ヘンルーダのせい


 ~ 六月十三日(木) しょくしゅ ~


 ヘンルーダの花言葉

        貴方を軽蔑します



 木曜日。

 かつては穂咲劇団によるドラマの再放送の日だった訳ですが。


 それが今は。

 職業体験の日となっています。


「前回と違って、今日は普通の会社ですね」

「この世に普通の会社なるものは存在しませんよ、道久さん」


 しっかりと背筋を伸ばすカキツバタ。

 この職業体験のプロデューサー。

 おばあちゃんがぴしゃりと言い放ちます。


 なるほど、言われてみれば。

 ドラマとかで勉強しているはずなのに。

 一般的な知識として身についていないですね。


 企業によって。

 職種によっても。

 仕事がまちまちなのは当たり前。


 普通の会社などという言葉は。

 どこに対しても当てはまるはず無いのです。


「……あたしのお仕事の役には立たなそうなの」

「それは間違いです。この体験から得られるものが多いか少ないか。それはあなたの心がけ次第ですよ」


 俺に続いてぴしゃりとやられているのは。

 どうしてあたしまでと文句を言い続ける藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、リクルート風に撫でつけて。

 でも、面接会場の入り口で門前払いされそうなほど。

 黄色い、独特な形のヘンルーダを頭にわんさか生やしています。


 ……それ。

 大昔は料理に使われていたようですが。

 ちょいと毒がありますから。

 そうやってぽとぽと落とさない。



「さて、お二人とも。邪魔をしてはなりませんが、しっかり見学させていただいて、しっかり学んでいきなさい。これがいつも通りの光景です」


 おばあちゃんはそう言いますけど。

 いつも通りというのは明らかにウソ。


 だって、俺と居並ぶ皆さん。

 おばあちゃんと、まーくんとダリアさん。


 つまり会長夫人と。

 その息子夫婦。


 会社のみなさん。

 明らかにガッチガチ。


 そんな中から。

 右手と右足が同時に出る。

 ちょび髭のおじさんが。

 俺と穂咲なんかにお名刺など下さいましたけど。


 こんなの渡されても。

 あなたの出世の役には立てませんよ?


「……おばあちゃん。さすがにここで職業体験は無理ですよ」

「道久さんまで何を言いますか。何かを学び取ろうと思えば、大切なものがたくさん手に入る場所なのですよ?」

「とは言いましても。具体的に何かをやらないとさっぱりなのです」


 盛大にため息をつくおばあちゃんの向こうで。

 見慣れない、スーツ姿のまーくんがそりゃそうだよななどと軽口を言ったものだから。


 こんな場所で正座させられてしまいましたけど。

 あなた、この会社を含むグループの偉い人ですよね?


「まあ、いいでしょう。では電話応対を学んでいきなさい。一度聞いて覚えて、以降はあなた方がこなしなさい」

「無茶ですよ!」


 俺の返事に。

 珍しく、冷たい瞳で見つめ返すおばあちゃん。


「……職業に就いて、できぬやれぬという言葉を口にしてはなりません。それは胸に刻んでおきなさい」


 そうなの!?


「でも、できないことはできないって言わないと大変なことになりませんか?」

「できないことは命じません。己で質問し、学び、こなすのが仕事です」


 うそ。

 なんだかすごいことを教わったのですが。


 でも、教わったことについて考察している暇はありません。

 だって、目の前の席で。

 お姉さんが、ぷるると鳴った電話から受話器を取ったのです。


 一度のチャンス。

 しっかり聞いて覚えないと。


「はい、菟葵うさぎあおいデザインです。……いつもお世話になっております。…………次長の加山ですね? 少々お待ちくださいませ。……加山次長。サクラ印刷の斎藤部長から納期確認のお電話です」


 ……えっと。

 たった一瞬のことに情報量が多すぎ。


 なんて会社名でしたっけ?

 次長って前に付けるの? 後に付けるの?

 今、ボタンどうやって押したっけ?


「では、次は道久さんが……」

「むりむりむりむり!」


 できないと言うなと教わったばかりですが。

 無理なものは無理!


