第3話
敏夫はアルバイトを複数入れられるようにスケジュールを組んでいた。
まずは、家庭教師。週に二日。それからパン工場の深夜バイトを不定期に入れていた。
初めは気づかなかったのだが、驚いたことに、パン工場のバイトで、一般教養でよく見かける男子学生とばったり遭遇した。
向こうが先に気づいた。
「ねえ、君、…授業一緒だよね」
「人類学?」
「そうそう」
男子学生は笑った。敏夫は、彼が自分を覚えていたことが意外だった。なぜなら、その男子学生は際立った特徴的な容貌をしていたので、敏夫の方は一目で顔を覚えてしまっていたが、敏夫自身は、自分をさほど特徴のない顔立ちだと思っていたので、あまり人に覚えられているとは思っていなかったのだ。
「君もこのバイトやってたんだね。きついけど、割いいからね」
「うん、そうだね」
答えながら、敏夫は彼が、まさに美男子といってよい大きな目、長いまつ毛、高い鼻の大づくりな顔立ちをしているわりに、普段の服装が極めて質素なことを思い出していた。
真夜中の工場の休憩所で、同じ大学の同級生と思いがけず遭遇したことによって、敏夫はいくぶん気持ちが弾んできた。さらに問いかけたい気になったときに、休憩時間終了のブザーが鳴ってしまった。
だが、その男子学生は、向こうから「終わったら一緒に帰ろうよ」と声をかけてきたので、二人は待ち合わせ場所を決めて、再び工場の作業場に戻っていった。
「駅前にファミレスがあったでしょ。あそこ行こうか。始発まで粘れるし」
仕事が終わって給料を受け取ると(日払いのバイトだった)、待ち合わせの更衣室の前で、その男子学生は言った。
「そうしようか。…あのさ、名前なんだっけ?」
「高森孝彦…たか・たかで面白いでしょ」
彼、孝彦は明るく言った。
深夜のファミレスは、空ろな目をした人たちが多い。敏夫はそう思った。深夜に不似合いなほど明るい声を張り上げる従業員が、どこか痛々しく思える。
けれど、同時に非日常な感覚も湧いてくるのだった。ことに今日は、孝彦と一緒だったから。
孝彦はさっそくメニューをひろげた。丹念にページを眺めたあと、彼は「決めた」といって、一番安いパスタを指さした。
敏夫は気がひけて、「俺も同じのにするよ」と答えた。
一応、ドリンクバーはつけた。いくら深夜でがら空きとはいえ、ずっと粘るのは気がひけた。
注文したあと、何となく間が悪くなり、敏夫は控えめに聞いた。
「君はいつもバイトの後、ここに来るの?」
「ううん、いつもは駅前で時間潰してる。でも今日は特別」
孝彦は見かけによらず屈託がない人懐こそうな性格のようだった。
「どこの出身?」
お決まりの導入から会話は進んだ。分かったことは、彼が鹿児島の出身で、一浪しており、奨学金を受けていることだった。敏夫は九州といってもピンとこなかったので、あまりそれ以上話が進められない。敏夫の自己紹介、横浜から通学していること、現役であることなどをはなすと、やや会話が途切れた。
やがてパスタが来て、二人はドリンクバーを取りに行った。
「ぼく、母子家庭なんだ」
パスタを食べ終わり、アイスコーヒーをもう一杯、取りに行って戻ってきたところで、おもむろに孝彦は話し始めた。敏夫は何となく納得がいった。どこか人懐こそうな優しい感じは、母子家庭の男子によくみられるものだったからだ。以前の高校の同級生に、そういう男子がいて、敏夫はその雰囲気と孝彦が似ていることに気づいた。
「だからなるべく迷惑かけたくないし、バイトしてて、サークルは最初入ったけど、無理だった」
「何のサークル?」
「合唱」
確かにそれは難しいだろう。
「そういえばいい声してるね」
「宮本くんは?」
「俺は…俺も入ってないよ。やっぱりバイトしないとね」
「君も貧乏なんだ!」
「…まあね」
それから、二人はたわいもない授業のことや選択科目のことなどを語り合い、始発で帰った。方向は、真逆だったので、ホームで別れた。
「ぼくは結構あのバイトやってるから、また会えるとうれしいな」
最後に孝彦はいい、手を振って先についた電車に乗って去っていった。もちろん同じ授業があるので、会うことはまたあるはずだが、そうではなくバイトで会いたいということだ。敏夫もその後まっすぐ家に帰り、午後の授業に間に合うぎりぎりまで寝ることにした。
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