◇2-5 ミア

 ダンジョンが妖しくきらめく。

 洞窟かと思ったけれど、少し進むと堅牢な石作りの回廊に出た。古い城と洞窟がいりまじっていて、地下迷宮みたい。


「待てよ! おーい!」


 私は後方から聞こえる声を無視して通路を進んだ。

 誰も信用できない状況では距離を置くのが一番いい。


 頭の中はあいかわらずモヤがかかっているみたいだった。


 ダンジョンで目を覚ます前、私はなにをしてたんだろう? 誰と一緒にいた? どうして〈終焉の門〉の前に……痛っ。


 ズキッと頭に痛みが走った。

 まただ、なにか思い出そうとすると頭が痛くなる。思い出せない不安と焦りで心が波立つ。嘘をついてるのは誰? あと少しだったのにどうして。


「待てってば!」

「待つなのですっ」


 急に声が増えた。


 振り返ると、自称勇者のシーフと、その後方に小さな女の子が見えた。神官だ。

 法衣が絡まって転びそう……。


 私が神官のところへ向かおうとしたら、シーフが動いた。

 

 シーフが来た道を戻って、しゃがんで神官と目線を合わせる。


「どうした?」

「はあ、はあ、ちょと……ちょっと、ゼエ、ハア」

「あー、まず深呼吸だな。吸ってー、吸ってー、吸ってー」

「すー、すー、すー、すぅうううゲフッ」


 なにしてるのよ!?

 注意しようとしたら、シーフがあわてた。


「うわ、素直にやるか!? 悪かった、吸って吐いてだ。ほら、こうやって。吐いてー、吸ってー、吐いてー、吸ってー、吐くー」

「すー、はー、すー、はー」


 神官とシーフが並んで深呼吸する。場違いな様子が少しおかしい。


「よし。それで、どうした?」

「そうなのですっ! あの、だいじょうぶだと思いますなのですが」


 神官は杖を小脇にかかえて両の手の指を合わせた。

 魔法の光を帯びた指先がシーフの額に触れ、優しい輝きが彼の体をつつむ。


「はい、もうよいのなのですよ。ちいさなキズもばっちり回復なのです」

「治ってる……このために追いかけてきたのか?」


「はいなのです。ハルたち、いま大ピンチなのです。死んでしまったら生き返ることはできません。それは世界の理、神様だってムリなのです。だからどんなときも万全になのです」


 シーフの表情が優しくなった。


「ありがとうな、ええっと――」

「ハルシオンともうしますなのです。年は八歳、生まれも育ちも聖都カルアナ、大神官になるために、おさないころから修行の毎日でした。そしてハルはたいへん優秀だったので、あっさり聖都区神官長になったのです。飛び級天才美少女神官、という設定なのです!」

「設定かよ!?」


 シーフは笑って神官の頭をなでた。


「まあ、いいや。よろしくな、飛び級天才美少女神官設定ハルシオン」

「ハルでいいなのですよ」

「わかった、ハル」


「ではハルは戻りますなのです」


 神官が踵を返す。はっとして私は声をかけた。


「危ないわ、一緒に――」


 とたんに、ぎりりっ、と脳が締めつけられた。


 痛っ! なんなのこの痛み。

〝危ない〟? 誰が危険なの、ケルキニディアス、ウルフ? 怪しさでいったら自称勇者が一番不審じゃない。頭が痛い、割れそう。だめよ、考えなさい、あと少し、きっと思い出せる――――


