第4話 心歪能力者の禁忌
「はぁ……死ぬかと思った……」
「大袈裟じゃなぁ。ちゃんとぬしが耐えられる速度しか出しておらぬぞ?」
「絶対基準がおかしいと思う……」
三階の窓からフライハイした黒天達は、町外れにあるビルの屋上へと移動していた。
屋根から屋根へと瓦を踏み砕きながら飛ぶ時香にずっとしがみついていた黒天は、戦闘が始まる前からグロッキーである。黒天が戦う訳では無いので問題は無いが、時香がやれやれと言った表情をしているのには納得がいかないようで、不満そうな顔をしている。
「ほれ、始まったぞ。下を見てみい」
「……今さっきの出来事が原因で、高所恐怖症になったかもとは、考えないんだろうなぁ」
黒天も、それなりに時香の性格が分かって来たようである。諦めたとも言うが。
まだガクガクと震えている足を無理やりに動かして、屋上の端に移動した黒天が下を見下ろすと、巨大な狼型の世歪生物一体と、それより二回り程小さい無数の犬型世歪生物と戦う心歪能力者の姿が見えた。
狼型の世歪生物の攻撃力は凄まじく、
「ふむ。《
「じゅうけい?あの動物っぽいやつの事か……そう言えば、饅頭みたいなのにも、何か言ってたよな?」
「獣の形と書いて、《獣形》じゃ。世歪生物は、主に四つのタイプに分けられとる。
ぬしが言う饅頭のような《
動物のような《
人間のような《
そして、架空の生物のような《
それぞれの特徴は……今度授業で習うと良い」
「ふーん……」
動物型や小さな人型の世歪生物も、町を歩けばよく目にする黒天は、それらに名前があると言われても(そうなんだ)。以外の感想は特に湧いて来ない。
それよりも眼下で戦っている《獣形》と四人の心歪能力者の方がよっぽど気になっていた。
圧倒的な火力と物量を持つ世歪生物相手に、心歪能力者達は一歩も引かずに戦っている。それどころか世歪生物を圧倒しており、徐々に数を減らしていっている。
「では、ぬしのクラスメイトの紹介をしようかの。名前は……覚えとらんから割愛するぞ。能力も、本人から聞いた方が良いじゃろう」
「それ、説明すること残って無くないか?」
「いや、心歪能力者と接する上で一番大切なこと。『禁忌』を伝える。これだけは絶対に覚えておけ。殺されたく無ければな」
「ころっ……!」
何気なく告げられたぶっそうな言葉に、黒天は弾かれた様に時香へと視線を向ける。そして、真剣な時香の表情から誇張や冗談が一切含まれていない事を悟り、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「心歪能力者はその性質上、強力な能力者になるほど心が大きく歪んでゆく。《世歪生物》が見えるほどの能力者となれば、心の歪みは相当な物じゃ。何気ない言葉一つで自我を失い、能力が暴走する事もある。そこまで行かずとも、無用な衝突を避けるために『禁忌』の共有は必須じゃ」
「なるほど……心歪能力者は精神異常者の集まりだもんな。そう言うルールは必要か」
「ぬしもその精神異常者の一人じゃがな」
即座にそう返されて、苦い顔になる黒天。
能力が未だ不明なこともあって、黒天は自分が心歪能力者である自覚が薄いようである。昨日まで一般人として生きてきたので仕方なくはあるが。
「まずは、あのピカピカ光ってる奴じゃ。あやつの禁忌は醜い事じゃ。本人に言うのはもちろん禁止じゃが、あやつの前で美しくない行動をするのも控えた方が良いじゃろう」
「なにそれめんどくさい……」
予想以上にめんどくさい注文に、思ったことがそのまま口から出る黒天。
時香が紹介した『ピカピカ光ってる奴』は、その呼び名通りに光を操って《獣形》と戦っているように見えた。
光の剣で敵を斬り、光の球で牽制をする。踊る様な美しい戦い方である。
