◆2-8 ウィル

 青白い炎がパチパチと燃える。


 元はたいまつだけど、いまは焚き火くらいのサイズになっていて、心地よく体を暖めてくれた。

 炎の下で燃えるのが白骨死体でなければ、もっといいんだけどな。しかも冒険者の亡骸がカタカタ震えてるんだよ。あったかいのに、全然安らがない。

 まあ、気まずさの原因は白骨死体だけじゃないか。


 俺は向かいに座るミアを見た。

 肌着の上に俺の服をはおって、膝を抱えている。

 だぼだぼの上着の裾から、すらりとした生足が惜しげもなくのぞく。ちなみにアーマーとブーツは剣にたてかけて乾燥中だ。


「……助けてくれてありがとう。上着も」


 ぽそっとミアが言った。


「あ、ああ。けががなくてよかった」


「………………」

「………………」


 会話終了。


 そりゃそうだよな、あんな恥ずかしいポーズ見られたあとじゃあ。

 どうしようもなかったけど、嫌われたよな…………気まずいな。気まずいけど、謝るのも変だし。こういうとき、どうしたらいいんだ?


「み、みんな戻ってこないな」


 とりあえず沈黙を埋めてみた。


「なにかあったらこの大広間に戻ってこいって、言ってあるんだけど」

「………………」


「あのでかい結界が邪魔で進めないはずだし、そのうち誰かくるかもな」

「………………」


「せ、せめてここがどのダンジョンかわかればなあ。魔法で飛ばされたんじゃ、見当もつかないよ」

「…………あなた、本気で言ってる?」

「えっ?」


 ミアが返事したことに驚いた。ていうか、なにか知ってるのか?


「はあ。ついてきて」


 ミアは立ち上がって、裸足で大広間の奥へ向かった。

 あっ。この奥にはたしか……!


「見て」


 たいまつの光の届かない闇にうっすらと輪郭が浮かびあがる。


 ああ、そうだった。


 暗闇の中に優に十数メートルはある巨大な門がそびえている。闇より暗い色をしたそれは、一切の光を受けつけず、幽鬼のように佇んでいた。


 おぞましいのは装飾だ。恐怖、憤怒、憎悪。魔物と人間のグロテスクな顔が扉一面にぼこぼこと浮かんでる。死体を塗りこめて作ったみたいに生々しい。


 戦場の一幕をレリーフにしたようだけど、どう良く言っても地獄絵図だ。いまにも大気を焦がす魔法の匂いや死体の腐敗臭が漂ってきそうだ。

 眺めるだけで気分が悪くなった。


「この門、なんだ?」

「〈終焉の門〉。十八年前、世界の命運を分ける戦いがあった。魔王はこの扉の向こうにいた」


「じゃあ、ここは……!」

「そうよ、七代目勇者が魔王と熾烈な戦いを繰りひろげた最後の地。〈煉獄〉」


 この扉の向こうに魔王がいたのか。扉一枚へだてたすぐそこに、世界最悪の災いが。

 おぞましく、醜悪な門から目が離せない。なにかに引き寄せられるように俺は手を伸ばした。


「だめ!」

 