 ふと、小さな手が私の腕に触れた。

 神官の子が心配そうに私の顔をのぞきこんだ。


「大丈夫なのです?」

「ありがとう、平気よ。ちょっと頭が痛くて」


 むりに思い出そうとしたせいで、頭の中で巨大な鐘ががんがん鳴ってるみたいだった。

 思わず弱音がこぼれた。


「…………どうして、こんなことになったのかな」


 小さな手が私の手をぎゅっと握った。


「すべては女神のみちびき。ぜったい、魔王をたおしますなのです」


 優しい子。不安なのはこの子だって同じなのに……。小さな子を心配させるなんて、私もまだまだね。


「そうね、がんばらなくちゃ。励ましてくれてありがとう。あなたは大広間で待っていて。一緒に行くと危ないから」


 連れて行きたいけど、神官は見るからに体力がない。

 状況がわからないし、さっきの場所でじっとしていたほうが安全だ。


「待った。ハル、武器持ってるか?」


 いつの間にかシーフがそばに来ていた。

 神官はぶんぶんと首を横に振った。


「ないなのです」

「だよな、お前癒やしキャラだもんな」

「いやしキャラ?」

「治癒の専門家、ハルがいるだけで癒やされるなあって意味だよ」


「専・門・家!」


 目をキラキラさせる神官に、シーフは笑ってケースごとナイフを差し出した。


「ほら、持ってけ」


 神官は不思議そうにナイフを手に取り、鞘から抜いた。刃がケースを滑ると金属とは思えない涼やかな音が響き、美しい片刃の刀身が現れた。


 その刃は白銀。

 かぎりなく澄み、なんぴとも寄せつけない冷たい光を放つ。


 あれは……オリハルコン!


「わあ、ぴかぴかなのです!」

「護身用だ。オリハルコンは退魔効果があるから、ハルを守ってくれるよ」

「ありがとうなのです」


 神官はぺこりと頭を下げて大広間に駆けていった。


「さてと。これからどうする?」


 あたりまえみたいにシーフが私に言う。


 一緒に行くなんて一言も言ってないけど。

 そもそもあなたは自称勇者で、私は認めてない。


「あっ、おい!」


 無言で歩き出したら、後ろから足音がついてきた。


「一人で行動するのは危ない、どんな魔物が出るかわからないだろ」


 はあ……。

 放っておいてくれないなら、考えがある。


 私は足をとめて深呼吸すると、だっと駆け出した。


「逃げんのかよ」


 後方で呟くのが聞こえ、シーフが追ってきた。


「もう、どうして放っておいてくれないのかしら!」


 前方に五叉路が見えた。適当な道に飛びこんでスピードを上げる。どこかに隠れてやりすごそう――


 そう思ったとき、嫌な気配がした。


 ぴりっと空気がはりつめて、うなじの毛が逆立つ。この気配は!


 私は足をとめて剣に手をかけた。

 直後、石畳の隙間から冷気が湧き出した。


 白い靄はしだいに人の形を取り、甲冑の騎士へと姿を変える。

 汚れひとつないプラチナの鎧。


 高密度の靄の塊がひとつ、またひとつと数を増やす。死霊やアンデッドじゃない、たしかこれって。


「なんだ? 見たことない魔物だな」


 いつの間にかシーフが私の隣に並んでいた。


 もう追いついたの? かなりの俊足ね。


「どういう魔物か知ってるか?」


「魔物じゃないわ、〈眠れる精霊〉よ。大精霊――Aランク以上の精霊は力が衰えると冬眠するの。そのときに出現するのが〈眠れる精霊〉。簡単にいうと精霊が見る夢が具現化したものね。大抵は眠りにつく直前に見た強そうな生物をまねて、眠りを妨げる者に襲いかかる」

「へえー、そうなのか」


「〈眠れる精霊〉は本体の精霊から数百メートル離れたところに出現するのよ」

「すぐ近くじゃなくて?」


「それだと自分はここで寝てます、といっているようなものでしょう。場所を特定されて襲われないよう、あえて離れた場所に出現させるの。〈眠れる精霊〉の攻撃パターンはひとつ。眠りの効果よ。どんなに強い者も触れられたら一瞬で眠りに落ちる。大した害ではないわ」


「いや、害だろ。触られたら意識飛ぶんだよな、その間に魔物に襲われたらどうするんだ? ぐーすか寝てるうちにボコボコにされたら、間違いなくあの世行きだぞ」


 話しているうちに、靄でできた甲冑は二十体に増えていた。まだ増殖していて通路を埋め尽くしそうな勢いだ。ちょっと多くない? どれだけ力のある精霊が眠ってるんだろう。


「ちなみ物理攻撃は効かないわよ。神官か魔法使いに対処してもらうのが一番」

「だったら戻ろう。どうせこの道は使えな――――って、おいっ!」


 シーフが緊迫した声をあげた。

 私が前に出たからだ。


「ふざけてないで戻るぞ、危ないって言ってるだろ」

「そんなにいうなら私を止めてみたら?」

「ハア?」


 私はシーフに向き直った。後ろ歩きのまま、〈眠れる精霊〉に近づく。


「あなたにここまで来る勇気があるならね」


 甲冑がピクッと震えた。テリトリーに入ったせいだ。


 鎧の腕が持ち上がり、私を夢の中へ引きずりこもうと手を伸ばした――――

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