夏の魔法使い
街の中央に位置する噴水公園の中に、所狭しと建ち並ぶ屋台。溢れんばかりの人。辺り一帯に広がるのは、夏特有の蒸し暑い空気と、密集した人が発する熱気。そのあまりの暑さを不快に思ってもおかしくないが、人々の顔は一様に明るく輝いていた。
今日は夏祭り。一年で最も暑いとされる日の前後一週間、毎日開催される夜の祭典。聖都テルティスの夏の風物詩だ。
その裏では、皆が無事に祭を楽しめるよう、神騎士団の面々が奔走している。そんな彼等は、公園の片隅に設置された臨時の詰め所を拠点としているが、そこに血相を変えた人が駆け込んで来た。
「エドワードくん、ジャッキー、どうしよう! 迷子が迷子になっちゃった!」
困ったように眉尻を下げるジュリア。彼女は酷く慌てており、開口一番で発せられた内容では要領を得ない。
今日が詰め所勤務の当番だったジャッキーとエドワードは、思わず、顔を見合わせる。そして、エドワードは深いため息を吐いた。
「……ここに迷子を連れて来ようとしたが、はぐれてしまった。これでいいか?」
「あ……うん。お母さんとはぐれて、凄く泣いてたから、焦っちゃって……ごめんなさい」
「ジュリアのせいじゃないよ。この人手じゃ、はぐれたってしょうがないさ。ところで、どんな子だった? 巡回しながら探してみるよ」
「ありがとう、ジャッキー。その子は白いシャツに水色のスカートの、五歳くらいの女の子だよ。あと、ポニーテールだったよ!」
迷子の特徴を聞いたジャッキーは、すぐさま詰め所を出て行った。「ジュリアを頼んだぞ、エド!」と、意味ありげで爽やかな笑顔を残して。
エドワードは立ち去る彼を無表情で一瞥し、ぼんやりと人混みを眺める。そんな彼の横顔を、ジュリアはひっそりと見つめていた。
この一角には、二人だけ。詰め所には他の騎士もいるのだが、エドワードとは一定の距離を置いている。その彼からも人を寄せ付けない空気が放たれているため、声を掛けてはいけない気になってしまう。結局、彼女も沈黙を貫くしかなかった。
しばらくして、誰かを探すように人混みを眺めていた彼女の耳に、何者かの低い声が届いた。だが、油断をしていたことに加え、祭囃子や人々の声に紛れて、何を言ったかまでは聞き取れない。彼女が声の方を振り向くと、エドワードと目が合った。
「迷子を見付けた時、お前は一人だったのか?」
「うん。今日はイリアちゃんと一緒に来たんだけど、はぐれちゃって……詰め所に行こうとしてたんだ。はぐれた時の待ち合わせ場所にしてたから。でも、今日がエドワードくんの当番だったなんて、知らなかったな」
ジュリアは仄かに頰を染め、表情を緩める。それを見たエドワードは、僅かに目を伏せ、再び人混みへと視線を移してしまった。そして彼女もまた、人混みへと視線を向ける。どこか寂しそうに自嘲を浮かべて。
ここで再び沈黙が流れる。不意に、彼女は独り言を漏らした。
「遅いな……イリアちゃん」
「案外、お前がはぐれた迷子と一緒にいて、泣き止ませるのに手を焼いているのかもな」
「そうかもしれないね」
ジュリアが苦笑した、その瞬間。一斉に人々の足が止まり、辺りに歓声が響き渡る。何事かと二人が顔を上げた先で、夜空に大輪の花が咲いては散っていくのが見えた。
瞬く星々の中にあっても、際立って美しく映える花火。騎士団の詰め所は幸運にも、その真正面を捉えていた。この時ばかりは騎士たちも仕事を忘れ、幾つもの花に目を奪われる。それを咎める者は誰一人としていなかった。
空を見入っていたのは、彼女も同じ。それどころか、これ以上ない見物場所に、いたく興奮していた。
「うわあっ、凄い! こんな偶然あるんだね! 詰め所が花火の正面なんて!」
「副団長が押し切ったらしい。この期間は皆が働き詰めだから、これくらいの楽しみはあってもいいだろう、とな」
「そうなんだ。グレイシス副団長らしいね」
そう言って、ジュリアはすぐに花火に目を移す。数々の美しい光に負けず劣らず、瞳を輝かせながら。
そんな彼女の横顔を、エドワードは盗み見る。僅かに口元を緩めながら。
一方、その頃。ジュリアがはぐれたと言う迷子を探し歩いていたジャッキーは、花火の音に紛れるように聞こえた泣き声に反応した。声の様子や大きさから推測すると、ここからそう離れていない。
人の間を擦り抜けながら進んで行くと、それはすぐに見付けられた。激しく泣いている小さな子供を前に、困ったように立ち尽くすイリア。そして、なんとか泣き止ませようと苦闘している中年女性の姿を。
その時、ある露店が目に入る。次の瞬間に浮かんだ考えを実行すべく、彼はそちらに足を向けた。
