◆2-9 ウィル
「早く取って、お願いだから……っ!」
背中にヒルが入ったミアが、白いうなじをさらして俺に頼む。
ええっと……!?
これさ、シャツのどこから手を入れるの? 下、上から?
ミアは片方ツインテールをぎゅっと握った。虫の這う感触が気持ち悪いのか、肩が震えている。
ああ、くそ!
「し、失礼します!」
服の襟を慎重にひっぱって、上から手を入れた。
ミアの体温にどきっとした。
服の中って温かいのな。いや、余計なことは考えるな、意識しない考えない……がんばれ俺、きっと精神力が上がるぞ忍耐力もレベルアップだ!
「…………ど、どのへん?」
「もう少し、下」
指先でそーっと背中をなぞる。
――――物語の途中だが、ここで君に非常に遺憾な報告をしなければならない。
どうか驚かないで聞いてほしい。
ミアは、ノーブラだ。
新手の精神攻撃!? 俺にどうしろと!? だめだ精神力が削られる、崩壊する!
動揺で力加減が狂うと、ぴくんとミアの体が弾んだ。
「んぁっ」
「変な声出すなよ!?」
「し、知らない……っ、ウィルのせいなんだから」
責める口調なのになんで声は気弱なんだよ。
ミアの首筋はほんのり赤くなっていた。細いうなじに薄い肩。
無防備すぎて俺は眉をひそめた。
「…………あのさ、こういうことホイホイ頼むなよ」
「へ?」
わからないか。はあ……ミアはどこかのお嬢様か?
幼稚園から高校までミッション系のお嬢様学校で育ちましたって感じだもんな。免疫どころか男と接触したことなかったりして。男は伝説上の生き物か、未確認生物扱いなんだろな。
「女友だちはいいけど、こういうことは男に頼まないほうがいいよ」
「た、頼むわけないじゃない!」
「いや、俺に頼んでるし」
「それはウィルだから」
ミアは声をのみこんだ。
え、いまのどういう意味? 俺だからって……。
「あ……ああ、さっきいろいろ見ちゃったから? もうどうでもいい的な」
「違うに決まってるでしょ!?」
「じゃあ、」
俺ならいいってこと?
ミアはむくれて、うつむいた。
「ばか」
「…………」
「…………」
俺はミアの背中に触れたまま、うろたえた。
ミアも地面を見つめてもじもじしてる。
ふたりして、もじもじ。
………………くっ、殺せ!!
くっそ! 恥ずかしくて俺まで〈くっ殺〉使っちゃったじゃないか! なんだよこの状況、すごく恥ずかしいな……!
俺は理性をかき集めて、もじもじするのを気合いでねじ伏せた。
おいミア、俺の鋼の精神力に感謝しろよ。
「やり方変えるから、動くなよ」
服から手を出して、ツールケースを開けた。マッチを擦って火が小さくなるのを待つ。
「ごめん、触る!」
宣言して、今度は服の裾から手を入れた。
変に加減して触るから気恥ずかしくなるんだよ。
ゆるく拳をつくって、手の甲で触診した。すると、奇妙な弾力の冷たいものにあたった。
「これだな」
「うん……!」
拳に忍ばせたマッチをヒルに押しつける。熱に驚いたヒルが、ころん、と地面に落ちた。
「よし、取れたぞ――熱っ!」
うっかりマッチを握ってしまった。
燃えさしのマッチを捨てて、手をバタバタさせると、ミアがぽかんとした顔になった。
「マッチ使ったの?」
「ああ、火であぶると簡単に取れるから」
「そうじゃなくて! ヤケドしてる、ヒルなんてむしっちゃえばいいのに」
「だめだろ、傷が残る。だから服脱げって――」
ハッ!?
ミア、ブラジャーつけてなかったよな…………もし、あのとき服を脱がせてたら。
上半身裸のミアを想像して、顔が熱くなった。
「ご、ごごごごめん! 裸ってそういう意味じゃなくて、火を使うから服が邪魔だって思っただけで深い意味はなくて!」
うあああ、最悪だ――――!
