◆2-10 ウィル

 なにを目にしているのか、わからなかった。


 少女が横たわっている。

 十歳にもならない小さな女の子。繊細なレースで飾られた純白の司祭服がとても似合う、清廉で、愛らしくて、優しい女の子。



 その子から血が溢れている。



 青ざめた顔。力ない手足。人形のように肢体を投げ出した少女の傍らには、血で汚れたオリハルコンのナイフがある。

 静止する世界の中で、彼女から染み出す赤い水だけがじわじわと広がっていく。

 

 これはなんだ。なんなんだ…………?


「なにをしている!」


 鋭い叫びにビクッとした。


 振り返ると、石柱の間に光が見えた。ロッドの先端に青白い光を灯した魔法使いと獣人のウルフがいた。

 魔法使いが愕然とした顔でこちらを見た。


「なんてこと……!」


 そのとき、ミニ神官が「かはっ」と血を吐いて苦しそうに喉を鳴らした。


 生きてる。


 わかった瞬間、金縛りがとけた。


「手を貸してくれ! 回復魔法は使えるか!?」


 離れたところに立つ魔法使いたちに叫び、上着を脱いでミニ神官の傷口に押し当てる。少女は痛みに体を引き攣らせ、声にならない悲鳴をあげた。


「我慢してくれ。すぐ止血するから、がんばれ!」


 血は布に染みこむばかりで止まらない。


 これじゃだめだ……!

 

 左手で傷口を圧迫しながらベルトの道具箱を探る。武器や罠の道具ばかりで治療に使えそうなアイテムが見つからない。


「神官殿から離れよ」


 なにかないか!? 薬草で止血できるか、回復魔法は!?


「急いでくれ! 治癒剤、薬草、なんでもいいからこっちに」

「下手な芝居は結構!」


 怒声が俺の声をかき消した。


「は?」


 二人は一歩も動いていなかった。


 ウルフが燃えるような眼差しで俺を凝視する。


「ヌシがやったのだな」


 瀕死の少女。少女の血に汚れたオリハルコンのナイフ。その傍らにいる俺。


 ―――――――――――――――――――疑われてる。


 理解したとたん、ゾッとした。


「違うっ」


「このダンジョンにいるのはワレら五人のみ」

「俺もここに来たばかりで」


「神官殿はヌシを追っていかれた」

「知らない……っ」


「そのナイフはなにか!」

「知らない!!」

「オオオオ!」


 ウルフが雄叫びをあげて襲いかかってきた!


 十メートルほどの距離を一瞬で詰め、丸太のような腕を振るう。

 ブンッ、と空気を裂く音がしたかと思うと、俺の鼻先をかすめた一撃が岩を砕き、地面に深い爪痕を残した。

 なんてばか力だ!


「待った! 話を」


 体勢を立て直しながら叫んだとき、視界の端で光が弾けた。

 無数の炎の矢が放たれる。


「くそっ!」


 俺は走った。かかとや腕をかすめ、ガガガッ! と炎の矢が地面や壁に突き刺さる。


 魔法使いの攻撃が止むと、息つくひまもなく虎男の爪が迫った。

 ナイフで防ごうとしたが、筋肉の塊から放たれる一撃に体ごと吹き飛ばされた。


「ぐ……!」


 背中から壁に叩きつけられ、衝撃で呼吸がつまる。


 だめだ、話ができる状況じゃない……!


 怒号をあげて、ウルフが突っ込んで来る。俺は素早く懐を探り、煙玉を地面に叩きつけた。


 ボンッ! と爆発音が響き、臭気と煙が飛散する。


「ガアッ!?」

「きゃ!」


 魔法使いとウルフが怯んだ隙に、坑道へ転び出た。

 振り返る余裕もなかった。どこへ向かうかも考えずダンジョンをひた走る。


「はあ、はあ、どうなってる……!?」


 握りしめたオリハルコンのナイフに視線が吸い寄せられた。

 太陽の輝きを閉じこめたような美しい刀身が、鉱石の光を受けて妖しく光る。勇者にだけ与えられる特別な一振り。


 なんでこのナイフが!?

 誰の仕業だ、誰が神官を襲った!? 魔物か、違うここに魔物はいない、いるのは俺たち候補者だけ――――



〉。



 やっぱりのか。

 試験問題のプリントミスでも主催者側の配置ミスでもない、俺たちの中に〈五人目〉がいる!


 そのとき、ミシッ、と前方で岩が軋む音がして、いきなり通路の壁が吹き飛んだ。


「っ!?」


 ガラガラと壁が崩れ、土煙が巻き起こる。

 俺は腕で顔をかばった。


 こんどはなんだ!?

 

 土煙の中にぬうっと巨大な影が生まれた。一見穏やかに見える丸みを帯びた顔と肩。その胸板は分厚く、腕は丸太のように太い。

 巨大な虎が底光りする金の目で俺をねめつけた。


「ウルフ……! どうして俺の居場所が」

「笑止。ワレの鼻を見くびるとは」


 長い尾を鞭のようにしならせて天狼門の長は獰猛に笑った。そういえば獣人って人間より嗅覚が優れてるんだっけな。だからって壁をぶち抜くなんて反則だ。


 まずいな、どうにかふりきらないと……!


 ジリッ、と俺の足が下がった刹那、


「逃さぬ!」


 土埃を裂いて鋭い爪が飛んできた。とっさにナイフのバックで受けると火花が散った。


「待て、話を聞いてくれ!」

「卑怯者の戯れ言など片腹痛いわ!」


 くそ、やるしかないのか!?

