第2話 召喚術士としての器
シェリルが眠っている間に、アンドロマリウスはよく働いた。シェリルが目覚めてから水分を補給したがると考え、ハーブを調合したさわやかな水を容器に満たした。
しばらくしたら湯に入りたいかもしれないと、香りの強すぎないように加減した薬湯の素も用意した。
口寂しいだろうが、消化のよいものしか食べさせるべきではない。そう考えたアンドロマリウスは、彼女の為にりんごを用意した。
ただ切っただけでは意味がない。食べやすくなくては。すり下ろしたリンゴに薄い食塩水とレモンを混ぜて、液状にした。これは劣化しやすい為、力を使って冷やしている。
後は何をすれば良いだろうか。一通り済ませたアンドロマリウスはシェリルの頭を撫でながら思案する。
シェリルがふぅ、と息を吐いた。そう言えば、唇が乾いていたのを思い出す。ハーブ水で布を湿らせ、彼女の口元に添えてやる。水気を感じたのか、シェリルの唇が布を啄んだ。
シェリルの無意識な行動に、アンドロマリウスの口元に笑みが浮かんだ。少ししてから布を取ってやる。潤いの戻った唇が顔を覗かせた。いつになく穏やかな時間が過ぎていった。
アンドロマリウスはふと、彼女の布団を剥いだ。そして彼女のケルガを前開きにし、腹部へと手を伸ばした。手を伸ばした先にはアンドロマリウスの契約印があった。
少しだけ力を乗せればほんのりと熱が感じられる。アンドロマリウスとシェリルが正式に繋がっている証拠だ。
慈しむように印を撫でる。そして、今度はそのまま手を腹部から胸元へと移動させる。豊かな丸みのすぐ下にはロネヴェの契約印がある。こちらには力を乗せてもほとんど光らず、熱も感じられない。
本来ならば、力を乗せても全く何も起こらないはずだ。だが、ロネヴェの核を保管しているアンドロマリウスの力を与えると、わずかではあるが反応する。
アンドロマリウスは、これをロネヴェの意志が生きている証だと信じる事にした。ロネヴェの印に口付け、保管しているロネヴェの核に残っている力を分け与えた。
二つの契約印を持つ召還術士。何の身体的欠損もなく、何の要求もされずに契約印を持った人間。これが貴重な事だと彼女は知っているのだろうか。
きっと知らないのだろう。だから、アンドレアルフスにも心配されたのだろう。自分の置かれている状態を正確には認識していない彼女の代わりに、アンドロマリウスやアンドレアルフスが心配し、やきもきさせられるのだ。
もう一度、アンドロマリウスは自らの契約印の上を撫でた。しっとりとした彼女の肌の感触を楽しむかのように円を描く。改めて力を乗せれば、シェリルの髪の一房が黒く染まっていく。彼女の顔を見つめ、その表情に苦痛がなくなったのを確認してから手を離した。
黒く染まった一房を掬い取る。白銀の絹糸が、濡れ羽色と変わっていた。アンドロマリウスに力を注がれた為の一時的な変化であるが、艶やかな絹糸は漆黒となっても尚、美しかった。
契約者へと力を渡し、一時的に様々な能力を増幅させる。今回の目的は、身体能力を高める事だった。
召喚術士が特殊な職なのは、召喚術を使いこなせる事は最低限だが、召喚された者とうまくやっていく為の話術や知識等の他に、努力ではどうしようもない事があるからだ。器として成り立つかどうか、これがある意味最も重要視される。
この、器というのは召喚された者が判断する。己の力を受け入れるに相応しい容量があるか。また、己の魔力と馴染みやすいか、といったものだ。
器として成り立たなければ、どんなに優秀な能力を持っていても召喚した者の能力を引き出す事はできない。下手をすれば、代償としてあらゆる物を差し出さなければならなくなる。最悪、己の命を差し出すしかない場合もある。
その中でもシェリルは、器としては上物だと言える。アンドロマリウスから見た彼女は、キャパシティが大きく癖のない魔力を持っており、使い勝手は良さそうだ。
アンドレアルフスと対峙した際も、彼に飲み込まれずにいた。力のない人間はアンドレアルフスが何もしなくとも、下手をすれば自殺を図る。ただの日常会話中に死なれた時は、流石にアンドロマリウスも彼に同情したが。
アンドレアルフスと長時間一対一で正気を保っていた人間はとても珍しい。シェリルのキャパシティの大きさはそういった所にも現れていた。
ロネヴェがシェリルに目を付けなければ、もしかしたら彼女をめぐって厄介な事が起きていたかもしれない。アンドロマリウスが与えた力は、シェリルの中ですぐに馴染んだ。毛髪にその片鱗が現れたのもその証拠だ。
アンドロマリウスは、思っていたよりも力を渡さずに済んだ。普通の被召喚対象であったならば、召喚術士が彼女であった事を純粋に喜べたかもしれない。
キャパシティも大きく、他者の力とも親和性が良い。それが広く知られる事となったら、かなりの大事となるだろう事が簡単に想像できる。
シェリルが嫌がろうとも、そうなった場合はこの街から離れるしかない。そうならないよう、アンドロマリウスは最大限の対策を講じようと心の中で誓った。
濡れ羽色の美しい髪を弄る。黒い髪も悪くない。そうアンドロマリウスは独りごちた。
アンドロマリウスは、彼女が目覚めている時にはあり得ないだろう想像をする。
――もし、己の力で彼女を満たせたならば。元々全体的に色素の薄い彼女であるが、この白銀の髪が全て漆黒へと変化したならば。
より一層白い肌が浮き立ち、一段と浮き世離れした姿となるだろう。それこそ、魔性の者であるかのように。
アンドロマリウスは恭しく漆黒の一房へと口づけた。さながら騎士の誓いのようであった。
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