第9話

 クラスコンパの次の授業が終わったあと、教室を出ようとする敏夫に、美鈴が声をかけてきた。

 「ねえ、宮本くん、今日お昼空いてる? 一緒に食べない?」

 「え、あー、先約があるんだ」

 美鈴は露骨にがっかりしたようだった。敏夫は少し困り、思わず言ってしまった。

 「よかったら紹介するよ。『人類学』で一緒の奴なんだ」

 「あ、そうなの? 分かった。私もね、いつもはサークル部室で食べるんだけど、今日は気分変えたくて」

 敏夫は場所を教えて、それぞれ次の教室に向かった。


 昼休みに例の芝生に行くと、美鈴と孝彦がそれぞれ別のベンチに座って待っていた。敏夫はそれぞれに声をかけ、三人でベンチに腰掛けた。

 二人のことは、共通の知人として、敏夫がそれぞれに紹介した。美鈴は孝彦を見ると、少し驚いたようだった。無理もない。これほどの美形はそういるものではないから。

 美鈴は敏夫と孝彦両方に平等に話しかけながら、持参したサンドウィッチを食べていた。美鈴がよく気配りすることに敏夫は内心安堵していた。案外、いい女の子かもしれない。

 それに、クラスコンパのときとは打って変わって、美鈴は自分のことを話した。このシチュエイションで、自分が主役にならなければならないと、本能的に感じたのかもしれない。その話は、たわいのないものながら、人を気持ちよくさせるようなものがあり、敏夫はそれにも感心した。したがって、このお昼時間が、恐れていたようなぎくしゃくしたものとはならず、朗らかな楽しい雰囲気に終わったことで、敏夫は内心ほっとしていた。

 夜家に帰ると、美鈴から電話がかかってきた。

 電話では、昼に顔を合わせて話したときより、いくぶん緊張しているような声音だった。

 「ごめん。夜に…。おうちの人が出たらどうしようかと思ってた。あの、今少しいい?」

 「うん、いいよ」

 「今日は楽しかった。ありがとう。あの、ね」

 「うん」

 「どうしても直接言えなくて、電話でごめん。宮本くん、私とつきあってください」

 「ええっ」

 電話の向こうは少し沈黙した。

 「ごめん、無理ならいいよ。仕方ないもの。いきなりでごめんなさい。忘れて」

 早口で動転していた。敏夫は慌てた。

 「その、ごめん。ぼくもいきなりで、びっくりして。つきあうって、あの、交際するってこと?」

 「決まってるじゃない」

 今度は敏夫が沈黙した。かすかに震える彼女の息遣いが、電話を通しても聞こえるような気がした。

 「じゃあ、正直に言うけど、ぼくは考えてなかった。そういうこと言われるなんて初めてで」

 「うそ。昔からもてたでしょ」

 「いや、いないよ。ぼくは人見知りだし。初めてでだから、なんて言っていいかわからない」

 「だめ?」

 「だめ、というか、考えたことなくて。とりあえず明日また会おうよ。ぼくもそのときまでに考えておくね」

 先延ばしするのは酷な気がしたが、今の敏夫は動転してしまい、何も言いだせなかった。

 「うん、待つね。待つねっていっても明日までよね。あのね、無理はしないでいいから。私がどうしても言いたかっただけだから」

 明日会う時間と場所を決めて、電話を切った。どっと疲れた。電話で話しているときは、とにかく動揺していたが、終わってみると、明日までに結論を伝えると約束してしまったことを後悔した。実のところ、電話で話している間から、結論は大体敏夫の頭のなかにあった。

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