 戦う理由はない、でも何を言っても見苦しい言い訳としか受け止められないだろう。


 ウルフの爪を弾き、バックステップで距離を取る。


 張り詰めた空気があたりを満たす。


 周囲に目を走らせ、武闘家に視線を戻した。

 接近戦に特化した筋骨隆々の体。その動きは強靱でしなやかだ。人間よりずっと能力値が高い上に、分厚い毛皮がダメージを軽減させる。まいったな、こっちは一撃で気絶しそうなのに。


 けど、スピードは俺が上だ。

 オリハルコンのナイフを左手に持ち替え、腰からもう一振りを引き抜いた。


 行動はほぼ同時だった。


 だんっ、とウルフが地面を蹴る。

 刹那、俺が渾身の力で放ったナイフが空気を裂いた。極細の光の線が流星のように閃くが、ウルフは首を傾けただけで回避し、爪を振るった。


「ルァア!」


 肉薄する巨大な爪をどうにかナイフでしのぐ。

 息つく暇もなく突きの連打が襲いかかってきた。指を揃えた鋭い突きは鋭く重い。一撃を退けるごとに衝撃が肘に抜け、足が下がる。


 重い!

 パワー負けしてじりじり後退させられる。爪が俺の頬をかすめて血が噴き出した。


「く……!」


 背中が壁についた。


「後がないようだな!」


 ウルフがぐっと腕を引き、強烈な一撃を放った。


 今だ!


 この瞬間を待ってた。大ダメージ狙いの大きなモーションは隙ができる。俺は前へ滑るようにして虎男の股を抜けた。標的を失ったウルフの腕が壁にめり込む。


 素早く右手首に仕込んだワイヤーを引くと、光の線――投擲したナイフと手首を繋ぐワイヤーがピンッと張り、獣人の足を掬った。


「グヌ!?」


 ぐるんと巨体が天地を反転する。

 人間なら後頭部を地面に打ちつけただろうが、ウルフは驚異的な動きでそれを回避した。だが体勢を崩すには充分だ。


「ハアアアッ!」


 俺は気勢を上げて武闘家にナイフの連続攻撃を浴びせた。


「グルル……ッ!」


 防戦を強いられたウルフがうめく。

 獣人は人間の何倍も丈夫だ、でたらめに打ったところで致命傷にはならない。胸を狙うと見せかけてナイフの柄を跳ね上げる。


 完璧な不意打ち!


 虎男は回避しようとしたが俺のほうが速かった。

 顎を狙った一撃はわずかに狙いを逸れてウルフの鼻を強打した。ゴッ、と鈍い衝撃が腕に伝う。

 ウルフがたまらず前屈みで顔を押さえ、うなじがあらわになった。


 これで終わりだ! ナイフの柄で頸椎を鋭く殴打し、一瞬で戦闘不能に持ち込む、


 はずだった。


「がはっ!?」


 突然、鞭のようなものが俺の喉を強打した。


 衝撃で息が詰まる。間髪入れずに痛撃が腹にめりこんだ。凄まじい衝撃に背中から地面に叩きつけられた。


「げほっ、ぅが……っ!」


 内臓をえぐられるような痛みに這いつくばりながら、俺はウルフを見上げた。正確には、その体から伸びる、もう一つの武器を。


 尾だ。


 虎男の黄と黒の縞模様の尻尾が、死角から正確無比な一撃をくりだしたのだ。


「ゼイ……ッ」


 ウルフの鼻は潰れ、鼻血が噴き出していた。口のまわりに赤い沫がついている。その目を見てゾッとした。


 底光りする目は獣のそれだ。血をたぎらせ、獲物を屠る猛獣の眼差し――――やばい!


 すぐ立ち上がったが遅かった。


「ぐっ……!」


 丸太に激突されたような衝撃に俺はボールみたいに壁に叩きつけられ、地面に落ちた。

 全身が痛みに悲鳴をあげた。歯を食いしばって武器を握るが、ナイフの感触がない。落とした、どこだ!? ナイフに手を伸ばしたそのとき、グローブのような手が俺の腕に食らいついた。


「うああッ!」


 圧力に骨が軋み、たまらず声をあげる。

 獣人は目線の高さまで易々と俺を持ち上げ、困ったように目を細めた。


「なんと脆弱な。人間が相手は加減が困難。だが小細工されても困る、せめて一思いに」


 折る気だ。


 ゾッとして反撃に出ようとした瞬間、ミシッと骨が軋み、痛みが弾けた。


「ああああああああ!」


 抵抗したけど巨大な手は食らいついて離れない。

 冷や汗が噴き出した。


 ミシミシと骨が軋む。

 やめろ離せ、潰れる!! 折れる――――!


 そのとき、目の端で閃光が走った。


「ギャンッ!?」


 ウルフが悲鳴を上げて俺から手を離す。


「走って!」


 誰かが俺の手を取って、駆け出した。金の髪が揺れて、前を行く少女がちらりとこちらを振り返る。


 ミアは指先で宙にスペルを刻んだ。


勝利ティール氷霰ハガルソーン――〈イグニス・ファトゥス〉! 」


 一瞬あたりは白み、電撃が弾けた。全身の毛が逆立ち、チリリッ、と甲高い音が空気を震わせる。背後を確かめる余裕もなく俺は走った。


「グアオオオオ!」


 遠くから怒りの咆哮が響き、ダンジョンを震わせた。

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