第9話 時香の授業『世界の歪み』

「それでは授業を始めるかの」


 黒天が時香に師事してから数日。黒天達心歪能力者五人は、講義室で時香の授業を受けていた。

 この学園のカリキュラムは、午前中は一般の学校と同じ様な授業で、午後からは戦闘訓練を含めた心歪能力者としての教育を行っている。

 黒天が入学してから間もないため、座学は基礎の復習が主となっており、今日もその予定である。

 心歪能力者としての教育だけでなく、一般科目の授業もこの五人を一組として行っており、普通の学校からすれば珍しい体制を取っていると言える。

 もっとも、ここは精神医療研究センター付属の学園であり、同じ様な精神病の症状の生徒を集めて一クラスとするのはさほど珍しくはないが。


「今日は『世界の歪み』について話そうかの。そこの黒髪の小僧。世界の歪みについてどこまで知っておる?」

「俺か?世界の歪み、どっかで聞いた覚えがあるんだが……そうだ。世歪生物の発生原因みたいなやつじゃなかったか?」


 黒板に手が届かないため、踏み台の上に乗っている時香に指された黒天が答えると、時香は満足気に腕を組んでうむうむと頷く。

 本人的には威厳のある教師を演じているつもりなのだろうが、見た目が幼女のため、微笑ましさしかない。実際に知由を中心として、女子三人の間にはほんわかした空気が流れていた。


「世界の歪みが起こす現象については問題ないの。では、世界の歪みの発生理由はどうじゃ?世界は何故歪むと思う?」

「えぇ……?んー、ちょっと分かんないな」

「ふっ」


 時香からの無茶振りにギブアップした黒天を、ルクスが鼻で笑う。

 ルクスは黒天から一番遠い最前列に座っており、後頭部を黒天に凝視されている事に気づきながらも無視している。

 初日に盛大にやりあって以降、黒天とルクスは一度も口をきいていない。

 ルクスは黒天を居ないものとして扱い、黒天も自分からルクスに接触しようとはしなかったためである。

 女子三人が何とかしようとしているのは分かっているが、それでも割り切れないのは仕方がないだろう。


「では、そこの赤髪スカーフ。世界が歪む原因を言うてみい」

「はいはーい!『心歪能力』と『世歪生物』だと思いまーす!」

「うむ。その通りじゃな。じゃが、その答えじゃと花丸はあげれんのぅ」


 そう言った時香は、クルリと振り返って黒板の方を向くとチョークを手に取って文字を書き始めた。『世界の歪み』『心歪能力』『世歪生物』と、三つの単語を書いた時香は、それぞれを丸で囲み、『世界の歪み』から『世歪生物』へと矢印を引くと、手に付いたチョークの粉を払いながら再び黒天達へと向き直った。


「次。銀髪白衣。世界が大きく歪む直接的な原因は何か答えられるか?」

「はい。答えは世界の修正による反動ですね」

「正解じゃ。ぬしには花丸を送ってやろう」

「ありがとうございます」


 空中に指でクルクルと花丸を描いた時香が、知由に向けて花丸を飛ばす仕草をすると、片手を頬に当てた知由は柔らかく微笑んでお礼を言った。

 誰がどう見ても子供の微笑ましい行動を見守る母親の様な表情であったが、時香は人の表情を読むのが苦手なようで、まったく気付いていない。

 チョークを持ち直した時香は黒板に『修正』と書いて丸で囲み『世界の歪み』へと矢印を引いた。


「この『世界の修正』がどういう時に発生するかじゃが……黒髪の小僧。ぬしは、ここに来てから疑問に思った事はないか?」

「いや、基本的に疑問だらけなんだが……」

「それもそうか。今のは聞き方が悪かったの。では質問を変えよう。心歪能力者や世歪生物の知名度に、違和感を感じた事はないか?」

「……ある。情報規制がされてるのかと思ってたが、それにしても情報が出なさ過ぎている」


 黒天はこの学園に来る前から、《世歪生物ヤミ》が見える自分は心歪能力者なのではないか?と疑い、心歪能力者や世歪生物について独自に調べていた。しかし、出てきたのは心歪能力者に対するあやふやな認識だけであり、世歪生物に至っては一つも情報を拾うことができなかった。

 学園に来る前の黒天は、心歪能力者に対する正確な情報は秘匿されているのだろうと考えていたが、この学園に来て考えが変わっていた。黒天が学園に入学してからまだ数日だが、その間に三度も世歪生物討伐のためにクラスメイトが出陣し、その度に大立ち回りを演じて世歪生物を倒してきた。

