◆2-7 ウィル

「待ってくれ!」


 俺の数歩前をミアが行く。


「なあ、待てったら」


 ようやく追いついたけど、こんなかんじでミアは全然反応しない。ここで根負けしたら追いかけてきた苦労が報われない。


 ミアの律動的な歩みにあわせて頭の左側で結んだ髪が弾むように揺れる。


「少しは話聞けよ、片側ツインテール」

「…………」


「ん、片方だからシングルテール? あれ、だったらポニーテールでいいの?」

「もう、気が散るから静かにして!」


 お、振り返ったな。


「みんなのところに戻ろう、単独行動は危ない。〈五人目〉がいるかもしれないんだ、まとまって行動したほうが危険は少ないよ」

「どうして?」


「見張り合えるだろ? 四対一。〈五人目〉がなにを企んでても、それで防げる」

「お忘れのようだけど、私たちの目的は〈五人目〉探しじゃなくて、この最終試験をクリアすることよ」


 つんと顎をそらしてミアは歩き出した。


 まったく、意思が固いというか強情というか。


「そっちも忘れてるよ、結界のこと」


 ダンジョンを歩きまわってわかったけど、どの道を行っても必ず魔法の壁にぶつかった。通路どころか壁も岩の中にまで結界が通ってる。

 やっと自由に動けると思ったら、またしても檻の中だったわけだ。


「俺たちが目覚めた場所にも結果があったけど、試合開始と同時に消えたよな。大結界も時限式か条件をクリアしたら解除される仕組みかな」

「…………」


「なにが結界を破る鍵になったと思う?」

「…………」


「あのー、意見が聞きたいんだけど」

「話すことはないわ」


「どうして?」

「私たちはライバルでしょ。それに、あなたの言葉を借りるなら、あなたが〈五人目〉の可能性だってあるじゃない」


「だったらなんで俺に背中向けてるんだ? 危ないぞ」


 ミアがキッとした顔で振り返った。


「~~~~っ」


 なにか言いたそうだけど、言葉にならないらしい。


 ふんっ、と鼻を鳴らして、また歩き出した。だからどこ行くんだよ。…………ん? この道って。


「最初の広間に戻る道だな」

「えっ?」


「ほら、その壁」


 月虹貝げっこうがいから採取した蛍光塗料でマークが描かれている。俺がつけたやつだ。

 安全な場所には女神テンプスを表す砂時計みたいな二つの三角。罠や凶悪な魔物が出る地点には×印といった具合に、冒険者なら誰でもわかる共通のマークを記すんだ。

 これがあるかないかでダンジョン攻略の効率が全然違うし、命に関わる大事な作業だ。


 そういうわけで印をつけながら探索してたんだけど、ミアは信じなかった。


「そんなはずない、広間になんか向かってないもの」

「そこ」


 通路の先を指差す。ごつごつした岩壁の先に白骨死体と青白い炎がある。


「うぐ……っ」

「ミアって、もしかして方向音痴?」


「ううっ!」


 図星らしい。簡易マップを作ったり目印を覚えたりしないなんてウカツな剣士だな。


「目印は覚えたほうがいい、どんなトラップが仕掛けられてるかわからないし」

「よけいなお世話よ。こんなダンジョン深くにわざわざトラップを仕掛ける物好きなんていないわ」


 ミアが肩をそびやかし、脇道に逸れた。


「あっ、そっちは――」

「きゃっ!?」


 ミアが俺の視界から消えた。


 言わんこっちゃない。


 まだちゃんと調べてないけど、水の流れる音がするから注意をうながすマークを描いておいたんだ。忠告を無視するからこういうことになる。


 さては川石か苔で足を滑らせたな。ミアってしっかりしてそうで抜けてるよな。



「おい、大丈――――は?」


 脇道を覗いて、俺は目を丸くした。



 ミアが片手を上げた体勢で宙づりになっている。



 魔物がいるのか!? 反射的にスキルの〈警戒〉を発動させる。


 と、ミアの足元にトラップの反応が出た。


「………………」


 ええええ、言ってるそばからトラップにかかったのかよ!?


 俺は残念な目でミアを見た。


「どうした、それ」

「こ、こっちが聞きたいくらいよ!」


 それもそうだ。


「なにこれ、気持ち悪いっ」


 よく見ると、ミアの左手に液状の糸があった。水中から天井にかけて糸が張っている。

 糸にひっぱられて宙づりになったらしい。


 スライムじゃないけど動いてるな。なんだ?


「とりあえず魔物じゃない、じっとしてろ」


 トラップなのは間違いないし、似たトラップを見た記憶があるけど…………なんだったかな。


 解除方法を探してあたりを一瞥した。


 洞窟と堅牢な建物が混ざったような奇妙な場所だ。正面の石壁に穴があって、地下水が滝のように流れこんでいる。部屋の半分ほどは川だ。


 たぶん宝物庫かなにかだったんだろう、チェストや宝箱の残骸がちらほらと見えた。


 宝箱? ――――そうか!


