第6話 発酵途中
蜂蜜酒とは、蜂蜜に水を加えて発酵させるだけでできる簡単な酒である。蜂蜜酒だけに留まらず、シェリルは様々な酒の類を造っていた。
シェリルは蜂蜜を入手すると、蜂蜜と水だけのものの他に、薬草を加えたものなど数種類の薬酒も仕込んでいた。
シェリルは蜂蜜を好物としている。しかし蜂蜜は貴重なもので、この辺りではなかなか手に入らない。その為、彼女は手には入った蜂蜜の半分を酒造りに使い、残りは料理や他の用途に取っておく。
蜂蜜酒も含め、発酵途中の酒は危険である。発酵中かどうか、蜂蜜酒の場合は気泡が頻繁に発生するかどうかで見極める。
そして数回の澱引きを経てようやく酒らしい酒へとなるのだ。
「それは、この前澱引きした奴か?」
「そう」
どうやら彼女が“試飲”したのは、まだ寝かせて置いた方がいい状態の酒だったようだ。
「待てなかったのか」
少しだけ、アンドロマリウスの声の力が抜ける。ため息にも似た呟きとなった。
「だって、気になるじゃない?
それにね、炭酸が残ってるのも美味しいのよ」
「……」
アンドロマリウスはただ、髪に櫛を通し続けた。何かを言う気にもなれなかった。シェリルはアンドロマリウスの沈黙に耐えられないのか、言葉を紡ぎ続ける。
「自分が造っているものが、本当にうまくいってるか、とか。
普通の料理以上に、お酒って同じ味、とは言えないわけで……」
髪を梳き終え、ぱらぱらとほぐれた銀糸に風を送る。前髪を先に乾かし、頭頂部から少しずつ髪を手で掬いながら風を通していく。
「前にも、同じ事でロネヴェにも迷惑かけちゃって。
気をつけてたんだけどなぁ」
ロネヴェの名に、一瞬だけ風が止む。別の部分の髪を掬い上げて、風を送ってごまかした。
ぽろりと彼の名を口にした。それはシェリルがあの出来事を乗り越え始めている証拠のように思えた。ロネヴェの事を過去として、現実を、未来を生きてもらわなくては。
最終的に、ロネヴェの事を懐かしみながら過去の思い出を共有できるようになれば良い。
「これからも気をつけろ」
「ごめんなさい」
素直に謝る彼女の頭をぽんと軽く撫でた。珍しい行動に、シェリルが頭を上げる。さっきまでつむじのあった場所に、逆さまの顔があった。
中途半端な蜂蜜酒に関するロネヴェとの思い出は気になる。だが、アンドロマリウスは今の段階で聞き出すのは早いと判断し、注意だけで終えた。
時間ならばたっぷりあるのだ。ロネヴェの思い出を聞き出す事を急ぐ必要はない。
シェリルはまだアンドロマリウスを見つめている。その瞳は、彼の感情を読み取ろうとしていた。いわゆる機嫌取りの瞳だった。
現在のアンドロマリウスの状態を一言に表せば、穏やかな気分である。彼女が心配しているような、負の感情はない。
「――そんなに気になるなら、俺が味見しても構わない」
「マリウス」
シェリルの不安を取り除くように付け加える。
「俺の方が、丈夫だからな。
……炭酸を残したいならば数回澱引きした後、もう一度ハチミツを加えて密閉するが良い。
過剰な発酵が始まって、炭酸入りの蜂蜜酒になるはずだ」
二人の間に数秒の沈黙が流れた。今度はぽかんとした彼女に見つめられている。小さく開いたままの唇が目に入った。本当に気の抜けた表情である。
少しの間、その表情と対峙した彼であるが、すぐに耐えられなくなった。
どうも、今日のシェリルには調子が狂わされる。
アンドロマリウスは心の中で独りごちた。
視線を動かす代わりにシェリルの頬に手を当てたアンドロマリウスは、彼女の顔を正面に戻す。つむじが見えると、アンドロマリウスは変な安心感を覚えた。
「後少しで乾く」
それだけを伝え、彼女の髪を整えるのに専念した。シェリルも彼がやりやすいように頭を下げる。
乾いている髪がさらさらと前へと落ち、シェリルの顔を隠してしまう。その為アンドロマリウスは、俯いた彼女の口元に笑みが浮かんでいるのに気付く事はなかった。
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