アジサイのせい
~ 六月十四日(金) かんしょう ~
アジサイの花言葉 あなたは冷たい
「どう見たってポトフじゃない」
「ポトフじゃないのだよ! ロード君!」
「香りだってポトフじゃない」
「だから、ポトフじゃないのだよ!」
「……ほんとだ! ポトフじゃない!」
「同音異義語なの」
この、コンソメの香りが食欲をそそるポトフのスープに。
おでん種を浮かべるマッドサイエンティストは
軽い色に染めたゆるふわロング髪が、今日は巨大なカタツムリに結ってありますけど。
目の前で観賞しなければならない神尾さんが。
一日、怖がっていたのです。
久しぶりに。
家に帰ったらおばさんに説教しなければいけません。
まあ、それはさておき。
このおでんポトフ。
温かいうちにいただきましょうか。
「あ、忘れてたの。はいどうぞなの」
「いつもの蓋ですか」
そう、蓋さえすればいつまでも熱々ですもんね。
その分、蓋の黄身が固まっちゃいますけど。
……しかし。
今日は朝から嫌なことがあったので。
珍しく、食欲が無くて。
「おでん種が、ちょいと重ためなのです」
「おでんじゃないの」
「ん? これ、間違いなくおでん種」
「おでんじゃないの」
……あ。
またか。
「おでん種と言ったのです」
「おでんだね! じゃなくて?」
「なくて」
「また同音異義語なの」
穂咲と同時に。
いただきますと手は合わせたものの。
なんでしょう。
ここのところボケボケな君に。
妙な不快感を覚えます。
「……梅雨の湿気のせいで、君の頭にカビでも生えたのでしょうか?」
「生えたのはアジサイなの」
「生えてきたらびっくりです」
いや、あながち生えてこないとは言い切れないですが。
でも、生えてくるならきっと。
ボケの花でしょうね。
「せめて、毒の無い花が咲くことを祈るばかりなのです」
「今日のは毒があるの。パパが教えてくれたの」
アジサイの葉には毒がある。
今日は料理前に頭から鉢植えごと引き抜いて。
手を念入りに消毒していましたけど。
俺はコンソメのしみた大根に。
ほふほふとかじり付きながら。
「だから、毒のある花を活けてきなさんな」
文句を言うべきはおばさんの方で。
その植木鉢の方に言っても仕方ないと思いながらも。
クレームをつけてみたのですが。
植木鉢ちゃんは眠たそうなタレ目で。
窓辺に置いたアジサイをぼけっと見つめていたかと思うと。
手をぽふんと打ち鳴らして。
瞳を輝かせて言うのです。
「梅雨時期っぽく、アジサイの葉っぱにお料理盛る?」
「人の話、聞いていました? それをやって病院に行くことになる事故が年に何件あるか知ってます?」
「あ、そうだったの。アジサイには毒があるの」
「そう。アジサイの葉っぱをお皿にするのは、絶対やってはいけないやつです。道久お兄さんと約束なのです」
洋風餅巾着が未だにアツアツで。
ちょっぴりかじっただけなのに大ダメージ。
思わず目を白黒させてあふあふ言っていたら。
穂咲が、妙なことを言い出します。
「道久お兄さん? ……道久君は、どっちかって言うと弟なの」
「何を言い出しました?」
君がお姉ちゃん?
