ラナンキュラスのせい
~ 六月十日(月) じどり ~
ラナンキュラスの花言葉 金持ち
「き、今日は、バラの花が綺麗です!」
「いや、バラじゃないわよ。あれはキンポウゲ」
「正解なのです。ラナンキュラスという、キンポウゲの仲間です」
軽い色に染めたゆるふわロング髪を、頭の上にふたつのお団子にして。
そこに一本ずつラナンキュラスを挿して。
フライパンの蓋を押さえ付けているのは。
「ロード君! まな板と包丁をセットしたまえ!」
「はい教授」
夏服になって、おろしたばかり。
そんな俺の半そでYシャツを。
すでに鶏の脂でぎっとぎとにさせた
ピンクの花びらを幾重にもつけたキンポウゲの仲間は。
確かに、バラと間違える人、多いのですが。
「雛ちゃん、お花に詳しいのですか?」
「いや、これくらい常識でしょ」
さすが、常に学年主席を課された才女。
一般教養も高レベルと推測されます。
「き、き、今日はご招待ありがとうございます!」
「アタシは迷惑だけど……」
「ヒ、ヒナちゃん!? そんなこと言っちゃダメ!」
小太郎君に叱られると。
しゅんとしてしまう雛ちゃんでしたが。
それでも、教授が威勢よく。
よっ! とか。
ほっ! とか。
掛け声を上げている姿を見てため息と共に顔を上げました。
「……お花先輩って、料理するときはこんなテンションなの?」
「そうですね」
「な、な、なんだか、ちょっと怖い……」
臆病な小太郎君が。
教授の掛け声に合わせて、びくうと反応していますが。
肉の焼ける美味しそうな香りにつられて。
フライパンを眺めながら、ごくりとつばを飲み込んでいるので。
まあ、口では怖いと言いながらも。
料理は楽しみにしているようなのです。
そして蓋がくわんと開かれると。
油跳ねに合わせて芳醇な香りが辺り一面にふりまかれ。
そばでお弁当を突いていた神尾さんと岸谷君ですら。
反射的に、お腹をぐうと鳴らすのでした。
……ごめん。
これだから俺はデリカシーが無いとか言われるのですね。
岸谷君だけ、お腹をぐうと鳴らしていました。
「いい香りですね、教授。お買い得品とは思えない」
「お買い得品の、鶏の胸肉。これをじっくりとソテーして、ここであたしの新兵器投入なのだよ、ロード君!」
「前から使っているじゃないですか」
教授が取り出した、ジャムサイズの小瓶はハリッサ。
それを目の前に突き出されたので、俺は文句も言わずに硬くしめられた蓋をがぽんと開きます。
「もうちょっとでできますので、お待ちくださいね」
「はあ……。コタローもアタシもお弁当あるし、迷惑なんだけど」
「ひとくちふたくち召し上がって、あとは余らせていいのです。俺が番組終了後に美味しくいただきますので」
そこまで言われると、もはや無下にする気も枯れはてたようで。
雛ちゃんは、自前のお弁当を二つ。
自分と小太郎君の前に並べながら。
「そうだね。アタシは残すことになると思……」
「じゃ、じゃ、じゃあ、最初から少しだけよそってください。残すなんてできませんので」
「…………アタシも。少しだけよそってくれ」
慌てて言い直して。
誤魔化そうとする雛ちゃん。
小太郎君のいいところを素直に真似するなんて。
見ていてほほえましいのです。
――脂がぱちぱち弾ける、ぱりっと焼かれた鶏皮に。
教授が、じゃくっと包丁を入れて切り分けて。
地中海沿岸ではポピュラーな調味料、ハリッサ。
この不思議な風味と強烈な辛さがたまらない調味料を、あつあつソテーにたっぷり塗って。
あとは上からとろけるチーズを乗せて、はい完成。
「さあ! 二人とも召し上がれ!」
机の中間にお皿を置いて。
取り皿を渡してあげたので。
これなら安心と、ひと切れ取ってかじり付くと。
「うわ! 辛い! でも、不思議な味で美味しい!」
「うん、ほんと。美味しいわね。……ま、万能調味料だから美味しくて当然とは思うけど、それにしてもいい腕ね、お花先輩」
「当然なのだよ! なんせあたしは、世界一の目玉焼き職人を目指しているのだからな!」
そんな教授の高笑いに目を丸くさせていた一年生お二人。
好評につきふた切れ目に手を出すものと思っていたのですが。
自分たちの弁当を広げだしたのです。
「せ、先輩のも美味しかったけど、ヒナちゃんの焼き鳥の方が、美味しいかな」
「そう? ……偶然なんだけど、アタシも鶏を焼いてきたのよ」
「ほんと!? やったー!」
大はしゃぎでお弁当箱を開いた小太郎君と。
