第3話 街外れの喫茶店

 店主——ファルセンはシンの言葉から記憶を探るように上の空で顎を撫でた。


「日本? あぁ、そういえば例の極東の国がそんな名前だったかな……?」

「えぇ、大陸外れの小さな島国です」

「やはりか。話は此処まで届いているよ。私等の国も帝政ロシアとは色々因縁深い関係にあってね。まさか東洋の国がナポレオンを退けたアレらに打ち勝ったと耳にした時は、それは様を見ろと皆で笑ったものだ」


 朗らかに笑うファルセンに対し、苦笑いで答えるシン。ファルセンは一頻ひとしきり笑い終えると親しみを込め頬を上げる。


「いやいや、言葉が通じるとは中々素晴らしいものだ。それで? オーリークには旅行かい?」

「いえ、一身上の都合で来てまして……」

「おや、こんな田舎に都合なんて珍しい。それもわざわざ大陸をまたぐ程のものとは驚きだね……旅路は大変だったろう?」

「それ程でも。というのもそれまでプロイセンの方に居たものですから、内海を渡る程度で済んだのですけど……先の通りドイツ語と英語以外は話せないもので。大変だったのは此方に来てからでしたね」


 何処か恥ずかしそうにシンはしながら、一応辞書はあったのですけど、と苦労の染みた手帳を店主に渡した。


「なになに…………っ、ふ、ふはは!! なるほどなるほど!」


 それをファルセンはチラッと覗くとそれはもう声を張り上げ、妙に納得したような笑い声を上げた。

 シンはその反応が意外だったのか若干の驚きと不思議そうな顔付きで、


「もしかして読めたのですか? しかし言葉は一度も通じなくて……」

「あぁ、一応は通じると思うよ。でも君の様子からすると恐らく主軸とは違う意味合いを含めて伝わっているんじゃないかな?」

「……違う意味? それはどういった——」


 シンは怪訝そうにそれを尋ねようとした。

 がしかし、そこにシンと重なるようにしてバンバンと先程よりも強くテーブルを叩く音が店中に響く。


 話を遮る音の元へと二人の視線が向かう。その先のテーブルの上には二本の細い袖が震えている。それが再度テーブルを叩き、我慢しきれないと急かすように何かを催促をしていた。

