アメジストセージのせい


 ~ 六月二十日(木) かにくわれる ~


  アメジストセージの花言葉 家庭的



「かにくわれたの」

「昨日は一日、藪の中にいましたからね」

「なんのこと?」


 車の中で、リンゴをむいて。

 食べようとして、フォークで刺した所から二つに割れたリンゴ。


 そんな目に遭って。

 しょぼくれた顔をしているのは藍川あいかわ穂咲ほさき


「……間違ってはいませんが、果肉とか言いなさんな。わざとなの?」

「はっ!? また同音異義語!」

「ウソつけ。今のは絶対わざとでしょうに」


 軽い色に染めたゆるふわロング髪のポニーテールを。

 そんなこと無いのと左右に振りながら。

 頭のてっぺんから生やしたアメジストセージを揺らしていますけど。


 アメジスト色の穂を付けるセージが揺れる度。

 素敵な香りが車の中に漂いますが。


 その鉢植えの方は。

 全然素敵じゃありません。



 今日は、おばあちゃん主催。

 職業体験の日なのですが。


 昨日、わざわざ電車で向かった児童館のお隣。

 なんとか商事などと言いましたっけ。

 堅苦しそうな場所を目指しているのですが。


「今日も、電話番の勉強でしょうか」


 あるいはまた。

 ピザ焼きと宅配の体験でしょうか。


「ねえおばあちゃん。あたしには役に立たないの」


 お忙しいはずなのに。

 わざわざ時間を作って俺たちを連れてきて。

 こんなことを言われたら。


「……そりゃあ、怒り顔になるのも当然とは思いますが」

「お二人とも、性根がよろしくありませんね。仕事について学ぼうという姿勢が足りません」

「いえ。仕事については毎日いろんな人から教わっています。最寄りでは担任の先生と渡さんと六本木君と、偶然遊びに来た生徒会長と葉月ちゃんと、大工のお兄さんと短大生の美穂さんと、あとは父ちゃんとまーくんと……」


 指折り数える俺を見て。

 目を丸くされたおばあちゃん。


 どうやら。

 俺が本気で夢と仕事を探しているということが伝わった様子。


 ……そうだ、ものは試し。

 おばあちゃんにも聞きましょう。


「父ちゃんとまーくんから聞いたことなのですが、仕事は好きな職業に就いて嫌いなことでも一生懸命やるのか、嫌いなことをやらないために一生懸命好きなことばかりやるものなのか、よくわからなくなってしまったのです。どちらの話も正しいのでしょうか? なんだか頭が混乱するのです」


 俺自身、曖昧で。

 何をどう質問したものか分からないというお話に。


 おばあちゃんは真剣に耳を傾けてくれたのですが。

 結果としては、呆れ顔でこめかみを押さえてしまいました。


「そのようなもの、百人に聞けば百通りの答えを得るお話です」

「はあ。やっぱりそういうものですか」

「だからあなたは難しく考えずに、ただ一生懸命おやりなさい。でなければ職など見つかりませんよ?」


 うーむ。

 そう言われると、そんな気もするのです。


 現に、渡さんと六本木君は。

 好きな仕事より安定を求めると言っていましたし。


「やっぱり、ぐだぐだと考えずにすぱっと決めたほうがよろしいのでしょうか?」


 俺の返事に、おばあちゃんは細い顎をくっと引いたのですが。

 そんな凛々しいおばあちゃんの袖を引っ張って。

 ふるふると首を振るわからずやが。


 ……珍しく。

 俺の気持ちを汲んでくれたのです。


「違うの、おばあちゃん。道久君のペースだから、これが合ってるの」

「道久さんのペース?」

「そうなの。道久君、ずっとお花屋さんになろうとしてて、でも美容師に決めたの。もう一年も前に」

「それで今の体たらくでは、そこまで真剣な考えではなかったのでしょう」


 おばあちゃんにぴしゃりとやられても。

 穂咲は、さらに首を振ります。


「ちゃんと勉強してたの。小さなヘアアレンジ大会だったけど、ダリアさんをモデルにしたママを負かしたほどなの」


 この件は初耳だったようで。

 おばあちゃんは、これでもかと目を見開いて俺を見つめます。


「あの芳香さんを? ……穂咲さん。にわかには信じられないのですが、なにか特殊な条件でもあったのですか?」

「ううん? ガチの勝負。でも、その大会で気づいたんだって。道久君がなりたいの、美容師さんじゃないって」


 そこまで聞いたおばあちゃん。

 ふうとひとつ、溜息をつくと。


「……新堂」


 運転手の執事さんに一声かけると。

 車は次の十字路でUターン。


 そして線路沿いを離れて、山へ向かう途中。

 畑の真ん中に、ぽつんと建つお店の前に止まりました。



 木造の平屋という大時代的な建物に。

 日に焼けて、辛うじて『だんご』と読める暖簾が揺れているのですが。


「ここは?」

「先日、藍川が御用達にすることにした和菓子屋さんです」


 え?


 歴史を感じる重厚な旧家なら分かるのですが。

 今にも崩れそうなぼろ屋敷ですよ?


