」
「『祐真』が目覚めると同時に汝も本来の記憶を取り戻した…『中から見ていた』のは『祐真』の方であろう」
ギデオンは嘆息し、憂いを帯びた瞳を目の前で拳を震わせながら虚勢を張る小さな存在に向け。
その姿は本当に子供の様だった、未完成で未成熟…浅はかで愚直。玩具を強請り地団駄を踏み続ければ与えられると思ってしまっている子供の様で、愛に飢え、愛され方を知らない子供の様で。
「……わりぃかよ、あいつが目覚めるまで…俺は俺だけだったんだよ……俺がどれだけあの化け物に囚われて苦しめられたと思っているんだ…それが、いきなり目覚めた奴に…ふざけんなっ!俺は何も悪くないっ!!俺が祐真だっ!俺が紅月祐真なんだよ!」
出鱈目に振りかぶった刀を叫びながら力の限り振り下ろす、しかしそれを避けることはしなかった––––––。
ガキンと金属を弾く音と共に半ばから折れた刀身が宙を舞い地面に突き刺さり、光の粒子となってその場から消え去った。
「––––––!?」
目を見開き口を開閉する『白』は脱力しその場に崩れ落ち、膝をつき愕然とうなだれ生気の薄れた虚ろな視線を地に落としたまま。
「…いつから、気がついていた」
消え入りそうな、か細い声で呟く。
「確信を持ったのは『彼』の話を聞いてからだが、きっかけとなったのは『暴食』から解放された『祐真』が咄嗟に行使した力だ」
「……ぁあ、アレか…正直俺も驚いたよ」
力なく応える『白』は嘆息し色の無い笑みを口元に浮かべる。
「汝の力は『
どこか悲壮な雰囲気を宿したギデオンの視線は倒れて意識を失っている『祐真』の方へと向けられ。
「汝は…いつから…」
「さあな、最初から…と言えばそうかもしれない。向こうの世界にいた時から俺には常に違和感が付き纏っていた、覚えのない記憶…知っているはずなのに他人としか思えない周囲の人間……レインだけがあの世界で俺にとって唯一偽りの無い存在だった…」
徐に座り込んだ『白』は観念した様に肩を竦め、自身の事を自嘲するかの様に語り出し。
「はっきりと意識したのは、このセカイに来た後だ…夢、なのか…俺は無意識にあの男の姿と声を聞いた…それを境に知るはずの無い映像や記憶が混同して……本当の祐真が目覚めた…その時はっきりわかったよ……俺はこいつの代用品なんだ…って」
名前を奪われ、存在を否定される様だった…暗闇の中で混濁した記憶と感情は心と考えに暗い影を落とし。
気がつけば必死に縋っていた…自分の存在価値を誰かに与えられたくて。
「怖かった…俺の存在を、無かった事にされるのが…たまらなく怖かった…だから俺は…アイツが揺さぶりをかけた時も、必死だった……必死に演じていた…認めたくなかった…認めるわけには行かなかった」
「あの男が俺を祐真の中から切り離した時に俺は自分の力を使って自分自身を具現化させたんだ…ギデオン、あんたが聖霊器として俺と繋がっていてくれた事は僥倖だったよ…化け物に取り込まれる事なく抜け出せたからな」
無気力に語り終えた『白』……エリヤは虚空を見つめていた視線をギデオンに移し「それで?」と続け。
「どうする?全てを祐真に打ち明けてアイツの思惑通り俺を消すか?」
「……」
「祐真も馬鹿だよな…俺に生きろって…正直吐き気がしたよ、そのまま突き刺してやろうと思っていたんだが」
刺々しくその本性を偽る事なく語るエリヤ、しかしその様相は発する言葉とは裏腹に。
「そいつさえ居なければな…目覚めなければ、俺は……そんな奴が一緒に生きろとか…ふざけんなよ…」
弱々しく歪んだ表情に数滴の雫が頬をつたって流れ、また流れ…やがてそれは途切れる事なく。
「『彼』は汝を消そうとなどしておらん、寧ろ…憂いておった、エリヤよ…恐らく––––––」
「嘘だ…出鱈目だ…これ以上、惨めにしないでくれ……」
拳を握りしめ、ギデオンの言葉を薙ぎ払う。先に絶望があるのかも知れないと感じるならば、一時の希望を持つことがどれ程恐ろしい事か…そこに恐怖を感じてしまったら容易に立ち上がる事は出来ない。
何も出来ないのだとしても、全てを拒絶して…理不尽に難癖をつけ、蹲って駄々を捏ねている方が…絶望してしまうより…幾ばくかマシに思える。