「お買い上げありがとうございます。……ですが、巡回中でしょうに、何に使うんです?」
「もしかしたら、これが役に立つかもしれないと思ったもので」
ジャッキーはニッと笑うと、首を傾げる店主を尻目に、問題の現場へと急ぐのだった。
目線を合わせてあやす女性の目の前で泣いている子供は、髪をポニーテールにし、白いシャツと水色のスカートの女の子。母親とはぐれ、ジュリアともはぐれた女の子だ。
「迷子はこの子だね」
「あ、ジャッキー。……そうなの。母親とはぐれたみたいなんだけど、私じゃ泣き止ませられなくて」
眉を下げるイリアに「俺に任せとけ」と笑みを向けるなり、彼は女の子の元へ。恭しく片膝を着き、優しく声を掛けた。
「そこのお嬢さん」
彼の穏やかな声色に、女の子の意識が向けられる。すると彼はにっこりと笑いながら、女の子の目の前に手を持っていった。そうかと思えば、一瞬のうちに、彼の手元にどこからともなく赤い花が現れる。
「っ!?」
「これをどうぞ」
びっくりして目を丸くし、泣くことも忘れてしまった女の子は、おずおずと手を伸ばす。
「……あり、がと」
「どういたしまして。気に入ってもらえたかな?」
ジャッキーの問い掛けにしばらく固まっていたが、女の子は恥ずかしがっているのか、花の後ろに隠れるようにして彼を見上げた。そして、小さく頷く。
その姿に、彼は目を細めた。
「そっか。良かった」
「あらまあ、慣れたものですねぇ」
「ええ、まあ。兄弟が多いもので。それはそうと、ありがとうございました。後は任せてください」
「そうですか? それじゃあ、よろしくお願いします」
彼はすくっと立ち上がり、人混みの中に去って行く女性を見送る。そしてイリアもまた、「ありがとうございます」と頭を下げて見送った。
こうして残されたのはジャッキーと、イリアの後ろに隠れてしまった女の子の三人。
「それじゃあ、ママを探しに行こうか」
ジャッキーは再び女の子に目線を合わせ、にっこりと笑い掛けた。
だが女の子は、さらにイリアの後ろに隠れてしまう。彼から手渡されたおもちゃの花をぎゅっと掴み、じっと様子を窺うばかりだ。
笑顔を引き攣らせた彼は、よろよろと立ち上がる。がっくりと肩を落として。
「俺……この子に嫌われるようなこと、したか?」
その顔はまるで、この世の終わりに立っているかのような、深い絶望感に満ちている。女の子を泣き止ませようと、元気付けようとした結果がこれなのだから、無理もない。
しかしイリアは首を振り、クスクスと笑みを向けた。
「逆よ。ジャッキーのことを王子様みたいにかっこいいって思ったから、恥ずかしがってるの」
「お、王子様!? 俺が!? 何で!?」
縁が無い言葉。対極にある言葉。そう思っていた言葉と結ばれるとは、思ってもみなかった。慌てふためき、限界まで目を見開いている。
「そんなに驚かなくてもいいのに」
「いや、だって、まさかそんな風に言われるなんて、思ってもみなかったから……。いや、嬉しくない訳じゃないけど、でも、俺が王子様って……何だか変な感じだよ」
「でも、間違っていないと思うわ。だってこの子、あの時の私と同じ様子なんだもの」
イリアの言葉に、彼は不思議そうな瞳を返す。彼女は未だに恥ずかしがっている女の子を見つめながら、幼い日を思い出した。今となってはほろ苦い、しかし、当時の自分にとっては眩しく輝いていた、初恋の記憶を。
「私ね、子供の頃に、森で迷子になったことがあるの。暗くて、寒くて、怖くて、心細くて。……でもね、ルイファスが、泣いていた私を見付けてくれたの。あの時は、凄くかっこいいって思ったわ。それと同じよ。だって、ジャッキーがこの子を助けたんだもの」
「そっか……そういうことなら、悪い気はしないな」
「そうよ。それに、誰かの王子様になれるって、とても素敵なことだと思うわ」
ふんわりと微笑むイリアに見惚れてしまう。そして、彼女の口から「王子様」という言葉が出てくるのが、妙に気恥ずかしくて。思わず目を逸らしてしまった。
彼女は不思議そうに首を傾げるも、すっかり落ち着いた女の子を抱き上げる。手を繋いでいると、またはぐれてしまうと思ったからだ。
いきなり彼と目線が近くなり、びっくりした女の子はイリアにしがみ付く。
「それじゃあ、ママを探しに行こうか」
にこやかな声掛けに、女の子はこくんと小さく頷く。相変わらず彼女にしがみ付いたまま、彼の顔を窺いながら。
そんな小さなお姫様に、二人は揃って笑みを溢した。