 いきなりミアが俺の腕を掴んだ。


「門には魔王の残滓が染みついてる。触ったら精神をやられる」

「そんなに危ないのか?」

「これ以上は近づかないほうがいい、取り憑かれる」


 そういえば一周目で、門からビシビシ危ない気配が漂ってたよな。

 恐怖を感じる一方で、目が離せなかった。あのときの俺は魅入られてたのかもしれない。


「なにがあっても門には触れないで。いい、約束して」

「わかった。……それにしてもすごいな、この向こうで勇者が戦ったのか」


 物語でしか聞いたことのない場所に立っている。


 そう思うと、興奮で体が震えた。ここは女神に選ばれし一人の少年と禍々しい厄災との決戦の地。


「これまで七人の勇者が出現した。すべてのはじまりは千年前」


 ミアの透きとおった声が吟遊詩人のように物語を紡いだ。



「千年前、神界で大きな戦があった。人間界と神界、ふたつの世界は重なって存在する。神界で起きた神々の熾烈な戦いは、干ばつや洪水となって人間界を苦しめた――――


 人間界の飢饉を知ったのは、若き女神テンプス。

 テンプスは人を哀れみ、慈悲を垂れた。


 それは神の焔〈ワイズ〉。


 火を灯し、風向きを操ることしかできなかった人間は〈ワイズ〉を得、魔法を花開いた。魔法により文明は栄え、人は豊かになった。そして、おごった。


 人々は神を恐れず、敬うことを忘れた。


 父なる神ウルノートは憤怒し、〈ワイズ〉を呪った。魔法を使うたび瘴気が生まれ、瘴気は魔物を生む。


 やがて瘴気の深淵、夜の闇より黒き闇の底より災いいずる。


 かの者は、絶望と悪しきを統べる王なり。


 戦場は生まれない。魔王のあとにはただ沈黙がおとづるる。


 滅びの帳が下りるとき、人々はふたたび女神テンプスに助けを請うた。

 女神は慈悲を垂れ、神界よりひとりの若者を遣わした。魔王を討ち、人の世が太平であるように。



 ――――かの者は勇者ゆうじゃ。呪われし魂を打ち払いし、光の戦士」


「そして勇者は魔王を討ち、伝説のかなたへ旅立つ」


 俺は長い叙事詩の結びの言葉を囁いた。

 この世界の誰でも知ってる、有名な一節だ。


「初代勇者が魔王を討ったときは三百年も平和が続いたそうよ。時代がくだるにつれて、魔王の復活は早まってる」

「三百年か。七代目勇者がここで魔王を討ってから十八年……いまじゃ、いつ魔王が復活してもおかしくないって言われてるもんな」


 墓標か地獄の口のような醜悪な門を前にして、畏怖を覚えない者はいないだろう。過去の遺物だと理解していても〈終焉の門〉が放つ圧は凄まじい。


「この門の前で気を失ってたと思うとゾッとするな」

「本当ね。私も鍾乳石に登って、初めて気づいたの。びっくりした」


「驚いて落ちたのか?」

「……っ、そ、そうよ!」

「ははは。たしかにいきなりこの門を見たら腰を抜かすよ」


 俺は笑ってから、ふと気づいた。


「ミアはここがどこか、わかってたのか? それならそうと教えてくれればいいのに。どのダンジョンか、みんな気にしてただろ」

「こんな重要情報を簡単に話すと思う?」


 わかってて伏せたか、意外と策士だな。

 と、思ったら。


「ただでさえ、混乱した状況だったでしょ。〈煉獄〉だと知ったら、みんなパニックになっちゃう」

「…………ぷっ!」


「なによ?」

「ごめん。いや、いいやつだなって」


 魔法使いが会場の話をしたとき、ミアはびっくりしてた。近衛兵の話をちゃんと聞いてなくて、〈煉獄〉が試験会場のひとつだって忘れてたんだろう。


 魔法で強制転移され、意識が混濁している。そんな状況で〈煉獄〉にいると知ったら俺たちがパニックになる――そんな心配をして黙ってたんだ。


 そうとわかると笑いが止まらなくなる。


「策士かと思ったら全然だな」

「も、もちろん作戦よ!? 重要情報を隠して、候補者たちを撹乱する予定だったの!」


「その重要情報、いま教えてくれてるけどね」

「それは……っ! 作戦っ、そう、これも作戦のうち。あなたに重要情報を聞かせて、私を信用させるのが狙いなのよ」


「はいはい」

「本当よ!?」

「わかってる」

「笑ってるじゃない、信じてないのに適当――」


「信じるよ、君は〈五人目〉じゃない」

「えっ?」


「その性格じゃ〈五人目〉は務まらないよ。だまし討ちとかできないタイプだろ? ほらな、俺を信用させる君の作戦は大成功」

「な、なによ……」


 ミアは伏し目がちに唇をとがらせた。

 喜ぶところか、すねるところか迷っているらしい。めちゃくちゃかわいいんですけど、なんなのこの人。


 ミアが上目遣いで俺を見た。


「そういうあなたは〈五人目〉じゃないでしょうね?」

「俺を疑う理由がある?」


「そうね、あなたは〈五人目〉じゃないかも。盗っ人ニセ勇者なだけで」

「本当に勇者なんだよ」


 そのとき、ぽとっ、と天井からなにか落ちてきた。


 なんだ?


 地面を見て、俺は顔をしかめた。


「ヒルがいるのか」


 地面に落ちたやつがうねうねしている。修行中、山でよく見たなあ。


 門から漂う腐敗臭で寄ってきたんだろう。ウジとか他の虫もいそうで嫌だな。魔物と違って虫は小さすぎて探知できないからやっかいなんだよ。


「ヒルって――――ひゃ!」


 びくっとミアが身を縮めた。


「どうした?」


 強張った顔でミアは俺を見る。


「せ、せせせせせせせせせせせせせせせせせせ」

「?」


「せせせせせ背中に入った……!!」

「は!?」


「取って!」

「取ってって…………え、ちょ、ちょっと待て!?」


 急いでたいまつのそばに戻る。その間もミアは泣きそうな声で騒いだ。


「背中動いてる! やだ、早く取ってっ」

「わ、わかった。ええと…………よし! とりあえず裸に」

「ばか!」


 バチン! と平手打ち。


「痛てえ!」

「ウィルのばかっ、エッチ!」


「なんでだよ!? 見ないでどうやって取るんだ!」

「服に手を入れればいいでしょ! ばか、エッチ!」


 語彙力。


 俺、そんなおかしいこと言ってないぞ、なんで!?


「お願い、早く……!」

 

 理不尽に思ったとき、ミアが後ろを向いた。

 無防備にさらされた白いうなじに、どきっとした。

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