冗談じゃありません。
俺はお兄ちゃんどころか。
お父さんじゃないかと言う程。
毎日君の面倒を見ているじゃありませんか。
「だって、あたしの方がお姉ちゃんぽいの」
「どの口が言いますか」
「お姉ちゃんの、口が」
「減りませんね、口が」
どうにも良くないのは分かっているのですが。
イライラしていた気持ちが言葉に乗って。
つい、冷たくしてしまいます。
いつもは楽しいちくわぶの食感も。
今日はもったりと歯の裏にこびり付く感じが。
気分をいらだてるのです。
……そんな、イライラの理由は三つあって。
一つは、この湿気。
二つ目は、今日も特別授業で雨樋の修理をさせられたこと。
何が特別授業ですか。
体のいい無料大工さんなのです。
そして三つ目は。
出がけに、傘を忘れるなと母ちゃんから三度も言われて。
何度も言われなくても分かってるよと声を荒げてしまったこと。
覆水盆に返らず。
言ってから、胸が締め付けられるほどの後悔。
だって、母ちゃん。
あんなにしょんぼりするなんて。
俺の事を気にしてくれたのに。
なんてひどいことをしてしまったのか。
……イライラとする気持ちが体全部に行き渡ってしまったよう。
コンソメにはちょっと合わないこんにゃくを乱暴にかじって。
丼からスープを直接飲んでいると。
「
「え? なに?」
「癇症なのは、弟の証拠なの。やっぱあたしがお姉さんなの」
穂咲が言うカンショウが。
どのカンショウか分かりません。
そんな空気を察したのか。
穂咲がため息などつきながら説明するには。
「癇症は、すぐ怒る人の事なの」
「君は、たまに難しい言葉知ってますね」
「普通なの。道久君は弟で癇症だから、知らないだけなの」
「そんなこと無いのです」
ホントはイライラとすることを言われたのですが。
ここで怒っては、肯定することになってしまいます。
俺はお兄ちゃんらしく。
平静を装っていたのですが。
穂咲の言葉に。
ちくわを持ち上げた手を。
そのまま止めることになりました。
「おばさん、しょんぼりしてたの」
「……聞いてたの?」
そう言えば。
待ち合わせのあと、何やら問いただそうとする空気を発していましたし。
先に行ってて欲しいと言いながら。
一旦、家の方に戻ってましたけど。
そんな折。
まるで穂咲の心を映したよう。
空が、しとしと。
泣き始めてしまいました。
「……ちゃんと、悪かったと思っていますよ」
「ダメなの」
「ええ、反省してます。ダメな事をしました。……雨が降ってきましたし、母ちゃんの心づくしの出番ですね」
ありがとう。
ごめんなさい。
心に感謝と後悔を抱きながら。
鞄をあさって傘を取り出して。
有難く使わせていただくことに……、あれ?
あれれ?
「しまった」
何度も言われてイライラしたせいで。
しかも、つい声を荒げてしまったことの方が気がかりになって。
玄関先に。
傘を置いて来てしまったようなのです。
短気は損気。
良いことなど一つも無い。
冷たい過去の後悔と。
濡れて肌寒い未来予想図。
そんな。
がっくりとうな垂れた俺に。
見覚えのある折り畳みが差し出されて。
思わず目が丸くなってしまいました。
「……君が持って来てくれたの?」
そう言いながら、傘に手を伸ばすと。
ひょいと引っ込められました。
「なにするのさ」
「おばさんに、ごめんなさいって言わないとあげないの」
「う」
……思わず声を詰まらせてしまいましたが。
でも。
本当は、渡りに船。
実は朝からずっと。
声に出して。
言いたかったのです。
「………………ごめんなさい」
その一言が、暗雲を開いたよう。
今までのイライラが。
胸の痛みが。
すっと引いていくのです。
「……きっと、まだしょんぼりしていると思うので。母ちゃんにメッセージでも送っておきましょう」
すると穂咲は。
俺の気持ちを映すよう。
にっこりと笑って。
再び傘を差しだしてくれました。
……今日の所は。
お姉ちゃんな穂咲。
ありがとうなのです。
ポトフおでんでぽかぽかになったお腹と。
君のおかげでぽかぽかになった胸。
俺も笑顔を浮かべて。
愛用の傘を。
ぎゅっと握り締め…………、ようと手を伸ばすと。
ひょいと引っ込められました。
「なにしてるの?」
「これを渡したら、あたしの傘が無いの」
「バカなの?」
なんというか。
いつも通り。
台無しなのです、お姉ちゃん。
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