第2話 伊桜精神医療研究センター付属学園

 結果を先に言うのであれば、黒天の努力は無駄であった。

 黒天の四肢に力が戻り立って歩ける様になるまで、誰も確認に来ず、そもそも時香が作ったクレーターが黒天の目の前でゆっくりと修復されてゆき、立ち上がれる頃には何事も無かったかの様に、元の状態に戻っていた。

 ……ここまで状況証拠が揃えば、黒天にも時香の正体を考察することは可能であった。すなわち、


(あの少女は心歪能力者だ)


 と、言うことである。

 『心歪能力者』。科学が支配するこの世界で、最後に残ったファンタジー。いや、最後に『生まれた』ファンタジー。色々と世間を騒がせている存在ではあるが、黒天が実際に能力者を見たのは時香が初めてである。

 黒天が推察した時香の能力は『《ヤミ》が見える能力』『瞬間移動できる能力』『怪力になる能力』『壊した物をゆっくり直せる能力』の四つである。もしかしたら年齢も見た目通りでは無いかもしれないし、他にも能力を持っているかもしれない。

 黒天にも《ヤミ》を見る事は出来るが……本当に見えるだけであり、戦う力など一切ない。これは何度も検証したので確実である。

 『普通の人には見えない生物が見える』。それは、根拠も無しに自分を特別だと信じる少年厨二心に、ニトログリセリン並の火力と爆発力を与えるに足るものであった。それはもう、周りの大人が、精神病棟送りを本気で考える程に。このご時世では何処も空きは無く、先送りしている間に燃え尽きて真っ黒な消し炭黒歴史となったが。


「『伊桜精神医療研究センター付属学園』……学校の名前長すぎだろ。絶対覚えれる気がしねぇぞ」


 ひょっこり顔を出した黒翼の天魔在りし日の自分を再封印すべく、精神世界で殴り合いをしていた黒天は、目的地に辿り着いた事でなんとか判定勝ちを得て、改めて目の前の巨大建造物を見上げた。

 地図アプリで検索した時から分かっていた事だが、伊桜精神医療研究センター付属学園は、かなり広い土地を所有している。

 小中高一貫校であることや、元々研究センターの一部だった建物を改築して作られていること、隣の伊桜精神医療研究センターとの境界が曖昧な事を含めても、明らかに土地が広すぎて用途不明の更地が広がっているほどである。

 何を思ってこんなに広大な土地を確保したのかは、黒天には分からないが、余っていて使わないなら譲って欲しいぐらいである、できれば、換金してから振り込んで貰えた方が嬉しい。学園の土地の一角をそのまま貰っても持て余すのは目に見えているので。


「小遣いが欲しければ働け、小僧。仕事もせずに対価を貰える訳がなかろうが」


 門の前に突っ立って校舎を見上げていた黒天に、聞き覚えのある声がかけられた。

 見上げていた視線を下へと下ろすと、和服を着た小さな少女ときかが、呆れた顔で黒天を見上げていた。

 譲って欲しいうんぬんは心の中でだけ考えていたので、時香には伝わっていない筈なのだが、黒天は余程物欲しそうな顔をしていたらしい。慌てて開いていた口を閉じる黒天だが、時すでに遅しである。


「こほん。なにはともあれ、ようこそ、伊桜精神医療研究センター付属学園へ。どう考えても長すぎるから、呼び方は『伊桜学園』でも『学園』でも『あそこ』でもなんでもよい。ようは伝われば良いのじゃ」

「んな適当な……」


 黒天としては、この学園に到着してからどうやって時香と再会するか、再会した後何を話せばいいのかと、昨日から頭を悩ませていたというのに、あっさり出会えた上に想像以上にフランクに接しられて拍子抜けである。最悪の場合、再会と同時に身柄を拘束されることすら想定していた。集合場所が学園である以上、可能性は低いとは考えていたが。


「えっと。昨日は助けてくれてありがとうございます。あなたが助けてくれなかったら、俺は今頃……」

「よいよい。わしは契約に従ったまでよ。ぬしが契約を違わぬならば、それ以上の礼は不要じゃ。

 それと、敬語も使う必要はない。さっきも言ったがの。言葉など意味が伝わればそれでいいのじゃ。無駄にややこしくして本質を見失えば本末転倒じゃろ?」

「あー。確かに?」


 時香が言っている事も一理ある気がするも、それを言ったら敬語の存在理由が消滅するわけで、何かおかしな気がしながらも『時香相手に敬語は不要である』と、言う結論で落ち着いた黒天。

