ビジョナデシコのせい


 ~ 六月十一日(火) きかん ~


 ビジョナデシコの花言葉 器用



 雛ちゃんにノックアウトされてから。

 一日、落ち込んでいたと思ったら。


 今日は朝から。

 随分とやる気に満ちていますね。


「頑張らないと。まずは包丁の腕を磨かないと」

「目玉焼き屋なのに?」

「そういうことは関係ないの」

「授業中なのに?」

「そういうことは関係ないの」


 人生いつだって修行中。

 そんな良い言葉を、悪い意味に変えてしまうこいつは藍川あいかわ穂咲ほさき


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を。

 今日は編み込みからハーフアップに結いあげて。


 そこに、赤い花びらの先だけ真っ白。

 群れてぼんぼりに咲くビジョナデシコを活けています。


 そんな穂咲は包丁片手に。

 ニンジン相手に、なにかの特訓をしているようなのですが。

 あご先からは、雫がぽたり。


「今日は蒸すの……」

「衣替えしたばかりですが、もう一枚脱いでいたいほどですね」

「上履きも暑っ苦しいの。サンダルじゃダメ?」

「こないだ買ったお出かけ用のやつね。ダメに決まってます」


 小声で突っ込むと。

 穂咲は机に身を寄せて。

 両足をピンと持ち上げます。


 すると、くたびれた上履きがふたつ。

 机の向こうからこんにちは。


「……この相棒も、そろそろボロボロで代変わり」

「ですかね」

「だから、サンダル」

「ダメに決まってます」


 再び突っ込むと。

 口を尖らせながらも理解はしてくれたようで。


 再びニンジンに挑む穂咲なのでした。


「できたの。でも、まだまだなの」

「……器用ですね」


 なにそれ。

 にんじんで作った一口サイズのパンダ?


「お昼ご飯に使うの」

「ぜひそうしなさい。シチューか何か?」

「フレンチトースト」

「……ちょくで乗ってるの? さすがに却下なのです」

「じゃあ、今めしあがれなの」


 そう言ってパンダを手渡してくる穂咲のあご先から汗がポタリ。


「……今日は蒸すの」


 ほんとですね。

 しばらくの間、この蒸し暑さとお付き合いなのです。


「こまった期間に入りましたね」


 俺がそう呟くなり。

 穂咲は血相を変えて。

 背中をばしばし叩いてきたのですけど。


「何の真似!? 痛いのですが」

「咳して出すの!」


 ……ああ、聞き間違えたのですね。

 困った、気管に入りましたと聞こえた訳ですか。


「喉の気管じゃなくて、カレンダーの期間です」

「そっち? 良かったの。同音異義語なの」

「ですね。句読点の位置の問題にも思えますが」

「じゃあ、ぎなた言葉?」

「それはちょっと違います」


 義鉈ぎなた薙刀なぎなたか。

 単語の途中で区切って意味が変わるのが、ぎなた言葉。


 今回のは、困ったという言葉がかかる位置の問題なのです。



 ――それにしてもここ連日。

 言葉の聞き違えと言いますか、同音異義語の勘違いをする穂咲ですが。

 おばちゃん力が上がってきちゃいませんかね?


 何となく心配になって。

 お隣りを見つめると。



 ちょきん



「…………なにやってんの?」

「ライオン」


 特訓はまだ続いていたようで。

 ニンジン細工第二弾は。

 クッキングばさみで、たてがみを作ったライオンなのです。


「はい召し上がれ」

「いりませんって」


 パンダよりも質が向上。

 相変わらず器用な穂咲ですが。


 でも、いいかげん遊ぶのやめないと。

 えらいことになりますよ?


 そろそろ警戒しておかないと。

 そう思いながら先生へ顔を移すと同時に。


 教科書を教壇に置いた先生が。

 みんなに向けて話し始めました。


「そうだ。授業中だが、忘れそうなので今のうちに回収しよう。面接特別講座の申し込みをする者は、プリントに名前を書いて、下半分だけ提出しろ」


 おお、危なかった。

 間一髪、よそ見をしているのがバレずに済みました。


 教室中から、ちょきちょきとハサミの音が響く中。

 ほっと胸をなでおろしつつ、鞄から既に切ってある申込用紙を取り出すと。


「あ」


 お隣りから聞こえた、短い悲鳴。


「……君は期待を裏切りませんね」

「残念ながら、彼ははキッチンバサミとしての人生を全うしたの」


 今の今まで握っていたハサミで。

 そのままプリントを切っていた模様。


「これからは、よく切れるけどでかくてじゃまなハサミとしての第二の人生が彼を待っているの」

「おおげさな。プリントくらい、セーフでは?」

「うーむ。……プリントなんて中途半端なもんじゃなくて、いっそ完全にアウトなものを切って未練を断ち切らせてやるの」

「君は何を言って……? まてまて待ちなさい!」


 じゃき


 慌てる俺の静止もきかず。

 穂咲がざっくりハサミを入れたものは。


「バカじゃないの!? いくらボロボロで、代変わりを言い渡した直後だからって。上履きを切っちゃう人がいますか!」

「……サンダルにしてみたの」


 そう言われて、よく見てみれば。

 穴をあけたというより、大胆に生地を切り取って。

 ベルト状に生地を残して。


 右足だけ完成したサンダルは。

 随分おしゃれに生まれ変わりましたけど。


「これで。毎日涼しいの」

「ダメです。期間限定、今日だけにしときなさい」


 最大の譲歩をしてあげると。

 こいつはまた。

 俺の背中をバシバシと叩くのでした。


「だから! 気管じゃありません!」

「期間? 勘違いしたの! 違くって、同じ同音異義語をまた間違えたの」

「落ち着きなさい。違うのか同じなのかさっぱり分かりません」

「こら! 騒いでないでとっととプリントを持って来い、そこの二列!」


 おお、危ない。

 今がプリント回収時間じゃなければ。

 間違いなく一発退場だったところなのです。


 でも、まだ気を抜いてはいけません。

 ちょっとでもきっかけを与えてしまうと。

 即、廊下行きにされそうなほど眉根に皺が寄っていますので。


 俺は、穂咲の列の分とまとめてプリントを持って前に出ると。

 先生から質問が飛んで来たので。

 できるだけきっかけを与えないよう気を付けて返事をしました。


「何を騒いでいたんだ?」

「すいません。きかんの同音異義語でもめていただけです」

「……まあいい。では、とっとと帰還しろ」

「へい」


 よし、やり過ごした。

 俺は胸をなでおろしながら。

 席へ戻ろうとしたのですが。


「……なにをしている?」

「え? ですから帰還しようと……」

「俺は、お前の定位置へ帰還しろと言ったのだ」

「……へい」


 結局。

 うまい口実を与えただけになったのでした。



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