行き交う人の波を掻き分けながら、二人は神騎士団の詰め所に向かう。母親を探しに行こう。そう言ったはいいものの、どこをどう探せばいいのか、途方に暮れたのだ。
そんな時こそまずは情報収集。闇雲に動いても、事態は混迷を極めるばかり。見習い騎士の頃に叩き込まれた心得だ。
だが、人が多過ぎて、なかなか前に進まない。
「あ……っ!」
焦ったさを覚えていたジャッキーの後ろから、イリアの慌てた声が耳をつく。ハッと振り返ると、人の波に呑まれそうになる彼女の姿。
次の瞬間、彼女の腕を掴み、引き寄せる。思考するよりも先に、体が動いていた。
「大丈夫か?」
「え、ええ……ありがとう」
「あれ? その子、寝ちゃってる? 泣き疲れちゃったのかな。詰め所に行ったら、お母さんが来てるといいんだけど……」
流石に、椅子や机の上といった、固いところで寝かせるのは忍びない。理想を言えば、母親が来るまで抱かれたままの方が女の子にとっても良いと思うが、イリアにも予定があるかもしれない。頼めば断らないだろうが、そこで甘えるのは違う。
いろいろと思考を巡らせるが、いずれにしても、ここで立ち止まっているだけでは何も解決しない。
「とりあえず、行こうか。そういえば、ジュリアも詰め所に来てたよ」
「あ……そうね。そういえば、私も詰め所に行こうとしてたんだったわ」
「……大丈夫か? 寝ちゃってるし、疲れたなら代わろうか?」
「大丈夫、平気よ」
暑さからか頬をほんのりと染め、少しぼんやりしていた彼女。心配そうな顔を向けるが、大丈夫と微笑むなら頷くしかない。
とはいえ、滅多に弱音を吐かない上に無理を重ねる性格は、昔から少しも変わっていない。より意識して様子を見ていかなければと胸に決め、彼は再び足を進めた。寝てしまった女の子を起こさないように、二人して沈黙を貫きながら。
ふと、後ろを覗き見る。視線の先には、相変わらずぼんやりした瞳で歩く彼女がいた。人混みに疲れたのか、その表情にはいつもの明るさが無く、気になってしまう。
そうしているうちに、神騎士団の詰め所のテントが遠くに見え始めた。あの場所に戻れば、次に彼女と会えるのはいつだろう、という悶々とした日々を過ごすことになる。
ふと思い出されるのは、少し前の彼女の台詞。飛び出しそうになる心臓を押さえ込み、口を開いた。震える声を潜めて。
「……あ、あのさ、」
「え?」
「イリアにとっての――」
「リサ! リサっ!」
イリアにとっての王子様って誰?――そう問おうとしたところで、歓喜に満ちた女性の声に掻き消される。前を見れば、顔を歪めた女性が駆け寄って来ていた。
その声に、眠っていた女の子が目を覚ます。寝ぼけ眼で周りを見ていたが、ある一点で視線が釘付けになった。
「……ママ? ママー!!」
「リサ! 良かった……」
再び泣き出した女の子を母親に手渡すなり、緊張の糸が切れたように、女の子は再び大粒の涙を流しながらしがみ付いている。最も安心する腕の中に、ようやく帰って来れたのだ。母親も涙を滲ませながら抱き締めていた。
「良かった……お母さんが見付かって」
何度も礼を言い、会場を後にした母娘。母親に抱かれた女の子は、おもちゃの花を片手に、小さく手を振っている。イリアも笑顔で振り返しながら見送り、ようやく胸を撫で下ろすことが出来た。
それはジャッキーも同じ。だが、喜ばしいと思う反面、自分にとっては告白にも似た言葉を遮られてしまったのだ。モヤモヤとした気分が胸に巣食うのは否定出来ない。
「そういえば、さっき、何を言いかけてたの?」
「え? ああ……うん。ええと……イリアに――」
「あ! イリアちゃん!」
またしても別の声に遮られる。今度はジュリアだ。目を点にさせたまま、彼の時間が止まる。再会を喜び合い、先ほどの迷子の女の子の話題が、意識の遠くで流れている。
「あ……ごめんなさい、ジャッキー。何だったかしら?」
「……いや、何でもないよ」
「そう? ならいいんだけど……」
「じゃあ、俺、このまま巡回の続きに行くから。二人は楽しんでこいよ」
寂しげな笑顔を残し、ジャッキーは人混みの中へ。それをイリアは、ぼんやりとした瞳で見送る。女の子を抱いて歩いていた時と同じように。
「? イリアちゃん?」
「……何でもないわ。私たちも行きましょうか」
「あ、うん。そうだね」
気を取り直して、夏祭りの続きを楽しむべく、二人もまた人混みの中へ。笑いながら歩くイリアの手はずっと、彼に掴まれた部分を押さえていた。
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