 シンは思わずがっくりと頭を項垂れると、話の先をとりあえず諦めファルセンに申し訳なさそうに苦笑いを向ける。


「すみません、とりあえずは注文をしてもいいですか?」

「ハッハッハ! 面白いな君達は! 確か、昼食を二人分だったね?」

「えぇ、お願いします。あっ、片方にはニシンの塩漬けとキャベツの酢漬けは入れないでもらえますか?」


 店主は分かったと頷き、出入り口近くのカウンターへ準備に向かう。

 しかしその途中で店の出入り口が開いた。

 ファルセンは入って来た客に声を掛けるが、その顔を認識するとおや、と驚きながらも嬉しそうな表情を浮かべた。


「こんにちは、おじさま!」

「おや、リズか? こんな早くに来るなんて珍しい。今日は街での聞き込みは行かなかったのかい?」

「行ったわよ。行ったんだけどちょっとね……。それよりお昼休みの時間には少し早いけどお菓子はもう出来上がってる、おじさま?」


 店内に入っていきたのは十代後半くらいの若い女性だ。

 愛嬌のある顔立ちに金糸雀カナリア色の頭髪は後頭部でポニーテールに纏められ、その身には灰色のコートドレスを纏う。

 膝までのゆったりと膨らんだスカートは彼女が動くたびにその髪と一緒に揺れ、その活発な様が彼女に生き生きとした印象を与えていた。


 彼女とファルセンは何故か国違いのドイツ語でしばらくの間親しそうに会話を続けると、その二人の視線が店内唯一の客へと向いた。

 二人が会話を交わすごとに女性の表情へは好奇心が満ちていき、いよいよとその歩みを視線の先へと進める。


「こんにちは! 貴方達がおじさまの言っていた遅い昼食のお客さんね? 確かに、如何にも怪しい組み合わせね」


 彼女はその特徴的な赤と青の色違いの双眸を薄め、じろじろと探るような視線を客席の二人へ向ける。

 その目付きは恐らく白外套の顔も知れない小柄な輪郭と素性不明な東洋人の男がどのような関係か探っているのだろう。

 対して小さな客の方はどこ吹く風のように全くの無反応で、シンは不機嫌になるでも無くどうしたものかと困ったように、


「一応言っておくと怪しい者ではないんだけど……まぁ、自分で言っておいて説得力はあまり無いか」


 自身とその白く小さいのを見比べ失笑した。

 そこで彼は慣れたように一つ咳払いすると席を立ち上がり、人柄の良さそうな笑みと共に右手を差し出す。


「何か変な誤解を産ませたようで申し訳ない。極東の日本から来たシンという。もう一人は連れのハル。彼女は肌が日光に極端に弱い体質でね。その対策で肌を隠す為に暑苦しい格好をしているだけだから、あまり気にしないで貰えるとありがたい」


 彼女は差し出されたその手をチラッと見やりながらも、疑念の残る視線をシンへと戻す。


「ご丁寧にどうも。ちなみにその子とあなたはどういう関係なの?」

「母方の従兄妹さ。彼女が都合で欧州に来る必要があったんだが、此方の言葉を話せないからその付き添いでね。まぁ、自分もスウェーデン語はまったくなんだが……」


 と、シンは連れへ一言声を掛ける。

 すると白外套の——ハルの影に隠れた頭巾の中からじっと観察するような視線を感じた後、面倒そうにぺこりと頭を下げ会釈するのを傍らの若い女性は見た。


 ふーん、と彼女は細い小声を漏らすと納得がいったように小さく頷き、次にはあっけらかんと雰囲気を変えて親しみを込めた笑みと共にシンの右手をとった。


「私はリーゼロッテ、リゼと呼んで。おじさまから貴方達の話は少し聞いたわ」

「あ、あぁ。よろしくリゼ」


 リゼの打って変わって裏のない気さくな様にシンは若干戸惑いながら、自身もそれにならい声音を柔らかく挨拶を交わした。


「なんか変なことを疑っていたみたいでごめんなさいね。おじさまの人を見る目は確かだから本当に疑心があった訳じゃないのよ? ただ……ちょっとした好奇心、みたいな?」

「……ははっ、別に気にしてないさ。自分らが目立っていることは自覚しているつもりだ」


 あっさりとしたリゼの謝罪にシンは弱った声で受け答えた。

 二人が手を離すと先の会話の中でふっと何か気掛かりを見つけたのか、今度はシンが彼女へ尋ねる。


「ファルセンさんとずいぶん親しい様だけど、リゼは彼の親族とか?」

「えぇ、その通りよ。おじさまは私の母方の伯父で、つまり私はおじさまの姪っていうことね」

「なるほど。それじゃあ今日はその姪が伯父さんの所に遊びに来たと」

「うーん、まぁ間違ってはいないけど……そうね、私はお仕事で来ているのよ。みんな集まるお昼休みの時間の前に来て、珈琲コーヒーのお供の出来を確認する仕事!」

「まさか、その仕事というのは味見と称してタダでお菓子を強請る事なのかい?」


 リゼの説明に小言を付け加えながら店主のファルセンがやって来る。準備が早くその両手には大きめのお盆が持たれていた。

 伯父の呆れを含んだ言葉を背中に受け、うぐっ、とうっかり苦虫を口に入れてしまったような顔のリゼ。彼女は後ろを振り返ると口を尖らせ、


「もぉ、せっかく大学から帰省してるんだから短い間ぐらい可愛い姪を甘やかしてもいいんじゃない、おじさま?」

「何を言っているのだか。毎日毎日こうして甘やかしてやっているだろう?」


 不貞腐れたリゼの文句を受け流しながら彼はお盆を一度テーブルの上に置いて各々に皿を配る。


 シンとハルの目の前には大きめのサンドイッチと珈琲が置かれた。平たい黒パンには衣を纏った魚の切り身が青野菜と一緒に挟まれている。ハルは目の前に皿が置かれると待ったなしで手を伸ばす。

 別にリゼには珈琲とシナモンロールを載せた皿が手渡される。焼きたて特有の熱気にはシナモンの甘い匂いが移り渡り、珈琲から漂う芳ばしい香りと見事にバランス良く混ざり合わさっていた。