 思わず後ずさると。

 俺の後ろで正座していたはずのまーくんに背中を叩かれました。


「そうびくびくするなって! 安心しろよ。俺が電話の取り方を教えてやるから」

「よ、よろしくお願いします!」

「まあ見とけ」


 そしてまーくんは。

 お姉さんの席の電話から受話器を取って耳に当てて。


 フックボタンを指で押さえ付けたまま。

 真剣な表情で電話が鳴るのを待っているようなのですが。


「……なにしているのです?」

「おい! 四十代の連中なら分かるだろ!? ちゃんと突っ込めよ!」


 なにやら憤慨して、笑いをこらえているおじさん達に怒鳴るまーくんは。

 皆さんから軽蔑の視線を浴びながら。

 ダリアさんに腕を引かれて退場してしまいました。



 なんだか分かりませんが。

 きっとろくでもないことに違いありません。



「……では、電話の取り方も教わった事ですし」

「今のから何を学べと?」

「穂咲さん。やってごらんなさい」

「はいなの。任せとくの」

「君は、何を学び取ったの?」


 呆れ半分、不安半分。

 マイナス要素百パーセントで見つめる俺をよそに。

 穂咲は受話器を取って耳に当てて。

 フックを指で押さえたまま待ち構えていたのですが。


 そのうち電子音が鳴り響いたその瞬間。

 間髪を入れずに指を離した穂咲が応対を始めました。


菟葵うさぎあおいデザインなの。……ごめんなの、もうちっとゆっくりお願いしますなの。はい。……はい。はい。確認を取りますので、少々お待ちくださいませなの」


 ……言葉使いはともかく。

 お姉さんが、すっと渡したメモ用紙に必要事項を書き留めた穂咲の電話応対。


 完璧じゃありませんか。



 ――俺は、いつも心のうわべの方では君をバカにしていますけど。

 本音に近い辺りには、君を尊敬している気持ちがあって。


 そして本音の内側。

 誰にも内緒な所には。


 君に、嫉妬する気持ちが眠っているのです。



 堂々としていて。

 大人で。

 俺が出来もしないことを簡単にこなしてしまって。


 社会に出るまで。

 あと半年だというのに。


 メモを渡してくれたお姉さんに。

 至急の案件だと前置いてから理路整然と内容を伝える君に。



 俺は、そんな君の背に。



 追いつくことなどできるのでしょうか。



「あのね? チャーシュー麺三つ、三丁目二十二番のタカナシさんなの」

「追い抜いたっ!」


 呆れた!

 間違い電話ですよそれ!


 お姉さんが代わりに電話を取って。

 おかけになろうとした電話番号の確認などされていますが。 


 フロア一同では。

 苦しそうに笑いをかみ殺して肩を揺する皆さんのお姿。


 恥ずかしいったらありゃしない。


 そして俺のお隣りでは。

 珍しく、おばあちゃんも。


 このべたな笑いに肩を揺すって。

 咳払いなどして誤魔化しています。


「さすがに今のは不合格でしょう?」

「いえ。電話をおかけになった方は、不快な思いなどされていらっしゃらない事でしょう。応対としては合格です」


 まあ、それはそうですが。

 面白かったから、採点が甘くなっただけですよね、おばあちゃん。


「電話応対って、職種で言うと何になるのです?」


 そして、何となくしてみた質問に。

 ようやく平静を取り戻したおばあちゃんが答えてくれました。


「そのような専門職は非常に少ないでしょう。基本的にはなにかしらの職種の方が応対するものです」

「そりゃそうか。では、お姉さんは職種で言うと?」

「私はデザイナーです」

「なるほど」


 社名にデザインと入っていましたし。

 ほとんどの方がデザイナーさんなのでしょうか?


「他の職種の方もいらっしゃるのですか?」

「もちろん。向こうが経理、総務。そのお隣りの辺りがインフラのエンジニア」

「……それがショクシュ?」

「え?」


 なにやら穂咲が割り込んで質問したまま。

 お姉さんを唖然と見つめていますけど。


「ええ。そうですけど……」

「あ、ショクシュだったの。勘違いしたの」


 穂咲が何を言っているのやらまったく分からず。

 一同揃って眉をハの字にして首を傾げます。


「いろんなショクシュが見れるって言うから期待してきたのに間違いだったの。だから仲間も、そこのクーラーボックスに入れて連れて来たのに」


 いつも超難問ばかり出題するこいつですが。

 今日のはさっぱり分かりません。


 誰もが何もリアクションを取れない不思議な状態。

 全員の脳がフリーズする中。

 再び、電話がぷるると鳴り響いて。


 穂咲が受話器を取りました。


菟葵うさぎあおいデザインなの。……イカのシーフードピザはできないの。そのセンもありかなとは思ったけど、違うのを持って来たの。……前にも頼んだの? じゃあ、多分できるの。五丁目のフナキさんですね。はい、かしこまりましたなの」


 ……直前の意味不明発言のせいで。

 けむに巻かれていた俺たちは。


「あ。受注しちゃったの」


 穂咲の大失態を。

 止めることが出来ませんでした。



 仕方がないので。


 デザイン事務所の職業体験は急きょ終了。

 俺たちは、ご近所にあるデリバリーピザで。

 職業体験の続きをする羽目になりました。




「あ、菟葵うさぎあおいデザインに置いてきちゃったの」

「何をです?」

「クーラーボックスの中のギンちゃん」

「……青魚でも入れてきたのですか?」


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