 穂咲と二人。

 口をぽかんと開けたまま。


 至る所から隙間風が吹き込みそうな建物を眺めていると。


「あれ? 藍川様じゃないですか。いらっしゃいませ!」


 高校の制服にヘルメット。

 自転車を手で押す女の子が。

 元気に声をかけてきました。


「……早苗さん。御主人に折り入って、和菓子作りの体験をお願いしたいのですが、お取次ぎ願えますか?」

「そりゃもう! ごひいきいただいてる藍川様の頼みなら、たとえあの唐変木が首を横に振っても、後ろから小突いて無理やり縦に曲げさせますよ!」


 大はしゃぎで引き戸を開いた女の子に導かれるまま店内に入ると。

 慎ましいショーケースに、数えるばかりの和菓子が並んでいるのですけど。


「……びっくり」

「ほんとなの」


 外観からは想像できない程。

 店内は質素ながら清潔で。


 和菓子特有の。

 心が柔らかくなる独特な香りで満たされていたのです。


 カウンターの奥には、奥様でしょうか。

 俺たちが入ると、静かに、丁寧にお辞儀され。


「おかん! おとんに言って、練り切りの体験でもさせたげて!」


 女の子の元気な声に柔らかく微笑みで返すと。

 暖簾を割って、奥の作業場へ入っていきました。


「さてと……。じゃあ、お待ちいただいてる間にお菓子でも振舞っちゃおうかな! そうね、お姉さんからにしましょうか! ちなみに、何年生?」

「そりゃ、ちょっとやそっとじゃ燃えないの」

「いえ、難燃性ではなく」


 相変わらずのボケ子さんに。

 チョップを入れた俺を見て。


 女の子はけたけたと笑いながら。

 真っ白な割烹着を制服の上に羽織ります。


「楽しー! 同い年かな? あたし、一年生だけど」

「お恥ずかしいのです。俺たちこれでも三年なのです」

「ありゃ! これは失礼! お詫びに、当店自慢の品を振舞っちゃいますね! おかんには内緒!」


 ……いやいや、内緒も何も。

 それだけでかい声でしゃべっていたら筒抜けでしょうに。


 とは言え、女の子が手の平で示す三品は。

 確かにどれも美味しそう。


 薄皮饅頭に。

 羊羹。

 そして、アジサイを模した練り切りですか。


「ほんじゃ、お言葉に甘えるの。あたしはお饅頭がいいの」

「俺は……、どれにしよう」


 クーラーもきいていない店内で。

 ショーケースに顔を寄せて、じっくり吟味していると。


 よだれの代わりに。

 汗があご先から一滴。


「うーん。…………よし! これに決めた!」


 そして練り切りを指差しながら顔を上げたのですが。

 そこには、女の子の姿もなく。


「あれ?」


 首をひねる俺の耳に。


「おまちどう! そっちのテーブルへどうぞ!」


 厨房とは違う暖簾をくぐって。

 元気のいい声が届きました。


「いつの間に?」

「さあさあ、早く座って座って!」

「でも、俺もおばあちゃんも注文してないけど……」


 勧められた椅子に腰かけながら。

 疑問をそのまま口にした俺の前。


 小さなガラスのお皿に乗った品は。


「はいよ! お客さんに一番ふさわしい、当店自慢の品だ!」

「よく冷えたメロン!?」


 え?

 なにそれ???


 呆然とする俺をよそに。

 おばあちゃんの前には葛切り。

 穂咲の前には、これまた冷やしたアンコ玉が並べられて。


「いやいやいや。俺だけ和菓子のカテゴリー外」

「あはははは! うちの自慢はね? お客様が欲しい物を作ることなの!」


 女の子はそう言うと。

 お盆をくるりと回しながらカウンターの向こうに行ってしまいました。



「……信じがたいのです」


 思わず口をついたつぶやきは。

 和菓子屋で、なんでメロンを出しますかというツッコミではなく。


 本当に。

 ショーケースを眺めながら。

 冷たい果物がいいとか言ったら怒られるだろうなと考えていた気持ちを。

 ばっちり読まれていたせいで。


「……仕事も間違いないのですが、私は、これに胸を打たれたのです」


 おばあちゃんは、ぬるめのお茶を楽しんだ後。

 葛切りを口に含んで、優しい笑顔で微笑んだのでした。


「道久君みたいなの」


 そして、アンコ玉をちびちびと口に運んでは。

 こちらは少しだけ熱めなのでしょうね。

 ふーふーとしながらお茶を飲む穂咲がつぶやきます。


「俺みたい?」

「うん。道久君みたい」


 首をひねる俺の前には。

 水滴が浮かぶグラスに麦茶。


 ……どこが、どう俺みたいなのでしょう。

 さっぱり分かりませんけれど。


「おばあちゃんが連れて来てくれた中で、ここが一番参考になったかも」

「……そうですか。では、こちらをいただいたら、お仕事を体験させていただきなさい」

「いけね、忘れてました。でも、練り切りって、楽しそうなのです」

「何をおっしゃいます。アンを練る作業を体験していただこうと思っておりますが、その過酷さに、泣いて逃げ出す者も少なくないと聞きますよ?」

「げ」


 良い思いばかりさせていただいて。

 気が緩んでいたようですね。


 さすが、仕事。

 甘い考えではいけないようなのです。



 ……なるほど。

 穂咲が言う、俺らしい仕事。



 結局。



 そういう事なのかな?



「すごいの。あたしの心と体にジャストミート」

「アンコ玉? ……ほんと、あの子、大したものなのです」

「ほんとなの」


 とか、しきりに感心しながら。

 他人のメロンを横取りしようとしなさんな。


「……あ」

「どうしました?」

「かにくわれたの」


 そう呟いた穂咲の見つめる先には。

 真っ二つに割れたメロン。


 欲張ろうとするから罰が当たったのです。


 でも、穂咲の声を耳にした。

 お客様の気持ちを汲む天才が。

 ショーケースの向こうから声を上げます。


「大変! 塗り薬、すぐ持って来るから!」


 そしてドタバタと。

 暖簾をくぐってしまいました。


「……まだまだでしたね」

「まだまだなの」


 偉そうなことを言って。

 くすくすと笑う俺たちは。



 その場でおばあちゃんに。

 正座させられたのでした。


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