ミズバショウのせい
~ 六月十二日(水)
しがいせん ~
ミズバショウの花言葉
美しい思い出
びっくりすることに。
母ちゃんとおばさんが、碁盤なんか買ってきて。
お花屋の店先に長椅子など出して。
缶ビール片手に。
ぱちんぱちんと石を並べては。
むむむと唸っているのですが。
「……ねえ、お二人さん」
「なんさね?」
「なによ」
「うちにあるから、持ってこようか?」
さっきから。
マスの中に石を置いて。
挟んだ相手の石を自分の石と置き換えてますけど。
そんな巨大なオセロ。
意味わかりません。
そして、やはりと言いましょうか。
今の一手、斜めもひっくり返せるのですけど。
あまりにも遠くに石があるし。
二人して気付いていないようなのです。
「これ、面倒だから石に色塗って半々にするかね」
「サイズに無理がありますって。ちゃんとしたオセロ持ってきますから、早まらないで下さい。それにしても、なんで囲碁なんか始めたのです?」
俺は、ボードゲームを始めたきっかけを聞いたのですが。
この二人は勘違いして。
どうして囲碁を選んだのか。
それを説明し始めます。
「私がチェスならできるって話をしたら、道久君のママが負けるの嫌だからって」
「二人ともやったこと無いものってことで、これになったんさね」
「ちょうどいいわ。道久君がルール教えてよ」
「無理ですよ。携帯で調べていたのですが、これを見てもさっぱり分かりません」
五割方しか理解できませんし。
勝敗の付け方もピンときませんし。
それを頭の固いお二人に説明など。
卑弥呼に携帯カードゲームを教えるより骨が折れそうなのです。
じゃあ、五目並べでもするかと。
石を容器に戻すお二人さんですが。
「なんだか楽しそうには見えないのですけど。ほんとに、なんでこんなことを?」
「だから。私がチェスならできるって話をしたら……」
「そっちじゃなくて。どうしてゲームなんて始める気になったのかを聞いているのです」
俺の質問に。
お二人は、顔を見合わせながら。
「ああ、そりゃあんた」
「老後の楽しみでも覚えとかなきゃでしょ」
「は? 老後の楽しみ?」
何を言っているのかと。
思った端から、ふと気づいたのですが。
母ちゃんはともかく。
おばさんは。
穂咲が卒業して。
家を出ようものなら。
ひとりきりになってしまうのですね。
「道久君のママしか身寄りいないから、今のうちに、宿命のライバルになっておいてもらおうかなって」
「ライバルって」
でも、倒せるもんなら倒してみなと。
ガハガハと笑う母ちゃんに。
よろしくお願いしますと頭を下げるおばさんは。
寂しげで。
真面目な表情で。
だから、俺も。
改めて考えさせられることになったのです。
――俺は。
いつか家を出ることになると思うのですが。
それが当たり前と思っていたのですが。
自立して。
結婚して。
子供を産んで。
そうすることが当たり前なのに。
他の人より、自立心が養われていないことに焦りを感じていたのですが。
でも、父ちゃん母ちゃんからしてみれば。
家族が一人。
今まで、二階に当たり前のようにいて。
一緒にご飯を食べていた子供が一人。
ある日を境に。
いなくなってしまう訳で。
しかも。
おばさんにとっては。
急に一人になってしまうなんて。
……ああ。
どうして、時は過ぎ去るのでしょう。
どうして、人は成長しなければいけないのでしょう。
「……道久君?」
「え? ……ああ、はい。なんです?」
俺を見つめるおばさんの瞳には。
俺が考えていたことがつまびらかに見えていたよう。
「安心しなさいな。……昔、ほっちゃんに言ってくれたんでしょ?」
「え? 何をです?」
「いつか無くなるのが当然の物。だから、一緒にいる間はめいっぱい楽しく過ごすことにするわよ」
……それは、二年も前の事。
おばさんが急に入院して。
穂咲が心底落ち込んで。
だから、励ますために言ってあげたことだ。
おばさんはにっこり微笑んで。
缶ビールをくいっと煽ると。
幸せそうに、ふうと息を一つついて。
「だから。ほっちゃんのこと、よろしくね?」
……久しぶりに。
本当に久しぶりに。
ずるいお願いをするのです。
「まあ、もうしばらくの間は、べたべたしていることにするけどね?」
「しばらくなんて言わずに、ずっとべたべたして下さい。……その穂咲は?」
「ビールが無くなっちゃったから、買いに行ってもらってる」
「ここまでのいい話が、たった一言で台無しなのです」
そりゃそうだと、母ちゃんと一緒にガハガハ笑い出しましたけど。
いや、笑い事じゃなくてね?
