リーガルリリーのせい


 ~ 六月六日(木) かんせい ~


 リーガルリリーの花言葉 無垢



 有言実行の人、穂咲のおばあちゃん。

 放課後、そんなおばあちゃんに連れられて。

 立派な社会人になるためと。

 職業体験をすることになりました。


 しかし。

 これは。

 職業体験というより。

 短期バイトのようなもの。


 しかも。

 極めて過酷。


「待つのです! 今はお絵かき教室でしょうが!」

「いやー!」

「あたしもいやー!」

「そんなこというやつはかいじんだー!」

「たおすぞー!」

「いたた! 子供といえどキックは痛い!」


 ここは小さな保育園。


 もちろん、素人が面倒を見て問題になったら大変ということで。

 おばあちゃんがわざわざ保育士の資格を持つ方を四人も増員して。

 厳戒態勢で挑んでいるのですが。


「た、担当の子、全員の様子に目を光らせるなんて無理なのです」


 でも、無理の一言で逃げるわけにはいきません。

 自分にとっては受け持ちの三人。

 その一人一人が、預けた方からすれば命より大切な宝物。


 絶対に怪我なんかさせちゃいけないのです。


 ……そう、思っているのに。


「こら、ゆうくん! 走っちゃダメ! たけしくんはもう、蹴るのやめてください。あれ!? あいかちゃんどこ行った!?」

「私の所にいますよ。……道久さん。真剣に目を光らせる姿勢は及第点ですが、それではお子様がリラックスすることはありませんよ」

「とは言え真剣にやらないと……」


 そんなおばあちゃんが無言で手招きすると。

 騒いで走り回っていた子供が黙って近寄って。

 おばあちゃんの着物を摘まんで静かにします。


「……何の技を使ったのです?」

「技などありませんよ。この人に嫌われたくないと思ってもらえるだけの愛情を持つだけで自ずとこうなります」

「…………いや、なりませんて」


 そう言ってはみたものの。

 気付けば幾人もの子が集まってきて。

 みんな、おばあちゃんの周りでほんとに静かになってしまいましたし。


 絶対に何かの技に違いない。


 ――おばあちゃんの助けで。

 ようやく人心地。


 そして改めて思います。

 保育士さん、大変なお仕事なのです。


 もちろん。

 仕事に貴賓など無いとは思うのですが。


 それでも、子供の面倒を見るということは。

 ちょっとレベルが違うと感じてしまいます。


「道久さんはだらしのないことです。その点、穂咲さんはよく分かっていらっしゃいますよ?」


 おばあちゃんが言うように。

 穂咲は五人の子供を受け持っておきながら。

 見事に仲良く遊んでいますけど。


「あれは、ちょっと違うと思いますけど」

「……まあ、そうとも言えますね」


 俺たちから少し離れた辺りで。

 歓声があがりますが。


 この人、面倒を見ているというより。

 子供と精神年齢が一緒だから。

 ただ、遊んでるだけ。


「なんの歓声なのです?」

「お城のかんせいなの」

「お城は歓声上げないでしょうに。……ああ、模造紙にクレヨンのお城が完成したのですね」

「同音異義語!」


 いつものように拍手をして。

 無邪気にはしゃぐこのおともだちは藍川あいかわ穂咲ほさき


 学校では髪を結って、強い日差しを受けると白から濃紫に変色する不思議なリーガルリリーを活けていましたが。

 さすがに今はストレートに落として、髪を上着の中に突っ込んでいます。


 ……いや。

 しかし、君のその上着。


「大人用スモックとか。似合い過ぎてびっくりです」

「そんなことより、もう書くとこが無いの」


 穂咲の周りにいた子供達も。

 クレヨンを手に、既に全面塗りつぶされた模造紙をしょぼんと見つめていたのですが。


 一人の子が、床にちょくで花を描き始めると。

 周りの子達も真似をし始めます。


「ちょおっ! クレヨンで床に描いちゃダメ!」

「だめ?」

「だめです」

「やーだー!」

「これがね! こう、かけるの!」

「描けてもダメです。ほら、お姉ちゃんもダメって言ってるよ?」

「なんでダメなの? ちっとくらいいいの」

「君はなぜそっちチーム? あと、相変わらずすっげえうまいね」


 なんて見事なバラ。

 でも、すぐ消しなさいよ何やってんのさ。


