第5話 シェリルからの中途半端な仕打ち
ロネヴェの亡骸を奪い返すように抱き抱えた彼女の目は、暗く澱んでいる。彼女を中心として巨大な円が浮かび上がった。
術式のベースにしては大きすぎた。
「魔界になんて、返してやらない」
普通の人間には、ここまで大きな円をチョークや血液なしで描く事は不可能だ。アンドロマリウスは二人を観察し、ロネヴェの亡骸がそれを可能にしていると考えた。
亡骸が、さらさらと崩れながら彼女の力を導いているように見えたのだ。
「この俺を、縛り付けるか」
「……私が、死ぬまで。
でも、私が死ねばあんたも死ぬのよ」
アンドロマリウスが無感動に問えば、シェリルはそう答えた。複雑な式が描かれていく。完成すれば、無抵抗なアンドロマリウスを拘束するには十分なものになるだろう。
「……好きにしろ。
俺は暫く、何もしたくない気分だ。構わん」
部下達は、この巨大な術式に今頃慌てているかもしれない。そう思うと、少しだけ気が抜ける思いだった。元々、これを見せる為に呼んだのだ。
これ程に大きくなるとは誤算だったが、と彼はほくそ笑んだ。
ロネヴェと同じ轍を踏む気はなかった。我が子を殺して、のうのうと今までの生活を続ける気もなかった。
「悔しいけど、あんた程の悪魔にもなると、拘束するだけでいっぱいいっぱいなのよ。
私みたいな、ただの人間にはね」
光の奔流がアンドロマリウスを襲う。だが、そこから先はアンドロマリウスにとって、それこそ誤算そのものだった。
アンドロマリウスが目を開けると、そこはまだ砂に囲まれた土地だった。目の前にはシェリルが倒れている。あたりを探れば、彼の部下達がこちらに向かってきているのが分かった。
部下達と合流するまでにアンドロマリウスがした事は一つだった。それは、自らにかけられた術がどのようなものかを把握する事だ。
術式を引き出して解読を始める。すると、アンドロマリウスが望んだようなものではない事が分かった。
まず、封印の術式ではなかったのだ。そして、シェリルに隷属する術式でもなかった。
この世界から出られなくし、シェリルの魂と結ばせるだけの術式だった。悪魔にとって、ある意味では都合の良い術式ではあるが、今のアンドロマリウスには微妙な術式であった。
この世界から移動できなくなり、シェリルが死ぬとアンドロマリウスも死ぬという。ただそれだけだ。
能力を制限させるものではなかった。アンドロマリウスを呪い殺さんという勢いだったにも関わらず、なんと手緩い事か。
中途半端だとしか言いようがなかった。
アンドロマリウスの部下達はすぐに現れた。そして、アンドロマリウスに巻き付いている術式を見て、一様に目を逸らした。
「俺を見て分かると思うが、この世界から移動できなくなった」
ざわりともしない。ロネヴェの事もよく知る部下を連れ立ってきていた為、こうなる事を見越していたのだろう。
察しの良い部下で助かったアンドロマリウスだが、自らの失態を見せているようで気まずい雰囲気さえ感じられた。
「……時期を見て対応する。
それまで、向こうの事は任せる」
何も言わずに一礼し、部下達は魔界へと還っていった。この事は、すぐに魔界中に知れ渡るだろう。
部下達の去った後、アンドロマリウスはどうするべきか悩んだ。数分だけ悩んだ末、アンドロマリウスは自らの能力でシェリルの家を探し出し、彼女を運び込んだ。
彼女の部屋を見つけ、その寝台へと寝かせる。
一通りの事を済ませたアンドロマリウスは、自らが封じられるにふさわしい場所を探して彷徨った。
そうしてアンドロマリウスは自らが封じられるにちょうど良い場所を見つけた。シェリルとロネヴェが暮らしていた建物は、どうやら騎士団の長期滞在用に造られたもののようだった。武器庫だけではなく、書庫や地下牢があったのだ。
地下牢を見つけ、アンドロマリウスは暗い笑みを浮かべる。
地下牢ほど、似合いの場所はないと思ったのだ。育て方を間違えたとは思っていない。だからといって、自らロネヴェを下した事も間違った事とは思っていない。
ただ、ゆっくりと暗い場所で休みたかった。シェリルが目を覚ますまでの短い間だ。今まで忙しくしていたのだから、それくらいはロネヴェも許してくれるだろう。
そう心の中で言い訳してから座り込んだ。
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