顔を赤くさせて蓋を取った雛ちゃん。
中身が一緒ということは。
雛ちゃんが作ってあげてるんだ。
「……むう。それがあたしの料理を上回る焼き鳥かね?」
「え? あ、あげないよ……?」
そりゃそうだ。
あれだけ嬉しそうにしていたわけですし。
でも。
「じゃあ、アタシのあげるよ」
そう言いながら、雛ちゃんがお弁当箱の蓋に乗せてくれたお料理は。
焼き鳥と言うよりは。
教授と同じく、鶏むねを焼いたものをスライスした品に見えますが。
「少し黒っぽく見えるのは、味付けでしょうか?」
「いや、地鶏なんだけど、こういう色なんだよ」
「へえ。……俺も貰っていい?」
「良いけど……、それより何やってんの? お花の先輩」
いつの間にやら携帯を取り出していた教授は。
自撮り棒で、嫌そうな顔をする雛ちゃんの肩を組んで。
記念撮影などしていますけど。
「……その自撮りじゃない」
「え? ……ああ、なるほど地鶏だったの! 同音異義語!」
「いいからいただきましょうよ教授。この、ちょっぴり乗ってるの柚子胡椒?」
「そう。……味付けはそれだけ」
スライスされた鶏肉を箸でつまんだ手。
教授と同時にぴたっと停止。
「え? 下味も無いの?」
「無い。……なんだよその顔」
「ああ、これは失礼」
雛ちゃん、お料理苦手なのかしら。
まあ、教授だって一年生の同じ頃。
まだ目玉焼き以外の料理を始めたばかりでしたし。
これからこれから。
教授もどうやら覚悟を決めたようで。
きっと、味も素っ気も無いであろう一切れを同時にパクり。
……するとどうでしょう。
俺たち二人の時間は。
それきり停止してしまいました。
「……なんだよ二人して。口に合わなかった?」
いえ、雛ちゃん。
逆。
なにこれ。
めちゃくちゃおいしい。
鶏肉本来の、上品でさっぱりとした風味に。
コクを与えるのは、鶏肉自体から染み出す甘い脂。
ともすればくどくなりがちな鶏の脂も。
お弁当箱の下に敷かれたパスタによって適度に抜かれ。
そのパスタをゆでた際に使ったほんの少しの塩気が移っただけで。
至高ともいえる味に仕上がっているのです。
一口目の感動を再び味わいたい。
そう思いながら残りの半分を口に含むと。
口蓋に張り付いてから、舌に降り注ぐこの不意打ちは。
ほんの少しの柚子胡椒。
これが鶏の香りと相まって鼻から抜けると同時に。
痺れるような刺激が、繊細な味を感じようとしていた脳をカウンターで揺さぶるのです。
味覚と嗅覚と触覚。
三人の芸術家による、手のひらにすら余るほどの小さな小さな作品は。
遥か宇宙にまで俺の意識を吹き飛ばし。
感動の涙がほろりと落ちるほどなのでした。
「なんだ? 柚子胡椒苦手だったか?」
「そ、そうだよね。慣れてないと、ちょっぴりでも辛いから……」
「違うのです。美味しすぎて、思わず涙が零れたのです」
「ええっ!? そこまでうまいか? ……まあ、確かにいい肉だけど」
俺の涙に喜ぶどころか呆れかえる雛ちゃんは。
床に両手をついて崩れてしまった教授を見て、短い悲鳴を上げたのです。
「ちょ、ちょっと。そんなにか!?」
「確かにいいお肉なの。でもこの美味しさは、雛ちゃんの腕あってのことなの」
「そんなのねえよ。冷蔵庫にあったのを適当に焼いて切ってるだけだって」
「がーん!!! て、適当に……」
これが努力の上にあってのことだったなら。
教授とて納得したのでしょうけど。
謙遜かどうなのか、推し量ることはできませんが。
雛ちゃんの『適当』という言葉を聞いて。
心が折れてしまったようなのです。
そして、トレードマークのYシャツを脱ぐと。
雛ちゃんへ託して、廊下へ行ってしまいました。
「……ちなみに、この鶏肉、いくらくらいするものなのです?」
「たしか、包みには五千五百円って書いてあったけど」
「胸肉一枚で?」
「胸肉一枚で」
なるほど。
五十倍も違えば。
当然と言えば当然の結果。
それより。
胸肉一枚五千五百円って。
雛ちゃんのお家。
お金持ちさんだったのですね。
だからですよね。
安い生地は、肌に合わないのですよね。
「なあ。これ、迷惑なんだけど」
「そこまで嫌そうに摘まんでぶら下げないで下さい。安物のYシャツだからって」
「いや。あんたのだから嫌なんだが」
……安物だからということにしといてくださいな、そこは。
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