そのままでは、何も掴めず…何処へも行けなかったとしても。未来を不確定にしておいた方が……希望がある。
しかし、ギデオンは言葉を終わない。容赦無く穏やかな言葉を…不確実な希望を…縋りたくなるような言葉を投げかけてくる。
「本当にそのつもりならば、この様な回りくどい方法を取らずとも他にやり様はある…」
信じない…誰も信用できない…俺を助ける理由なんて誰にもない……
「だったらなんで……アイツは確かに俺を追い詰めて…」
何で、確かめようとする……望んでいる答えが返ってくるとは限らないのに…ただじっとしていれば良いんだ。
ただじっと…いつか時が来て……何とかなるまで…動かずにじっとしていれば……あの時もそうだった…
「不器用…ではあったがな、我には何かを教え…学ばせようとしている様にしか見えなかった」
「……」
「汝の望みはなんだ……エリヤ」
そんな事決まってる…俺は、誰よりも強くなりたい…認めさせてやる…絶対…俺の存在を…多くの人間に認めさせて……
溢れ出す感情の渦に呑まれ、混沌とする思考の中で彼の口が無意識に紡いだのは虚勢ではなく、ただ心からの願い。
「……生き…たい…俺は、生きたい」
––––––生きたい。
生きてみたい…消えたくない、誰かの代用品なんて嫌だ……俺は、俺でありたい…
掛け値なく、ただ願っていた…打算も無い、狡猾な考えも薄れ…歪んだ生への執着はただ純粋に…遠く見える光に縋るように…身を溶かす混沌の沼から抜け出し…怠慢を振り払い、光に向かい手を伸ばし…走って、走って。
「だから一緒に生きようって言ってんだろ?祐真」
霞んだ視界の先に見えたのは黒髪の青年…鋭い眼光から覗く黒瞳には強い光が宿り、まるで自身を反転させたような様相の青年は無垢な手を差し伸べていた。それが今の自分にはあまりに眩しく。
「––––?!……聞いていたのか……じゃぁわかっているだろ?お前がゆう––––––」
「俺はエリヤだ…それでいい、祐真はお前だ」
黒い青年は真っ直ぐに応えた、その姿からは想像も出来ないほど澄んだ瞳で。
「だから、ちゃんと帰ってやってくれ『祐真』として…レインの所に」
温もりを宿したその表情に嘘偽りの色は無く、素直で淀みのない言葉……馬鹿だと、思った……
「お前…どんだけ、馬鹿なんだよ……また奪うかもしれないんだぞ?お前の存在を…」
試すように発した言葉に迷う事なく首を振ったそいつは、強く気高さすら感じる程意思の篭った瞳で。
「負けない、俺は俺だ…それは誰にも奪わせない、俺が俺である事を否定する権利なんて誰にもないからな」
自分が怖がって進む事を放棄した先に…そいつは簡単に立っていた、理不尽にやってもいない事で悩まされ……剰え自身の存在を乗っ取られそうになって…それなのにこいつは、遥か先に立っていた。
もう虚勢はいらない、くだらない矜持も…言葉も、今は自分を惨めにするだけだから…だから無言で手を取った。
「許すのか」など聞きはしない…こいつは、俺なのだ……誰よりもわかっている…そして、認める…俺自身がこいつなのだと。
互いに理不尽にさらされ、生にしがみつき…寄る辺も無く漂う大海の中心で『自分の存在』を求めもがき続けて来たのだ…目的など疾うに理解している、俺たちは生きるのだ…当然の権利を奪う悪辣な理不尽から奪い取り、勝ち取るのだ……ただ、生きるために。
互いに取り合った手を中心に眩い漆黒と純白の光の柱が登りその余波が放射状に広がって行く。
「これは…共鳴しておるのか……エリヤ殿、貴方はどこまで読んで……」
燦然と輝く漆黒と純白の極光は次第に二人を包み込むように球体へと変化し二色の光は球体の中心から渦を描くように混ざり合って。
刹那––––––。
空間に亀裂が走り、虚構の空が地面が形を無くして崩れていく…四角い立方体の様な様相を顕にし軋むような音と共に崩壊が始まり。
「––––––?!まずい…エリヤ殿の身に何かあったのか……」
そして瞬く間に空間は歪みに風景ごと吸い込まれるように……その場に虚無だけを残し消失した。
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