 実力はともかく、見た目は幼女な時香に敬語で話す男とか怪しいにも程があるので、渡りに船でもあった。


「あんたに聞きたいことが沢山あるんだ。昨日ヤミをぶっ飛ばした能力がなんなのかとか、《ヤミ》について何か知ってるのかとか、あんたの物になれってどういう意味なのかとか―――」

「まぁ、落ち着け小僧。せっかちな男はモテぬぞ?」


 時香が友好的に接したおかげで緊張が緩んだ黒天が、胸中に渦巻く疑問を時香に吐き出すも、ピョンとジャンプした時香が、黒天の額を軽く叩いて止めさせた。

 ……ピョンと跳んだだけで、40センチは身長が上の黒天と、目線の高さが合った事には触れない方がいいのだろう。


「物事には順序があり、時間には限りがあるのじゃ。付いてこい。歩きながら話すとしよう。関係者には話を通してあるからの。取って食われはせぬから安心するが良い」

「えぇ……お、お邪魔しま〜す」


 『話を通していなかったら取って食われる』とも、取れる不穏な発言を残して、時香が黒天に背を向けてスタスタと歩い出してしまったので、黒天も渋々学園の敷地に足を踏み入れた。

 一瞬、学園の土地を踏んだ瞬間にトラップが発動したり、別空間に飛ばされたりしないかと懸念した黒天だが、当然学園の正門にそんなギミックは無く、すぐに前を歩く時香に追い付いた。


「まず話すべきは……やはり、心歪能力についてじゃろう。ぬしは、心歪能力についてどれぐらい知っておる?」

「一般的に知られてる事ぐらいしか知らないが……」


 『いいから話せ』とばかりに顎でしゃくって示した時香に、黒天は指を折りつつ、知っている情報を思い出していく。


「まず、心歪能力は最近になって発見された特殊能力の総称で、心歪能力の所有者の事を心歪能力者と言う。

 能力の発現条件は強いストレスを感じて心が歪むこと。歪んだ心が生み出すエネルギーが心歪能力の燃料になる。

 この事から、心歪能力は心的外傷後PTストレス障害SDの一種とされ、心が不安定な若い学生が発現させる事が多い……ぐらいか?」

「ほぅ?訂正するほど間違ってはおらんの。世間では色々と好き放題言われておるのに、よく調べたもんじゃ」

「昔ちょっとな……」


 時香が感心した目で黒天を見上げるも、黒天は苦々しい表情で「呼んだ?」と、心の片隅から顔を出した眼帯黒マントを再封印していた。黒翼の天魔は灰となって封印されようとも、何度で蘇るしぶとい相手である。


 時香が感心した事から分かるように、心歪能力はその特異性故に虚偽の情報が多く出回っている。

 頭が固く、自分の中の常識しか信じられない者が、存在そのものを否定する発言を繰り返し、発現条件が心理状態であり、明確な定義が無いことから、様々な推測が面白おかしく飛び交っている。

 テレビの情報番組ですらその調子なのだから、ネットは更にカオスであり、そこから正しい情報だけを選択できた黒天の情報選別能力は、時香から見ても優れた物に映った。……黒天からすれば、黒歴史時代の異能への熱量を褒められても微妙な気持ちにしかならなかったが。


「既に察しておるじゃろうが、わしも心歪能力者の一人じゃ。そして……ぬしもな」

「俺が、心歪能力者……」


 かつては心歪能力者であることを望んだ事もあったし、薄々そうではないかと察していた黒天ではあったが、面と向かって「お前の心は歪んでいる」と告げられ、複雑そうな表情をする。


「ほれ、着いたぞ」


 時香が黒天を連れてきた場所は、学園に併設された真新しい建物であった。本練と渡り廊下で繋がっており、行き来も出来るが、専用の玄関も用意されている。黒天達が居るのは、その玄関の正面だ。


「ここが『伊桜精神医療研究センター付属学園別棟』。心歪能力者への特別教育を許された日本で唯一の教育機関であり、今日からぬしが通うことになる学園じゃ」

「……はい?」

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