遠くからでも分かるほど見事な金髪をしており、四人の中で唯一ズボンを履いている。他の三人はスカートなので女子三人と男子一人のパーティである。ハーレムパーティである。爆発すればいいのに。
「他の三人はあやつほど面倒では無いから安心せい」
「ならいいんだが、このまま制約が増え続けるのはちょっと……」
「次はあのスカーフの奴じゃな。あやつの禁忌は孤独じゃ。他の者も気を付けておるが、あやつを一人にしてはならんぞ」
「ふーん。俺はあんまり気にしなくてもよさそうだな」
時香が『スカーフの奴』と呼んだ相手は、スカートにもかかわらず飛びかかってきた《獣形》にハイキックを叩き込んでいる。
少女のハイキックをモロに顔面で受けた《獣形》は錐揉みしながら何メートルも吹き飛び、壁に叩きつけられて染みとなった。それだけで、少女の膂力が尋常ではないことが伝わってくる。
少女は燃えるような赤い髪をしており、黒いリボンで頭の後ろで纏めてポニーテールにしている。また、その首元には真っ赤なスカーフが巻かれており、少女が跳ねまわる度に尾を引く様にたなびいている。ちなみに、スカートの下はスパッツである。
「あそこの、デカい兎に乗っ取る奴。あやつの禁忌は強制や命令じゃ。頼み事もあまりすべきではないの。声が出せず、意思疎通が難しいが、コミュニケーションを焦るでないぞ。プレシャーになるからの」
「……なるほどな。分かった。気を付ける」
禁忌の内容からトラウマが想像出来たのか、黒天も茶化さずに受け止めた。
『デカい兎に乗っ取る奴』と呼ばれたのは、遠目からでも分かるほど小柄な、青髪の少女だった。
『スカーフの奴』とは反対に、頭以外の全てを隠す様な厚着をしている少女は、巨大な兎の背中にしがみつく様に乗っており、その兎の周りを沢山のぬいぐるみが飛んでいる。デフォルメされた様々な動物のぬいぐるみ達は、巨大な兎とその背に乗る少女を守るように立ち回っており《獣形》を全く寄せ付けていない。
「最後は、あそこで祈っとる奴じゃな。あやつの禁忌は奉仕の拒絶じゃ。やつが他者の為を思ってする行動は、何があっても止めてはならん。誘導して矛先をずらすぐらいなら可能じゃがな」
「ん?それは止める必要あるのか?誰かの為の行動なら、いい事だろ?」
「……ぬしも今に分かる」
『祈っとる奴』である少女は、他三人よりも後方に陣取って座り込んでおり、銀色の頭を俯かせて祈りを捧げているようである。その格好はどこかシスター服を思わせる白衣姿であり、少女の周りを『デカい兎に乗っ取る奴』の操るぬいぐるみが護衛する様に控えている。戦闘はこのぬいぐるみ達が行っており、少女自身は戦闘していないようである。
「これで、ぬしのクラスメイトの禁忌は説明終わったな。決して忘れるでないぞ」
「了解……ん?心歪能力者って全員が禁忌を持ってるんだよな?」
「まぁ、そうじゃな。弱い能力者ならちょっと嫌な気分になるぐらいじゃろうし、問題ない禁忌を持っとる能力者もおるが、全員何かしらは持っとる筈じゃぞ」
「なら、あんたの禁忌は何なんだ?」
黒天としては当たり前の事を聞いたつもりであった。禁忌の把握が円滑なコミュニケーションに必要ならば、ここに来てからずっと相手をしてくれている時香の禁忌も把握しておくべきだろうと。
しかし、質問した時香の瞳から、一瞬感情が抜け落ちたのを見て、失敗を悟った。禁忌は直接本人に尋ねるべきではなかった。それは、イジメられていた被害者にどんな事をされたのか話させる様な、デリカシーの無い行動だったから。
「わしは……わしの禁忌は問題ないやつじゃから、知らずとも良い。それより、そろそろわしも下の加勢に行ってくるでな。ぬしはここを動くでないぞ」
「あ、おぅ……」
