◆2-2 ウィル

 俺は顔をしかめた。


「なんだ、あれ」


 たいまつの光がギリギリ届くところに、こんもりとした物体がある。

 

 そういえば目が覚めたとき、誰か倒れてるのが見えたよな。リセット前も見た覚えがあるけど、いろいろ起きてスルーしてたよ。

 よく見ると、形状がおかしい。


「アレって人……だよな?」


 ミアと魔法使いは肩をすぼめた。自分で確かめろということらしい。

 しかたなく影のところへ向かった。


 その物体は黄色と黒の胴着を着ていた。こちらに背を向ける格好で丸まってる。というか、ぎゅうううっと丸まりすぎて不気味だ。


 胴のあたりが、かすかに膨らんだりしぼんだりする。

 とりあえず息はしてるな。


「あの」


 返事がない。


「大丈夫ですか?」


 倒れた人の肩に触れ、ぎょっとした。


「こ、これは!?」


 緊迫した俺の声にミアが身構えた。


「どうしたの!」

「嘘だろ、こんな…………」

「だからどうしたのよ!」


「すっごくふわふわだ!」


 密度の濃い毛でちょっと硬いけど、手触りがものすごくいい。感動的な触り心地にテンションがあがったけど、少女たちは冷たかった。


「あっそう」

「愚か」

「ふーん、なのです」


 ばかな、女子がモフモフに興味を示さないだと!?


「触ってみろよ、すごいから!」

「遠慮しておくわ」

「めちゃくちゃふわふわなんだけどなあ」


 そのとき、倒れた人が寝返りを打った。

 たいまつに照らされた顔を見て、死ぬほど驚いた。


「うえっ!? トラ!?」

「なにいってるの、獣人じゃない」

「あー……そういえば、そうだったな」


〝服を着た動物〟なんて差別的に言われることがあるけど、容姿を形容するのにこれ以上的確な表現はない。この人もまさにトラが服を着た感じだ。


 人の倍以上ある大きな頭。黒い縞模様の毛並みは虎そのものだ。グローブみたいな手は人間と獣の中間で進化を止めている。


 ミアが言った。


「目覚めないと思う。さんざんやったけど反応が薄くて。あなたも全然起きなかったんだから」

「そうだったのか」


 けっこう力を入れて揺すってるのに、まったく反応しない。揺するというかモフモフすることに移行してるけど。

 毛並みがものすごくいいんだよモフモフ。手触りが無限にモフモフできるモフモフ。


 モフモフモフモフモフモフモフモフモフモフ。


 モフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフモフ。


「ほんとに起きないな」


「転移魔法の後遺症と言った。さっき説明したように劣化した魔法は発動時にノイズを生み、私たちの意識を混濁させた。魔法に耐性がない者ほど重篤化する。えてして獣人は魔法が効きすぎてしまう、叩いたって目覚めない」


 魔法使いが棒読みで解説すると、神官が動いた。


「わたしが起こしてみるなのです?」


 ちょこちょこ寄ってきて、俺の隣にしゃがんだ。

 神官は虎男に手をかざして祈りを紡いだ。


 大気があわく輝いて、中空に魔法陣が花開く。


 魔力の輝き――〈ワイズ〉がまたたいて、柔らかな風が生まれた。小さな女の子の銀の髪が魔法の揺れて細いうなじが見え隠れする。


 華奢な体躯に、舌ったらずのしゃべり方。どう見てもちびっ子だけど、コートの下の司祭服は純白だ。


 すごいな、この子。純白って貴い色で大神官クラスじゃないと身につけられないんだよ。そんな色を着てるってことは、おそろしく優秀ってことだ。


〈ワイズ〉が残滓を散らし、魔法陣が大気に溶ける。

 と、獣人のまぶたが震えた。


「大丈夫か?」

 

 呼びかけると、クワッ! と目が見開いた。


 まさに獣の身のこなしで巨体が跳ね起き、威嚇の姿勢をとる。


 体長二メートル。筋骨隆々として分厚い筋肉がベルベッドの毛並みを押し上げている。丸太みたいにぶっとい腕。巨大な頭。三百キロぐらいありそうな巨獣が牙を剥いてうなる様は虎というより鬼だ。しかも左目に傷があって、眼球は白濁してる。


「グルルル!」


 生温かい息が俺の顔にかかった。


 うわあ…………モフモフしちゃったよ。気安く触ったらいけない人だよこれ。


 虎男は獰猛にうなり、眼光鋭く俺をねめつけた。


「ここはどこかニャン?」

「声高っ!?」


 裏声っていうかキュートか! どっから出たんだよいまの声!


「ヌウ、この外見はヒトを怖がらせてしまう。少しでも印象をよくしようと思いまして」


 今度はふつうの低い声だ。ちょっと耳が下がって、しゅんとしている。


「あ、いや、気にしないでくれ。そのハスキーな地声でいい」

「そうかニャン」

「ニャンもいいです」


 人食い虎みたいな顔して「ニャン」はないだろ。


 俺はコホンと咳払いした。


「ええっと、ここがどこかだったよな。見てのとおりダンジョンの深部だ。どこのダンジョンかは、わからない。俺たちも気がついたらここにいて」

「なんと、ヌシらも候補者でしたか! グルル……最終試験、手強くなりそうですな」


 ん!?  ヌシらもって。


「ヌシらもって……あんたまさか、〈栄光の戦士〉の候補者か?」

「さようですが?」


「な…………っ、どういうことだ!?」


 試験に挑む候補者は四人のはず。でもこの獣人も候補者なら、だ。



「なんでいる……!?」



「どうしたの?」


 ミアが怪訝な顔をした。

 説明するより布を見せたほうが早いか。


「みんな、ここを見てくれ! さっきも説明したけど、この試験問題――」


 布を広げ、メッセージの一文を指差した。


『じゃ、4人でなんとかするみょん!』


 ミアの目が大きく見開かれた。


「四人? ちょっと待って、五人いるじゃない!」


 はい、そのツッコミはいま俺がしました。そうなんだ、どうしてか一人多い。


 ミニ神官が首をひねった。


「試験を考えた人が、数をまちがえたのです?」

「ヌウ、最終試験でそんな粗末なミスするとは思えませんが」


 だよな、こんな大事な試験でミスなんて考えにくい。ほかに考えられるとしたら。


「試験監督官が候補者のふりをして、五人になってるとか?」

「どうしてそんなことをしますのです?」

「試験の難易度を上げるためかな。それか、近くで動向を観察するためとか」


「――――あるいは偽物がまぎれている」


 その一言に全員凍りついた。


 声の主は魔法使いだ。


「試験問題に偽りが書かれるなどナンセンス、嘘の試験問題でどう正しい解を導けと? ゆえにここに書かれた内容に偽りはないと前提が成り立つ」


「引っかけ問題ならまだしも設問自体が間違ってたらテストとして成り立たない、ってことか?」

「そう、問題用紙に四人と書かれてるなら、絶対に四人。それ以上も以下もありえない」

「…………まあ、たしかに」


「次に監督官が候補者のふりをしている可能性、それもない。観察や採点のために潜入するなら自分を含んだ人数を記載する。そうしないとかえって怪しまれる、ちょうど、いまのように」

「た、たしかに……!」


「よってこの設問に偽りはなく、監督官がまぎれている可能性もない。結論はひとつ」


 魔法使いは帽子のつばを引き、青い目を輝かせた。



「この中に偽りの来訪者――――敵がいる」

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