 折角だから一緒にとリゼからの同席の願いをシンは軽く受け入れるとリゼは空いた椅子へと腰を下ろした。

 シンはリゼの芳醇な香りを振りまくシナモンロールを見て思わず、


「へえ、美味そうだ」

「そうでしょ。おじさまの焼き菓子はこの街一……いえ、この国一番に美味しんだから!」


 リゼが自慢げに胸を張る。その様子にファルセンは嬉しさを隠すように苦笑いを浮かべていた。

 親子のような仲の良い二人をシンはどこか頬ましげに見つめ、自身もようやくの食事に手を伸ばす。しかしそれを口に運ぶ段階でふと食事中の筈のもう一人が先程から身動きが止まっていることに気付いた。


『………………』


 白い頭巾フードの陰からはシナモンロールへと熱い感情が漏れだすように傾けられていた。

 じっと見つけていたその熱は続けてシンへとゆっくり行き先を変え、皿の上へと指差す真っ直ぐ伸ばされた腕とで何か強い感情を彼に伝えている。

 シンはその想いもこの後の結果も見通せてしまったのか早くも諦めの嘆息を上げた。


「……あの、申し訳ないんですが、そのシナモンロールを注文することは出来ますか?」

「ん? 別に構わないが——」


 ファルセンは彼の連れを見やると状況を察した様子で、それに気付いたシンと同情めいた失笑を互いに交わした。 


「お互いに色々手を焼いているようだね……それで? 一つだけでいいのかい?」

「あ、すみません。それなら自分のと二つお願いします」

 

 恥かしげに頭を下げるシンにファルセンは笑顔で受諾するとカウンターの方へと姿を消した。

 それからやっとの事で目前の昼食にありつき香り豊かな珈琲を一口するシン。彼は心底満足そうに鼻を鳴らし一つ頷く。

 同じくその一席でカップを手にしていたリゼはタイミングを図っていたのか、チラッとシンを覗き見ると彼が余韻を味わい終える頃にソーサーにカップを戻した。


「それで貴方達はこんな田舎に何か探し物でもしに来たの? オーリークに観光って訳でもないでしょ。此処には歴史だけの古い塔ぐらいしかないし」

「いや、塔の風格もあっていい街だと思うよ。是非とも観光で来たかったのだけど——」


 とシンはカップを置き背広の内ポケットから一枚の紙を取り出して見せる。紙には鷹のような鋭い目付きに気品のある身なりの老いた男性の似顔絵が描かれていた。


「まぁ、君の言う通り探しもの——というより人を捜しているんだ。この老人なんだが記憶にないか?」


リゼは机を乗り出してまで絵に顔を寄せじっと凝視みつめ続けたが、結果としてただ首を捻るのみだった。


「うーん……ごめんなさい。この絵だけだとハッキリとはわからないけど、少なくとも此処らでそんな人が居た記憶にはないわね」

「そうか……」


 言葉通じぬ異国でやっとまともに手掛かりを聞けども、それからも結局何も得られなかったことに思わずがっくり肩を下げ落胆してしまうシン。

 そんな彼を不憫に思ったのかリゼが申し訳無さそうに続けた。


「他に何か手掛かりとかはあるの? 住所とか、職業とか、名前とか」

「……住所はこの街付近だとしか。職業は不明。名前は分からないが愛称でスラヴァと呼ばれているらしい。それと家名は確か……コールベルクだったか——」

「えっ……?」


 シンの言葉を遮りリゼが間の抜けた声を上げた。それにキョトンと惚けた顔をシンは釣られて向ける。

 リゼは呆然としながらも知性の残した瞳で彼を見つめ返す。


「それ……多分私のうちのことだわ。多分、いえ絶対。だって、此処らで他にドイツ系の家名の人なんていないもの……」


 シンは驚きに見開いだ瞳でその色違いの双眸を見入る。

 それに続く言葉は一つもなく、少しの間しんと先行きの分からない静かな沈黙が喫茶店に流れた。


 そんな中でただ一つ、小さな白い影がまるでそんな話興味が無いとばかりに黙々と遅い昼食に舌鼓をうっていた。

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魔法陣な少女はかく彷徨う 加冷遊戯 @yugi_karei

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