◆2-11 ウィル

 闇。鉱石のきらめき。鍾乳石。湿った土のにおい。風のうなり――なにもかもが走馬燈みたいに飛びすさる。どこをどう走ったのかわからない。

 足を止めたとき、俺たちは巨像の前にいた。


「はあ、はあ」

 

 俺は額の汗を拭った。息があがって声が出ない。


 不思議な場所だ。切り出したような滑らかな岩に挟まれた細長い空間で、女神像があるせいか清貧な神殿のように思えてくる。


 女神像は腰から下が砕かれ、胸像のように地面に立てられていた。顔は無残にひび割れていたけど、そのひびが天を仰ぐ表情をいっそう気高く見せる。


 像を正面に見て三時と十時の方向に通路。物音は聞こえない……よし、ウルフは追ってきてないし退路もある。


 緊張が緩むと腹部の痛みがひどくなった。

 臓腑に浴びせられたウルフの痛撃が尾を引いて、めまいと吐き気がこみあげる。


 たまらずその場に膝をつくと、コツッ、と額に硬いものがあたった。


「ミストルティン」


 柔らかな囁きが太古の精霊の言葉を紡ぐ。

 薫風がふわりとたちのぼり、陽だまりみたいな光に包まれた。

 ふっと痛みが和らいで、息が楽になった。


 まぶたに美しい情景が浮かんだ。金の光だ。穏やかな夕暮れで、雲間から光がこぼれる。

 穏やかな風景を眺めていたら、本当に金の光が俺の頬をくすぐっていた。光じゃない。これは……金の、髪?


 我に返ると、俺はミアの胸に頭をあずけていた。


「!? えっ、あ、ごめ……!」

「そのまま、楽にして」


 ミアは詠唱に戻った。一瞬弱まった癒しの光が再び柔らかく俺を包む。


 …………や、やすらげない! 楽にしろと言われてもこの体勢はどうなんだ!?

 近いっていうか密着してるし、やっぱりまずい、女の子だし離れたほうが!


「じっとして」


 離れようとしたらミアの手が俺の頭を押さえた。どぎまぎして、まともに前を見られなかった。


 やがて詠唱がやんだ。

 ミアの手が緩むのを感じて俺はあわてて身を引いた。


「ごめん、ありがとう。回復魔法使えるんだな」


 きまりが悪くて早口に言ってから、はっとした。


「そうだ、回復魔法!  大変だ、神官の子が襲われて! すぐに治療しないと!」

「心配しないで、ハルシオンなら一命をとりとめた」


「会ったのか!?」

「ええ、あなたたちが一戦まじえた音で気づいて」


 ほっとしてその場にへたりこみそうになった。


 そうか、神官は無事か……!


「私が使えるのは精霊魔法だから教会の編んだ回復魔法には到底およばないけど、あの子が目を覚ましたら自力で治せるはず」

「意識がないのか?」


「出血がひどかったから。少し休めば目を覚ますと思う。今は魔法使いが見守ってる」

「よかった」


 いや、よくない。

 ミニ神官が無事で嬉しいけど魔法使いと一緒でいいのか? 誰があの子を襲った? 目的は。誰が〈五人目〉なんだ、もし〈五人目〉がそばにいたら――――

 そこまで考えて俺は息をのんだ。


「しまった」

「どうしたの?」


「神官が危ない! あの子が目を覚ましたら誰に襲われたか話せるだろ、〈五人目〉は口封じするはずだ。きっとまた狙われる、急いで戻ろう!」

「落ち着いて、体に異常は?」


 こんなときに自分の心配なんてしていられない。


「大丈夫だ、行こう!」

「そう、よかった」


 チャキッ、と剣を構える音が響いた。


 その切っ先は俺に向けられている。

 まっすぐ、心臓を射貫くように。


「…………え?」


 俺はきょとんとして、剣を構えるミアを見た。


「行って。ここからは別行動よ。おたがいベストを尽くしましょう」

「別行動って、ミアはどこに行くんだ?」

「私は最終試験をクリアする」


 こんなときに試験!


「神官の子が襲われたんだぞ!? 〈五人目〉がまぎれてるんだ! ウルフか魔法使い、もしかしたら俺たちが知らない奴が潜んでるのかもしれない、そんな状況でミアを一人にできないだろ、神官だって一人でいたから襲われ――」


「そうやって私も殺すの?」


 なにを言われたか、わからなかった。


 耳から入った音が脳に届く前に遮断されたみたいだ。精一杯考えて出せたのは、間の抜けた声だけだった。


「は?」


「あなたが戻ったところで神官には会えない。魔法使いが神官を襲ったのはあなただと教えてくれた」


 ガツン、と頭を殴られたみたいだった。


 ミアは魔法使いから聞いていたんだ……脚色された事実を、嘘で塗り替えられた現実を!


