第10話 アンドロマリウスの困惑
アンドロマリウスは、再び寡黙な悪魔へと転じた。食事を済ませたシェリルを風呂に入れ、後片付けを始める。そして彼女が眠りについた頃、軽く湯を浴びて地下へと降りた。
定位置に座り、両腕を封じる。
今日はいつになく疲れた。言葉には出さないが、そう表すかのようにアンドロマリウスが深く息を吐いた。
アンドロマリウスはいつものように、シェリルが依頼をこなすのを見守っている予定だった。だが、彼女がこの敷地を出た途端に異変は起きた。
シェリルの気配が、あちこちに散らばったのだ。
慌てて複数の気配の一つを追いかける。その気配には簡単に追いついた。追いついた先には、シェリルの気配がする小動物がいた。
「罠」「策略」といった言葉がアンドロマリウスの頭に浮かぶ。保護対象を見失ったと感じた彼の眉間に皺が刻まれた。
それと同時に周りの空気が震え始める。魔の気配が空気を荒らしているのだ。
冷静さを辛うじて失わなかったアンドロマリウスが小動物に触れて調べてみれば、知己の力を感じた。途端、彼の周りを荒れ狂わんとしていた空気がぴたりと止む。
知己の力――それはアンドロマリウスが魔界での師と仰ぐ、アンドレアルフスのものだった。シェリルがアンドレアルフスの所に居るならば、そう大きな問題ではない。そう、その時は思っていたのだ。
数刻すれば戻ってくるだろう。とさえ考えていた。
時は経ち、日が沈み、星が瞬くようになってもシェリルは戻ってこない。調理中だったアンドロマリウスは、ここまできてやっと、ただ事ではない事に気が付いた。
アンドロマリウスは、調理中だった夕食に水を加えてスープへと変える。これならば、時間が経ってもすぐに食べられるだろう。蓋をして目を伏せると、夜空へと舞い上がった。
散らばっているシェリルの気配を一つ一つ探し出した。全て見つけたが、シェリル本人のものではなかった。
いつの間にか、アンドロマリウスはこの世界に馴染み、すっかり腑抜けてしまっていたようだ。険悪な表情を隠そうとせず、夜空を睨みつけた。
先ほどまでの余裕は既に打ち砕かれていた。
気配の欠片を追っても、意味がなかった。シェリルはアンドレアルフスの張った結界の中だ。
そこまで考えた時、彼が以前言っていた言葉を思い出した。
「俺が一番好きなのは、人間達のいる世界の夜空だ」
そこで連想されたのは、この街で一番夜空に近い場所――つまり、商館だった。
読みは当たり、結界はあった。だが、その結界は丁寧に作られたもので、中の様子はおろか気配すら感じさせぬものだった。
その結界に触れた瞬間、アンドロマリウスは焦燥感に駆られた表情で聖の力を解放させたのだった。
アンドロマリウスは確かに堕天した。だが、聖の力はまだ持っていた。神に対する――いや、世界に対する愛が残っている為だろう。堕天使で、未だに聖の力を使いこなせるのは幾らもいない。
使いこなせるとはいえ、もう天使ではない。それなりに反動はある。いつになく消耗しているのはこのせいだろう。
助け甲斐のない彼女を、どうしてここまでして助けなければならないのか。それはアンドロマリウス自身も感じている疑問だった。
ロネヴェに任されたからか。だが、任されたからとこんな無茶をする必要はなかった。
普通にアンドレアルフスへとシェリルを迎えにきた旨を伝え、結界を解いてもらえば良かったのだ。
何も、攻撃的にならなくとも良かったはずだった。アンドレアルフスの性格を考えれば、ロネヴェの死後に彼女がどうなったのか知りたがっていただけだと見当が付く。
そして、彼女にロネヴェが命を落とすだけの価値があったのか確認したかったのだろう。
今になれば、そう冷静に考えられるのに。何故だ。
それは、ロネヴェがアンドロマリウスにかけた願いのせいだ。彼は死ぬ事で、アンドロマリウスを、シェリルを縛り付けた。
そうとしか、アンドロマリウスには思えなかった。
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