第6話 黒い悪魔の苛付きと驚き

 シェリルが目を覚ましてからが大変だった。シェリルは、最愛の悪魔を失ったせいで、全ての事に興味を失っていたのだ。

 アンドロマリウスを責めるかと思えば、勝手にしろと言い放ち、一日中ぼうっとしていた。

 アンドロマリウスが知る限り、彼女は人間としての生活をしていなかった。朝に起きて夜に眠るならば、まだ良い方だ。

 シェリルが唯一定期的に行っていたのは、植物への水やりだった。彼女は気が付いていないだろうが、アンドロマリウスは地下牢から眷属を使って監視していた。

 ひと月も経たぬ内に、シェリルは植物の水やりすらやめてしまった。水やりを終えたシェリルは、そのまま椅子に腰掛けたまま、動かなくなったのだ。

 彼女はこの世界への興味を完全に失ってしまった。

 このままではいけない。その思いはあれど、アンドロマリウスは何をすれば良いのか分からなかった。

 彼が思い付いたのは、彼女をベッドに寝かしつける事と、彼女が今までしていた事を引き継ぐ事だけだった。


 それからアンドロマリウスは、毎日を規則正しく過ごし始めた。彼女の代わりに植物へ水をやり、彼女が目覚めていないか日に三度確認する。建物の内部でほこりがつもり始めていたあちこちの部屋は、何日もかけ全て掃除した。

 しばらくその生活を続けていると、シェリルを訪ねる者があった。この街の住人だった。

 いつの間にか、彼女の代理人として話を聞く事になっていた。やってきた人間は、この街に住む老婆だった。薬草を煎じてもらっていたらしい。もちろん彼女は薬師ではない。

 ようやく、アンドロマリウスは彼女がただの召還術士ではない事を知った。

 彼女は、この街の“何でも屋”だった。召還術士とは呼ばれているが、召還術士でなくてもできる仕事もこなしていた。


 召喚術に拘らず、人々の為に動く。それがシェリルという召喚術士だったらしい。


 シェリルの代わりに街の何でも屋をやっている内に、彼女が目を覚ました。だが、彼女との間にはまともな会話など存在しなかった。

 そもそもシェリルが活動している時、アンドロマリウスは表へ出るのを控えてしまう。彼女の様子を見るだけならば、蛇を使って事足りるからだ。その事が彼女との間を狭める機会を逃す原因となり、まともな接点のない状況を生み出していた。

 そんな時に限って、プロケルの部下が現れた。手の込んだいたずらも仕掛けてきた。しかしこれは、プロケルが差し向けたのだと知らせる為の彼なりの目印だ。また、今後こういう事が起こりうると警告する意図もあったのだろう。

 いたずらの後、親切な親友の部下は他愛もない会話だけでさっさと還ってしまったのが良い証拠だ。


 親友の助言は聞いておいた方が良い。アンドロマリウスはシェリルに対して契約を結ぶ事にした。ただし本人の同意は関係ない、一方的なものだった。

 契約を知ったシェリルは、過去アンドロマリウスが思った事のない程に彼を苛つかせた。

 己の感情だけでしか動けない人間に、ロネヴェという存在を奪われた事が許せないとさえ感じた。だが、それを彼女へぶつけたとして、意味がない事は分かっていた。

 あの悪魔が、何の為に死んだのか。アンドロマリウスは、そう問いただしたくもなる気持ちを抑えるだけで精一杯だった。

 結局、アンドロマリウスは感情の混乱で呆然としたシェリルの姿を見かねて、彼女の身を整えてゆっくりと休ませた。いくら苛付く原因となろうが、親友との契約を破る気にはなれなかった。

 どれ程のストレスを与えられようとも、ロネヴェの形見でもある彼女に対して発散する事はできなかった。


 更に、翌日のシェリルの態度を見たら、昨晩の事に対する苛つきは失せた。

 アンドロマリウスが彼女を責めずに世話を焼いた事を覚えていたらしく、殊勝な態度をとってきたからだ。

 少しだけ気を良くした黒い悪魔は、そんな彼女に変な強気を出した。この契約の重要性や、見えなくさせる事も可能だとか、自らがシェリルの下僕になる権利があるとか、とにかく彼女に対して上手なのか下手なのか分からない事を淡々と口にした。

 ひとしきり話し終えた彼の目の前には、無表情で返事をしない彼女がいた。恐らく想定外の事で、思考が止まっただけだろう。彼女が落ち着いた頃にでも、食べ物を持って戻れば良い。

 アンドロマリウスは自らの気持ちを落ち着かせるように小さく息を吐いてから部屋を出た。


 食事を一通り用意し、彼女の部屋に戻ったアンドロマリウスは、シェリルが笑顔を向けてきた事に心底驚いたのだった。

 ロネヴェを殺めてから今までで、一番驚いた出来事だった。

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