影の海

春風月葉

影の海

 東京に越してきて最初に驚いたのは人の多さだった。

 慣れない都会の想像以上に広い駅はその中だけでも数時間は迷えてしまいそうで、そうならないよう道行く人に声をかけてみるが誰もが下を向いて早足で去ってしまう。

 結局、誰にも道を尋ねることができず、無愛想な駅員の男性に話しかけた。

 駅員のおかげで無事に目的の駅までたどり着くことはできたものの、私の心はすでにだいぶ弱っていた。

 駅の改札を出ると目の前には都会が広がっていた。

 自分はついに上京したのだという実感、私は震える両手を強く握った。


 都内に残る一件の古いアパートの二階にある三部屋の中の一室、私は静かに引っ越し業者の到着を待っていた。

 なにもない部屋は一人暮らしには広すぎるように感じて、少し寂しさを感じた。

 外で車の止まる音がして、私はカーテンの隙間から窓の外を覗いた。

 外に止まったトラックのロゴでそれが引っ越し業者だとわかると、私は玄関までドタバタと走った。

 階段を上る音に続くように、ピンポーンとインターホンが鳴る。

 ガチャンと戸を開けてハイと応えた。

 業者は若い男と中年の男の二人組で、二人は帽子を一度頭から外すと軽く会釈をしてきた。

 私もつられるように会釈をし、お願いしますと言った。

 しばらくは静かに荷物が運び込まれていたが、少しすると私は腕を捲り髪を後ろでまとめ、中年の方にお手伝いしますと言った。

 中年はいいよいいよと言って引き続き荷物を運び込んだ。

 次々と運び込まれた荷物が積まれ、結局私は何一つ手伝うことができぬまま部屋はあっという間に狭くなった。

 私は業者の二人に礼を言い、トラックを見送った。

 部屋は窮屈になったのに、私はどこかでまだ寂しさを感じていた。

 その後は今夜は部屋を片付けてさっさと寝ようと、そんなことばかりを考えていた。


 昨晩、無事に引っ越しが済んだことを母に伝えた。

 母の話ではまだ一日目だというのに父はもう酷く寂しがっているようだ。

 そのことになぜか少しほっとしつつ、私は甘いコーヒーを一杯飲んだ。


 夢であった都内の大学への入学を決め、私は浮かれていたのだと思う。

 本当は上京がしてみたかっただけなのかもしれない。

 私は低い空を見上げた。

 駅前の交差点を人が流れている。

 その中には知った顔など一つもありはない。

 私も周りの人々と同じように重い足を引きずって歩いた。

 これから、私は大学の入学式に向かう。

 都会に来て驚いたことは沢山あった。

 駅のホームで私は顔を上げたが、誰とも目が会うことはない。

 都会にはこんなにも人が少ない。

 冷たい風が私を人で溢れそうな電車の中に押し出した。

 後ろから入り込んでくる人の群れに押し込まれて、狭い箱の中に詰められた。

 息が詰まりそうだ。

 呟いた私の声は駅のアナウンスに掻き消えた。

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影の海 春風月葉 @HarukazeTsukiha

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