逃げる様に黒天から視線を切った時香は、黒天に喋る暇を与えずにビルの屋上から飛び降りた。
ビルの外壁を蹴って、加速しながら落下した時香は、下にいた《獣形》の一体に着地して踏み潰した。
闇の粒となって消える《獣形》の背から時香の姿が掻き消えると同時に、時香が着地した場所から近い順に、《獣形》がクレーターだけを残して掻き消えていく。
『ピカピカ光ってる奴』の攻撃ほど派手さはないが、確実に一体ずつ仕留めていくのを高ペースで行っており、その殲滅速度は早く、時香が通り過ぎた後には一体の狩り残しも存在しない。
「すげぇ。圧倒的じゃないか……ん?」
時香が加わった事で、楽勝ムードすら漂いだした戦闘を眺めていた黒天は、背後から物音がした気がして振り返った。
まさかビルの住人が上がってきたのか?と、警戒する黒天だったが、事態は黒天の予想を上回って悪かった。
「「「ガルルルルル」」」
「おいおい嘘だろ……」
振り返った黒天が見たのは三体の《獣形》。それらが、黒天とは反対側の壁を登って屋上に上がってくる姿だった。
階下への階段は《獣形》側にあり、時香と違って身体能力が一般人な黒天は、屋上から飛び降りる事は出来ない。すなわち逃げ場は無い。
《獣形》を見た黒天は、慌てて立ち上がって身構えるも、その時には三体の《獣形》に半包囲されていた。
―――油断した油断した油断した油断した油断した!!『あいつと一緒に屋上に居れば安全』が、『屋上に居れば安全』にすり変わっていたッ!戦場の近くで、戦えない奴が一人でいて安全な訳がないのに!クソッ!
後悔先に立たず。脳内でどれほど過去の自分を罵倒しても、それで状況が良くなる訳ではない。
今の黒天にはこの状況を打開できるだけの力が無い。ならば、力を持つ誰かを頼るしか生き残る術はない。
「助け、グハッ!」
「ガゥ!」
黒天が大声で助けを呼ぼうとした瞬間、正面の《獣形》が黒天へと走り出した。
それを見た黒天の意識は、避けろ!と体へ命令を下すが、回避が間に合わずに《獣形》の体当たりを胸に受け……黒天は真っ逆さまに屋上から落ちた。
―――あぁ……死んだな。昨日今日と、何回か死にそうになったが、今度こそ死んだ。
息を吸っても呼吸が出来ない。心臓が脈打つ度に、胸から勢いよく血が吹き出す。行きがけの駄賃とばかりに《獣形》は黒天の胸を切り裂いていた。肺が破れているのか、まともに呼吸することも出来ない。
―――痛てぇなぁ……超痛い。どうせなら一思いに殺ってくれればよかったのに。地面にぶつかるのはもっと痛いんだろうなぁ……。
地面へと激突するまでの短い時間に、黒天の脳裏を様々な思いが駆け巡ってゆく。今日までの記憶が、逆回しで津波の様になだれ込んできた。黒天が覚えてる限りの古い記憶が纏めて吐き出される。
―――判断ミスで死んだ。調子に乗って死んだ。油断して死んだ。全部自分の性だ。誰を恨むことも出来ないし、今更どうしようもない事だ。……でも……。
覚えてる限りの記憶は全て吐き出した。しかし、黒天の中にはまだ残ってる記憶がある。それは黒天が知らない記憶。覚えていない記憶。
燃える船。暴れる獣。逃げ惑う人々。へたり込む幼い少年。
暴虐の限りを尽くす巨大な獣に、非力な少年はただ死を待つだけしか出来ない。
それは、状況は違えど今の黒天と何も変わらない。死と言う運命に囚われ、逃れる術のない無力な一人の人間だ。
状況が似てるが故に、二人の少年は同じ思いを抱いた。逃れえぬ死を前に願う事はただ一つ。
―――死にたくない……!
その思考を最後に、黒天の意識は地面へと激突する前に消失した……。
「―――――――――キヒッ」
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