「気にしてあげてくださいよ。あれでもあいつ、受験生」
「気にしてあげてるわよ。すっぴんで出ようとしてたから、紫外線対策してから出なさいって言ってあげたわよ」
「気にする内容が違います」
正しいツッコミに。
酔っ払い二人が猛反撃。
ええい、シミがどうだのお肌がどうだの。
うるさいったらありません。
そんなところへ……。
「あ、暑いの、重いの……。ママ、ビール買ってきた……」
「穂咲!? なにその格好!」
「呆れるわね。我が娘ながら」
全員が見つめる先で。
地べたに突っ伏すこの人は
軽い……、いや、重い。
どう見ても重そうなその格好。
ゆうさんのところで買ったのでしょうか。
迷彩の上下に、ライフルのようなモデルガンと、ごつい背嚢を背負って。
ネットをかけた迷彩ヘルメットをかぶって、右手にビールの入ったエコバッグ、左手にピンクのウサギさんポシェットなど握ってますけど。
ヘルメットの上にミズバショウが張り付けてあるので。
対空レーダー装備なのです。
「ちょっと! 一体何がどうなってこうなったのよ!?」
「おばさん、それは穂咲に聞くべきでしょう。なぜ俺につかみかかります?」
「だって! ほっちゃんに聞いたって意味が分からなそうだから!」
「……納得」
俺は、バカな子百パーセントという地面の大の字に。
通訳として挑むことにしました。
「なんでアーミールック?」
「だって……。ママに言われたから……」
「なんて?」
「市街戦対策してから行きなさいって……」
「同音異義語っ!」
勘違いにも呆れますし。
君のコレクションにも呆れますし。
あと、その森林迷彩では。
市街じゃいい的なのです。
「おばさん。こいつ、お日様の紫外線と戦争の市街戦と間違えやがりました」
「うそでしょ? ああもう、どうしてこんなバカな子に育っちゃったのかしら」
穂咲を起き上がらせて、背嚢をひっぺがして。
暑そうな迷彩服の胸元を開いて風を送ってあげていたおばさんが。
「ごめんね道久君。でも、ほっちゃんのことよろしくね?」
「このタイミングでイエスと言うとでも?」
「だよねえ~」
無茶な注文をしながら。
穂咲から外したヘルメットをかぶって舌を出すのです。
そして、横になってた方が楽とつぶやいた穂咲を寝かせてあげると。
そのすぐそばにしゃがみ込んで。
嬉しそうに、髪を撫でていたりするのですが。
「まあ、バカな子ほど一緒にいたいと思うらしいですし。いいことなのでは?」
「そうね。こんなバカなことも、美しい思い出になっていくのよね、きっと」
ぶかぶかのヘルメットを斜に被ったおばさんが。
ふふふと俺に微笑みかけるのです。
……でもね?
「美しい思い出というのは無理っぽいです」
俺の言葉に眉根を寄せるおばさんは。
気付いていないようですが。
あなたに背を向けて寝ころんでる子。
暑さのせいで、よっぽど気持ち悪かったのでしょうね。
そのお口から。
なにやら出し始めてしまったのです。
「これでも美しい思い出と?」
「さすがに美しくはないわね……」
おばさんはため息と共に。
穂咲を引きずって家に引っ張り上げると。
母ちゃんが、ライフルやら荷物やらを抱えて後を追ったので。
仕方なく。
俺がホースで水を撒いて後始末。
……俺にとっても。
美しくもなんともない思い出が。
また一つ増えたのでした。
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