そのとき、ミアが俺の指に触れた。
火傷の痺れるような痛みに顔をしかめると、ミアは両手で俺の手をくるんだ。
「本当に、ばかなんだから。私がケガしなくてもウィルがケガしたら意味ないよ」
そう言って、困ったような顔で俺を見る。
「ありがと」
ミアが照れた様子で目をそらした。だけど手は俺に触れたままだ。
もうちょっとこのままでいたい気もしたけど、照れくささが勝った。
「そっちが無事ならいいよ。よし、まわり調べてみるか。スタート地点だし、攻略のヒントやアイテムが用意されてるかもな」
「そ、そうね」
ミアが少し残念そうに手を離した。本当にそう思ってくれてたらいいけど。
俺はあたりを見回した。
「ええと、たしか布のメッセージには『時が尽きるまでに脱出しろ』てあったよな。制限時間はどうやって計ってるんだろうな」
「これのこと?」
ミアが青白い炎を指した。正確には、その下の白骨死体を。
うつぶせになった白骨死体がガリガリ地面をひっかいてる。
「キモッ! なんだこのガイコツ!」
そういえば、さっきからカタカタ動いてたか。よく見たら、地面に時間を示す単位が刻まれている。
奧から手前に動く白骨の手がゲージ代わりらしい。……ほんとに悪趣味だな。
「この手が手前の目盛まで来たらタイムオーバーか」
「進み具合からすると、残り時間は…………五、六時間くらい?」
「たぶん。逆に考えれば最長でも五、六時間で突破できるダンジョンってことか。ちょっと安心した。バックパックがなくなってたから、長期戦はまずいと思ってたんだ」
「六時間なら体力の温存やペース配分に神経を尖らせなくてすむね。あれ、これは?」
地面から繊維の切れ端が飛び出している。
ミアが引っぱると、踏み固められた土が剥がれて、羊皮紙が出てきた。
丸まった羊皮紙を広げるのを手伝うと、こう記されていた。
『〈栄光の戦士〉選抜最終試験が続行不能となった場合、転移魔法を起動させること。
装置が起動すると、ダンジョン内の候補者全員が地上へ転送される。なお、起動と同時に以下のことが確定する。
一、転移魔法起動をもって最終試験を中止とする。
一、転移した候補者は全員失格とする。』
文章の下には簡素なダンジョンマップと起動装置の場所が描かれていた。
「セーフティー装置か。こういうのは用意してあるんだな。起動と同時に失格は厳しいけど」
「勝ち残る私には関係ないけどね」
「あいかわらず強気だな」
「当然よ、勝ちにきたんだから」
「まあ、そうだな。試験に合格するには、まず〈脱出〉しないとな。そのためにも、あのでかい結界を消す方法を見つけないと……手がかりがないか、探してみるか」
ミアと手分けして大広間を調べたけど、特に見つからなかった。一応、白骨死体も調べる。
動いてると余計に不気味だ。この白骨死体――呼びにくいな、白骨……はっこつクンと命名しよう。
なんか響きがからあ○クンみたいなだな、肉ないけど。
はっこつクンはきれいな白骨の指でガリガリ地面を削っている。冒険者の死体だって思ってたけど、角がある。魔物の死体かもしれないな。
たいまつの青い炎は魔法由来のようで、燃料がないのに明るく燃えていた。セーブポイントのオーブ以外、アイテムはなし。
うーむ、なにか隠してあるとしたら、はっこつクン周辺だと思ったんだけどな。
「なにもなさそうね」
「そうだな。場所を確認したいし、非常装置のところに行ってみるか」
「わかった。いま装備をととのえる。急ぎましょう、他の候補者に先を越されちゃう」
「えっ?」
「え、じゃなくて。ウィルも支度して!」
当たり前みたいにミアが言う。
気がつくと俺は笑っていた。だってこれ、一緒に行動しようって意味だろ? 最初は話も聞いてくれなかったのに、心を開いてくれた。
「なによ? ニヤニヤして」
「いや、急ごう」
やっぱり仲間はこうじゃないとな。
「――――って、どこ行った!?」
数分後。非常装置の位置が記された羊皮紙から顔をあげると、前を歩くミアが消えた。
たぶん、さっきの分かれ道だな。「そのまま直進」って言ったのに別の道に入ったか。
俺は来た道を戻って、分かれ道に立った。
通路は五叉路、先端がねじれたフォークを想像してくれたらわかりやすい。
「くっ、方向音痴にはハードルが高かったか……!」
直進と聞いて間違えそうなのは左寄りの道か?
「しかたない、行ってみるか」
つるはしで削りだしたような道だった。細くて歩きづらい。しばらく進むと道幅が広くなったけど、ミアの姿はなかった。この道じゃなかったか?
自信をなくしかけたとき、目の端でなにか動いた。
坑道の右側に横穴がある。
「ミア?」
油断大敵、対象を見極めるまで気は抜けない。
ナイフの柄に手をかけて横穴に入ると、急に視界が明るくなった。
天井から細い光の筋が幾重にも重なって降る。
坑道を照らす鉱石や煙水晶の光とは違う、白く澄んだ光――――日光だ。
変だな、ここ地下だぞ。
俺はあたりを見まわした。家一軒がすっぽり入りそうな空間の中央に、大きな樹木がある。へえ。幹の途中で折れてるけど、かなりレアだ。
「すげー、クリスタル化した地底樹だ」
地底に芽吹く神秘の樹だ。何千年もの歳月をかけて結晶化し、クリスタルのような美しい鉱石に変わるんだ。大きいものは三百メートルにもなり、枝が地面から飛び出すほどだ。
この木もビッグサイズらしい。頭上を仰ぐと、折れた梢を確認できた。結晶化した枝が光を乱反射させ、はるか彼方の地上の光を運んでいる。
と、地底樹の根元に司祭服の女の子が見えた。
「なんだ、ミニ神官か」
さっき動いたのはこの子だな。
ナイフを離して、地底樹へ向かう。
クリスタルの枝から地下水が滴り、地面にたくさんの水たまりをつくっている。
大きな水たまりを跳び越えて木のそばに着地した。
勢いあまってミニ神官を踏みそうになったけど、少女はぐっすり眠っている。
さては〈眠れる精霊〉にやられたな。魔物がいなくてよかった。
「こんなところで寝ると風邪ひくよ」
俺は膝をついて呼びかけたが、反応なし。完全に熟睡してる。
「起きろー」
肩に触れると、ミニ神官の体がどさっと仰向けに崩れた。
「わっ、ごめ――」
言葉は最後まで音にならなかった。
少女の胸に、赤い花が咲いていた。
錆びた鉄のような臭い。
「え……」
そのときになって、俺は足元の水たまりが赤いことを知った。
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