 俺は苦笑いで見つめる正規の先生方にお詫びをいれながらも。

 子供達と上手に接する穂咲に。

 少し感心して……。


「だから。花瓶を書き足さない」


 少し感心して。

 そして残りの九割九分。

 やはり呆れて頭を抱えるのでした。



 ――そんな目まぐるしい時間も。

 お母さんが迎えに来て。

 一人、また一人と帰っていくと。


 急に寂しくなってきます。



「さあ、先生にさようならは?」

「せんせーさよーならー」


 そして、俺を散々蹴飛ばした男の子がお家に帰って。

 最後に一人だけ残ったおかっぱ頭の女の子。

 穂咲の膝で、楽しそうに歌を歌っていたのですが。


「あれ? 藍川先輩!?」

「葉月ちゃんなの。どうしたの?」

「妹を迎えに来たのですが……」

「え? じゃあむつみちゃんって、葉月ちゃんの妹さん!?」


 それはびっくり。

 意外過ぎて開いた口が塞がりません。


 でも、葉月ちゃんが帰るわよと睦ちゃんに声をかけると。


 穂咲にぎゅっとしがみついて。

 見ているだけで悲しくなるほど。

 押し殺した声で、すんすんと泣き始めてしまったのです。


「……おばあちゃん。この子は、今日はあたしが面倒見ることになってるの」

「その通りです。とは言え、私は時間で戻らねばなりませんので、ここでお別れなさい」


 もちろん、保育園だって閉めねばいけませんし。

 ここでお別れになるのが当然なのですが。


 一番の子供が。

 わがままを言い出します。


「もうちっと一緒にいたいの。おうちまで届けてあげてもいい?」


 知り合いのようですし、ご迷惑でないならと。

 おばあちゃんは葉月ちゃんに頭を下げて下さって。


 そして俺たち二人だけ。

 葉月ちゃんのお家までご一緒させていただきました。


 でも、スモック姿の穂咲に抱かれた睦ちゃん。

 お家についても、バイバイが嫌だから。

 ずっと穂咲に抱き付いて泣いたまま。


 せめて眠っちゃうまでと。

 そんな約束が延々と続き。


 気付けば電車も無くなってしまったのです。



 ……

 …………

 ………………



「お前は社会人を何だと思ってるんだ」

「社会人である前に、父ちゃんだと思ってる」


 車で迎えに来てとヘルプを入れた所。

 むすっとした顔を肩に乗せてやってきたのは父ちゃんでした。


 そして葉月ちゃんに慇懃にお礼を言ったあと。

 こんな調子で、助手席の俺に向けてずっとお小言なのです。


「……覚えておけ」

「なにをさ」

「社会に出たらそんな理屈は通用しないし、お前に子供が出来て同じことを言われたら、そんな甘えたことをいちいち聞かずに自腹でタクシーで帰るように言え」

「しょうがないじゃない。寝ちゃうまでは一緒にいるって約束したので」


 俺が説明しても。

 父ちゃんはむすっとしたまま。

 バックミラーをちらりと覗きます。


 そこに映っているのはおそらく。

 後部座席で横になったスモック姿の穂咲。


 そう、眠るまでという約束。

 子供はすぐに寝ちゃったのですが。

 目が覚めた時に自分がいないと睦ちゃんが泣いちゃうからと。


 バカなことに、こいつが家に帰りたくないと嫌がって泣き出して。

 ……自分が眠るまでという約束に変わってしまったので。

 こんな時間になってしまったのです。


「重かったのです」

「俺に牛丼以上の物を持たせるなといつも言っているだろう。明日は筋肉痛だ」

「ほぼ俺が持って運んだのですが」


 それきり父ちゃんは黙ってしまったので。

 俺は何となく後ろへ首を向けます。


 ……この人。

 幸せそうに、口を開いて眠ったまんま。


 よくこれだけの騒ぎで寝てられますね。



 今日は、睦ちゃんを抱いたまま泣きはらしたので。

 明日は顔がむくんでいることでしょう。


「……メガネでもかけて誤魔化すよう言ってあげましょう」

「ん? メガネ仲間が増えるのは嬉しいな」


 そう言いながら、くいっとメガネを押し上げた父ちゃん。

 今日は、そんな父ちゃんからも。

 仕事について、いろいろ聞けた日になりました。



 ……仕事に貴賓は無いので。

 きっと、今日の俺より遥かにお疲れの所。



 ありがとう。


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