第9話 アンドロマリウスのお小言

「アンドレアルフスに関わるな」

「え?」

 商館から戻ってきて早々、アンドロマリウスはシェリルに釘を刺した。商館を出た彼女は、すっかり日が落ちていた事に驚いていた。流石に夜になっても戻らなければ誰だって心配するだろう。

 商館という近場であった事もあり、彼女は軽装だった。

 だが、アンドロマリウスが言っているのは、そういう事ではないのは確かだ。


「お前が出て行ってから、お前の気配が分散したんだ」

「分散?」

 真面目なこの悪魔は、シェリルを探しながらも夕食の準備をしていたらしい。温め直すだけになっているスープを用意しながらアンドロマリウスは続きを口にした。

「俺を撒くためだろう。

 ただの時間稼ぎだが……

 そのおかげで、お前自身を結界に閉じこめる程入念だと気が付くのに時間がかかった」

「……そこまでして、私と話したがっていたの?」

 シェリルは顔をひきつらせた。アンドレアルフスの計画は、入念というよりも執念すら感じさせる。

 振り返ったアンドロマリウスは、シェリルの表情を見て、そっと目を伏せて夕食の支度に戻った。

「――変わった悪魔だからな」




 器はスープで満たされ、パンが添えられた。今夜は香味の効いた鶏肉と野菜のスープであるようだ。

 こんな料理を用意するこの悪魔も、十分に変わっているとシェリルは思ったが、その事は言わなかった。

 糧に小さな祈りを捧げ、口に付ける。キッチンで栽培している薬草の香りがした。おいしい。彼女は口元を緩めて、味付けを褒めた。

 五十年くらい前は、素直に食べられなかった料理だ。

 しかし今では、自然に味わいながら食べている。二人は二人が思っているよりも、自然に生活できる程の関係になっていた。

「普通に接触しようとするのなら、俺だって警戒しない。

 育ての親だから、一応信用はしているんだ」

 シェリルは咀嚼しながら、いつもより饒舌なアンドロマリウスの話を聞いている。


「一対一で、ゆっくり話がしたいっていう感じの事を言われたわよ」

「簡単に悪魔を信用するな」

 ――それをあなたが言うのか。そう言いそうになるのを鶏肉と一緒に飲み込んだ。

「あなたに対してそんな事してるなんて、知らなかったもの」

 その代わりに言い訳じみた事を口に出す。

 アンドロマリウスの眉間に皺が寄った。

「だから、簡単に信用するなと言っているんだ」

 眉間に皺が寄っているのには気が付いているらしい。彼は眉間の皺を伸ばすように揉み、溜息を吐いた。そして自分用に注いでいたカップを手に取りながら、再び口を開く。

「俺は、お前の為に言っている。

 俺自身の保身の為じゃあない」

 悪魔を簡単に信用するなと言うのに、アンドロマリウス自身の言う事は信用しろと言う。その矛盾に気が付かないシェリルではないし、それを指摘する意味もない事も分かっていた。


 アンドロマリウスは、不必要には嘘を吐けない悪魔だ。百年一緒に過ごしていたシェリルは確信していた。基本的に、彼の悪魔の言う事は正しい。彼の場合は嘘を吐く代わりに口に出さずにおくのだろう。

 今までシェリルは「だから、寡黙な悪魔なのだ」と思っていた。



 ――それは恐らく、半分正解だったのだ。



 シェリルがアンドロマリウスに心を開かないように、アンドロマリウスもまた、シェリルに心を開いていなかった。今、彼が饒舌なのは知己の悪魔に会ったからなのだろう。

 決してシェリルに心を開いたからではない。この事を伝えるのが必要だと感じたからなのだ。

「アンドレアルフスを信用しすぎちゃいけない理由は?」

 シェリルはこの状況を利用する事にした。悪魔は意識的に人間の思考を操作する事がある、とアンドレアルフスが言っていたのを覚えていたのだ。

「アレは、人間を試すのが好きだからだ」

 たった一言だったが、明快な答えだった。

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