「冗談じゃない……! 俺がそんなことするわけないだろ!? オリハルコンのナイフのことなら、はめられたんだ! 俺はやってない、どうやったか知らないけど〈五人目〉が」

「その〈五人目〉の話を持ち出したのはあなたよ!」


「な……!?」

「メッセージが書かれた布を持ってたのもあなた、私たちに〈五人目〉の疑念をいだかせたのもあなた」

「なに言ってるんだ!?」


 なんでそんなこと言うんだ、どうして。


「あなたが話を持ち出さなければ、誰も候補者の人数なんて気にしなかった。あなたが〈五人目〉の存在を口にした、私たちをまどわし、分断させた」


 うそだろ、やめてくれ。


「………………俺を疑ってるのか?」

「わからない!」


 ミアは叫んだ。

 剣を構えたまま俺を睨む。それなのに悲しそうで、いまにも泣きそうで。


「私にはなにが起こってるのかわからない……っ、候補者たちがなにを考え、なにを狙ってるかも! だけど…………ひとつはっきりしてる」


 ミアはぐっと剣を握りしめ、決然と言った。


「これは〈栄光の戦士〉を選ぶ最後の試験。ダンジョンを脱出した者が勝者となる」

「ミア……!」


「ウィルが〈五人目〉じゃないなら、行かせて。私はこの手で魔王を討つ。そのためには〈栄光の戦士〉にならなければいけないの」


 これは〈栄光の戦士〉を決める最終試験だ。そのために俺たちは集められ、ダンジョンに閉じこめられた。考えるべきは勝者になり、栄冠を手にすることのみ。


 でも、うなずけない。


「それこそ〈五人目〉の狙いどおりじゃないか! ばらばらに動いて誰も信用しない、〈五人目〉には願ってもない状況だ。誰かが神官を襲ったのは事実なんだ、試験を続けるのは危険すぎる、また誰か襲われたらどうするんだよ!?」

「それは……っ」


「命がかかってるんだ、試験なんかしてる場合じゃないだろ!」


 剣の切っ先がぴくりと震えた。

 ミアの心の揺れを映しているみたいだ。


 どうしたら信じてもらえる? なにを示したらいい? 証拠はない、本物の候補者だってことさえ証明できない。魔法使いの話と現状からすれば俺が〈五人目〉に見えるのもしかたがない。


「頼むミア、俺を信じてくれ」


 結局、俺に言えるのはそれだけだった。


「…………ウィルは勇者だから?」

「ああ、そうだ!」


 力強く答えると、ミアは剣を下ろした。


 よかった、わかってくれた――――



「やっぱり、あなたは勇者なんかじゃない」



 ミアがうつろな瞳で俺を見た。


 そこにあるのは失望だった。


「危険は百も承知よ。私は――ううん、他の候補者たちだって〝試験なんか〟と思ってない。厳しい鍛錬に耐え、命懸けでここまできた。〈栄光の戦士〉になるためだけに生きてきた。それを放り出して〈五人目〉を探す? 一緒にいれば安心? 試験はどうでもいいの」

「そういう意味じゃ――」

「いいえ、そういうことだわ!」


 失望が怒りと悲しみに変わっていく。


「前回魔王が出現とき、国がふたつ滅びた。何百もの人が亡くなり、故郷を追われた。魔王が復活したらどれだけ人が死ぬと思う? その最前線で戦えばどれだけの犠牲を払うと? 兵は死に、大地は焦土と化すでしょう。勇者でさえ無傷では進めない。仲間は傷つき、その命を天秤にかけるような選択も迫られる。安全な場所はどこにもない、誰の命も保障できない、確かなことなんてなにもない! 起きてしまったことには対処するしかない……! それなのにあなたは、これしきのトラブルで浮き足立ち、目標を見失った」


 虚をつかれ、言葉につまった。


 …………いや、そうじゃない。


 図星だったからだ。

 試験と実戦は違うから関係ない? そんなことどうして言える、だったら俺たちはなんのためにここに立っている?


「仲間は大切よ。一丸となって戦わなければ魔王を打ち破れない。だけど私たちはそれ以上に大きな使命を帯びる。一夜で町を呑みこみ、国を滅ぼすほど強大な災いと戦うの。いざというとき仲間や大切なものを切る覚悟がなければ勝てない。……迷いがあっては剣は届かない」

「待ってくれ、話を聞い――」

 

 手を伸ばすと、ミアが剣を閃かせた。


 俺の喉仏にぴたりと剣の切っ先が吸いつく。


「少しでも動いたら戦闘開始よ」


 ミアは非情なまでの冷徹さで俺を退けた。それから苦しそうに言葉を続けた。


「理想で世界は救えない。……ねえ、そんな中途半端な覚悟であなたはなにを成すの?」


 ぐさりと言葉が胸に突き刺さる。

 なにか言わないと。そう思うのに、言葉は喉にはりついて出てこなかった。


 きっとこれが最後のチャンスだった。ミアの心をつなぎ止める、彼女の信頼に応えられる最後の機会だ。

 俺はみすみすそれを逃した。


 ミアは悲しげに目を伏せて踵を返した。


「私は前に進む」

「待ってくれ……」


 俺の声が虚しくダンジョンに反響する。


「ミア!」


 剣士は一度として振り返らず、去っていった。

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