 現場に到着する前から世歪生物は建物を破壊していたし、当然目撃者も多数居る。その全員の口を塞ぐことがどれほど困難かは語るまでもない。

 しかし、実際は『世歪生物見えない破壊者』の存在や、戦う心歪能力者の情報は公開されていない。そこには何かカラクリがあるはずである。


「わしら心歪能力者や世歪生物は、本来この世界に存在しないはずのイレギュラーじゃ。そんなイレギュラーが起こしたバグを、世界はせっせと修正しとる訳じゃな。

 具体的に言うならば、心歪能力や世歪生物が破壊した物の修復。与えた傷の治療。関連する記憶や記録の消去じゃな。

 もっとも、心歪能力者が世間に認知されとるように、抜け道はあるがの。大事なのは、わしらが戦う時に一般人を気にする必要はないと言うことじゃ。巻き添えで死んでも、その内蘇生して全て忘れるからの」

「なるほど。理事長がぶっ壊した地面やら壁やらが勝手に再生されたのは、理事長の力じゃなくて世界の修正力だったのか……ん?おかしくね?だって、世界にそれだけの力があるのならば、真っ先に心歪能力者や世歪生物を修正するべきだろう」

「ほう。良いところに気がつくのぅ。重要なポイントを嗅ぎ分ける嗅覚は、生き抜く上で大切な能力じゃ。ぬしにも花丸をやろう。ぬしのような勘のいい小僧は嫌いじゃないぞ」

「お、おぅ。ありがとう、ございます」


 知由が貰ったのと同じように、時香から飛ばされた花丸を受け取った黒天だが、どう扱えばいいのか分からなかったのでとりあえずお礼を言うと、時香は満足そうに頷いた。この扱いであっていたようである。


「心歪能力者や世歪生物に、世界の修正力が及ばない理由じゃが……金髪の小僧。答えてみよ」

「はい。それは、世界の修正力が及ぶのが世界の管理下に入っている事柄だけだからです。世界の管理下から飛び出したイレギュラーである、心歪能力者や世歪生物には世界の修正力は及びません」

「正解じゃ。わしらは世界の管理の外側におるんじゃ。良くも悪くも……の」


 世界の修正力が及ばないが故に、心歪能力や世歪生物についての記憶を失わずに済んでいるが、怪我をしたり最悪死んだ場合に再生される事はない。

 そう説明しながら、時香は黒板に『バグ』と書いて丸で囲み、『心歪能力』と『世歪生物』から『バグ』へ矢印を引き、『バグ』から『修正』へと矢印を引いた。


「時に小僧。この黒板の図を見よ。こいつをどう思う?」

「なんと言うか……無限ループって怖くね?」

「カカッ。その通りじゃのう。しかも、ループする度に増幅されていくとなれば、恐怖も一入ひとしおじゃ」


 黒板には五つの単語と矢印が書かれている。『心歪能力』は『バグ』に矢印が伸びているだけだが、他四つは円を描くように矢印が伸びていた。

『世界の歪み』から『世歪生物』が生まれ、『世歪生物』が『バグ』を生み、『バグ』を世界が『修正』して、『修正』する度に『世界の歪み』が生まれる。まさに無限ループ。恐ろしい所は、『心歪能力』も『バグ』を生み出す事と、『世歪生物』は倒されるまで『バグ』を生み出し続けることだ。


「今は世界が歪んでも世歪生物が生まれるだけじゃが、今後もそうとは限らん。もしかしたら次の瞬間にも世界が粉々に砕け散るかもしれん。それだけは避けねばならん。故に、わしらはこれ以上世界の歪みが大きくならんように抑えるんじゃ。このループでただ一つ。わしらが干渉する事のできる……」


 そこでタメを作った時香は、右手を胸を抱くように体に寄せると、勢いを付けて黒板に叩きつけた。


「世歪生物を倒すことによっての」


 時香の右手に掻き消され、『世歪生物』の文字が黒板から消える。

 世歪生物を倒すのに心歪能力が必要な以上、『バグ』をゼロにする事は原理上不可能である。しかし、世歪生物が生み出す筈だったバグよりも少ないバグで事態を収める事は出来る。

 もしも、世歪生物を生み出す代わりに世界の歪みが小さくなっているとしたら。世歪生物を倒すために発生した歪みが、世歪生物作成のために消費した歪みを下回ったのならば。収支はプラスになる。世界の歪みは結果的に小さくなったことになる。それこそが時香達『融和派』の目的。

 少しでも世界を延命させるために、心歪能力どくを以て世歪生物どくを制す。それが無駄な足掻きだと分かっていたとしても。


「ま、世歪生物を倒す理由はそれだけじゃないがの。もっと直接的に世のため人のためになる理由もある。そっちも説明してもいいんじゃが……」


 ジリリリリリリリリッ!


「きゃっ!」

「世歪生物だッ!」

「(ガタッ)」


 時香がチラリと腕時計に目を向けると、まるでタイミングを待っていたかのように、黒天以外の全員が腕に付けている端末からアラームが鳴り響く。

 浮き足立つ三人娘を宥めるために、時香はパンパンと手を叩いて自分へと注目させた。


「では、本日の座学はここまでとする。これよりは実技の時間じゃ。各々準備を開始せよ!」


 ジリリリリリリリリッ!


 時香が宣言をすると同時に、二度目のアラームが教室中に鳴り響いた。

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