第5話 体調不良の訳

 アップルビネガーを含んだ髪をすすぐと、つんとした香りは消えた。しっかりとすすいだ銀糸をきゅっと絞る。アンドロマリウスが力を入れすぎない程度にもう一度絞ると、絹擦れにも似た音がした。

 一通り水を切った髪をくるくると巻きながら結い上げると、シェリルが閉じていた瞳を開いた。


「終わり?」

「そうだ」

 シェリルの問いに、アンドロマリウスは短く応じた。彼女はリラックスした様子で小さく笑みを浮かべた。

「ありがとう」

 彼女から視線をずらし、ビネガーなどの瓶を持って立ち上がる。そのまま片づけに移動すれば、浴槽の方からぱしゃりと水の音がした。彼女が身を動かしてアンドロマリウスを目で追っているのだろう。

 瓶を棚へ戻し、シェリルに濡れた身体を拭わせる為のタオルを手に取る。彼女の下へと戻ると、すでに浴槽から出ていた。

 濡れたせいで彼女の身体を隠す布は張り付き、裸体と遜色ない様を見せていた。


 シェリルの裸を見た事は何度かある。特に何も感じる所はない。だが今回、アンドロマリウスは何となく見てはいけない気がした。

 すぐさま手に持っていたタオルを渡し、視線を外す。

「早く拭かないとまた体調を崩す」

「うん」

 視線を外した先に、偶然にも空になった湯桶があった。先ほど使った湯桶だ。彼女が身体を拭っている間に湯桶を集めて片づけ始める。

 なるべく音を立てないように丁寧に動かすアンドロマリウスだったが、桶の当たる音が浴場内に響いた。

 カコンと音がする度、空気が揺れる。シェリルが笑ったのだ。彼女のくすりと笑う声を背に感じながらの作業は、よりアンドロマリウスに緊張を与えたのだった。


 作業を終えたアンドロマリウスが振り向くと、シェリルはしっかりと水気を拭い取り、乾いたタオルを巻き付けていた。

 もちろんその表情はいつも通りだ。面白い物を見ているような笑みは見あたらない。何となくその態度が、アンドロマリウスの緊張を察してのものである事を強調させている気がした。

「湯冷めする前に髪を乾かすからな」

「うん」

 差し障りのない言葉で気まずさをごまかし、シェリルを抱き上げた。




 シェリルの部屋に戻り、アンドロマリウスは彼女を椅子へと座らせた。彼女の背後へと回り、用意していた乾いたタオルで優しく髪を挟む。

 すぐにタオルは水気を含んだ。代わりのタオルを手に取って広げ、頭皮を揉むようにして水気を取っていく。

「シェリル」

「なに?」

 ある程度水気がなくなった所でタオルを使うのを止めた。今度は櫛を手に取り、彼女の髪を梳る。

「今日の体調不良は何だったんだ?

 お前、心当たりがあるだろう」

 アンドロマリウスの声色は優しかった。シェリルの頭が少しだけ揺れ、髪を梳く櫛が引っ張られた。


「……できてなかったの」

「?」


 彼女の声は小さかったが、しっかりとアンドロマリウスの耳に届いた。しかし主語がなく、意味が分からなかった。すぐに問いつめる事はせず、櫛をゆっくりと動かし続けた。

 まだ水気の残る髪は櫛に張り付こうとする。決して絡ませないように気を配った。ぱさりと櫛の通った髪が落ちる。

「今造ってる蜂蜜酒」

「ああ、あれか」

 蜂蜜酒ができていなかった。

 そこから連想できる事は一つだ。だが、アンドロマリウスには認めがたい事でもあった。

 この人間は本来独りでも十分生きていける奴だ。それが、こんな間抜けな事をするはずがない。そう信じたかったのだ。

「未完成の酒を飲んだのか」

 しかし、その答え合わせをしない訳にはいかない。アンドロマリウスは聞いた。


「だって、そろそろできてる頃だと思ったんだもん」


 シェリルの言葉は、アンドロマリウスの想像していた事を肯定したのだった。

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