 トラップの正体がわかったとき、ミアが糸を切ろうと剣を抜いた。


「あっ、動くな!」


 叫んだが、一瞬遅かった。

 ミアが動いた瞬間、水中から糸が噴射された。剣で払うが逆効果だ。


「ひゃ!? なに!」


 粘着性の糸は剣をのみこみ、ビチャッ、と天井に張りつく。


 ミアは頭上に両手を掲げる姿勢で磔になった。


「どうなってるのよ、このトラップ!」


「スパイダーネット、よく宝箱にしこまれる罠だよ。鋼鉄並みに硬いクモの糸が飛びだして箱を開けたコソ泥を捕獲する」

「コソ泥……!? 私、宝箱なんて開けてない!」


「箱の残骸を踏んだだろ」

「ていうか、どこが鋼鉄並み!?」


「水を吸ってふやけたんだな。よかったじゃないか、本来のスパイダーネットだったら切れ味が鋭くて大けがしてたよ」

「解説はもういいから!」


 ミアがぷりぷり怒る間にも、スパイダーネットは次の段階に入った。

 床と天井に張った縦糸を軸に横糸が伸び、対象を捕らえにかかる。


 じわじわと浸食され、ミアは顔をゆがめた。


「腹の立つトラップね……!」

「いや、スパイダーネットってかっこいい罠なんだぞ。噴射した糸が一瞬で精巧な蜘蛛の巣状に変化してさ」


 ピンッと張った糸が鋭くて、キリキリと音がするくらいだ。起動速度も破壊力も抜群の、危険なトラップ――――のはずなんだけど。


 目の前のスパイダーネットは、どろーっと垂れて、粘菌みたいに広がっていく。


「やだ、ドロドロして気持ち悪い……っ」


 宙づりのミアが身をよじった。液状化したクモの糸が白いうなじや腿に絡み、とろりと滴る。


 …………なんか、やらしーな。


「もがくと余計にまとわりつくぞ。いま解除を――」

「助けてくれなくてけっこうよ、こんな不抜けたトラップ、自力で!」


 力任せに抜け出そうとしたが、そう簡単にはずれるはずもない。伸縮性のある糸はまたミアの体にまとわりつき、衣服や肌を這った。


「ひゃ!?  ちょ、ブーツに入らないで、んははは……くすぐったいっ」


 ミアは笑いながら顔をしかめ、もう一方の足のかかとでブーツを押した。勢いよく脱ぎ捨てられたブーツが地面に落ち、べちゃっ、と水が飛び散る。


「はあ……本当にもう! むだな抵抗はやめなさい!」

「いや、それトラップだから」


 そのとき、俺ははたと気づいた。


 ふくらはぎや腿、細い腰――ぬるぬるした糸がミアの肢体に食いこんで、柔らかな曲線をあらわにしている。しかも衣服が水を吸って肌が透けてる。


 なんかこれ、ヤバくないか。


「はあはあ……んっ、あとちょっと」


 ミアは苦しそうな吐息をもらし、身をよじった。


 どろどろの糸がミアの脇の下を滑って衣服に入るのが見えて、俺はあわてた。


「なあ、動くな! これ以上は――――いてっ!」


 スコンッ、と額に硬いものが飛んできた。

 ミアの腕からはずれたブロンズの小手だ。


 装備が脱げてきてる…………だと!?


「やだ、この糸どこに絡んで……!」


 頭上の声に俺はびくっとした。


「ふぇっ、ちょ、ちょっと」


 不穏なスライム音に顔を上げられなくなる。


「どうなってるのこの糸!?」


 困惑と恥じらいの声。


「やだやだっ、そっちじゃなくて、わあああっ!」



 そして、静かになった。



 俺はおそるおそる顔を上げた。


 案の定、ミアはあられのないポーズで糸にからまっていた。


 涙目のミアと目が合い、俺は顔をそむけた。


「…………えーと。じゃ、俺行くな?」


「お、置いていかないでよ! こんな状態の女の子を置いていっていいと思ってる!?」

「そこまでやったら自力で抜けるしかないだろ」


「どうしてよそ見して話すの、こっち見なさい!」

「それは……っ、いろいろ目に毒なことになってて」


「なにわけのわからないこと!」

「だから! 自分の体よく見ろって!」


 ミアがきょとんとした。それから目線を自分の体に向ける。


 ようやく状況がわかったらしい。みるみるうちにミアの頬が赤く染まった。


「ひゃあ……ああああああ…………っ」


 ミアが体を隠そうとしたけど、液体の糸がさらにきつく肢体を締めあげた。


 大変けしからん体勢になったミアは悔しそうに唇をかんだ。羞恥心に耳まで真っ赤にして、責めるような目で俺を睨む。


「…………くっ、殺せ!」


「やめろ! 誤解されるようなセリフはやめろ!」


 スライムみたいな液体に宙づりにされた女の子が口にしていいセリフじゃない!


「ていうか俺がやったみたいに聞こえるから! 指一本触れてないから!!」

「だ、だって……っ、ウィルのばかっ! こんな恥ずかしいところ見られたらお嫁に行けない!」


 うそだろ…………〈くっ殺〉からの〈お嫁に行けない〉コンボ!?

 そんなことが許されるのか!!!?



 異世界もののアニメとか小説でやたら見かけるとは思ってたけど――――やっぱり、そうだったんだな。これはただの浪漫じゃない。これが異世界の常識、この世界の現実!!


 この世界に来て早一年。異世界に来てよかった。勇者になって本当によかった…………!


 しみじみ噛みしめて、投擲用のナイフを抜いた。


 ミアには嫌われるだろうけど、けしからんスパイダーネットを放置してはシーフの名が廃る。


 スキル、〈トラップ解除〉発動。


 キッ、と目線をあげて、〈ワイズ〉の焔が宿った目でミアをガン見する。


「ひ……っ!」


 ミアがおびえたけど、かまってられない。

 スパイダーネットには核が二つ。形状記憶と粘性の制御板だ。トラップデザインによって位置が変動するけど、壊せば解除できる。


 あった!


 ミアの髪と脇腹の横の糸に核を感知した。


 投擲で核を同時に打ち抜くと、液状の糸が弛緩した。水飴みたいになった糸が、ばしゃん、と地面で砕ける。一拍遅れて、ミアが着地した。


 俺は横を向いて上着をミアに差し出した。


「スタート地点に戻ろう。服を乾かしたほうがいい」

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