First letter
リボンやネックレスなどのアクセサリー。スカーフやハンカチといった、普段使いの小物。カトラリーや食器はシンプルなものから、デザイン性が高いものまで取り揃えられている。
店内に所狭しと並んだ棚と同様に、様々な雑貨が並べられている。しかし、圧迫は感じない。天井まで届く大きな窓から差し込む太陽の光に照らされ、店内がとても明るいこともある。だがそれよりも、店員も客も、皆が楽しそうな顔をしていることが要因だろう。ついつい長居したくなる雰囲気だ。
こちらまで楽しくなってきて、思わず笑みが零れる。それだけに残念だ。旅の途中で立ち寄った街でなければ、気に入ったものを買って帰ることもできただろうに。
後ろ髪引かれながら扉に足を向けた、ちょうどその時。ふと視界に入ったものに目が釘付けになる。誘われるままに歩み寄ると、数ある中から幾つかを手に取った。
ブーケを持って微笑む女の子。眩しい青空と向日葵。月夜の下に広がる花畑。これ等は雰囲気が全く違いながらも、心を惹きつけて離さない。それほどまでに印象的なカードだった。
「イリア!」
肩を叩かれ、振り向くと、興味深そうなターコイズブルーの瞳と視線が交わる。イリアはにっこりと笑みを向けた。
「あら、ティナも来てたのね」
「うん。大きい街は久しぶりだからね。お店を見て回りたくて」
ティナは声を弾ませ、ウインクを返す。茶目っ気溢れる表情は、いつもの快活さとはまた違った明るさがあった。
世界最大の面積を誇るユグド大陸。その北部に広がるエリュシェリン王国の西にある港へ向け、王都を出発したのは一週間前。道中は小さな町に泊まったこともあったが、大半は野営だった。いつ魔物が現れてもおかしくない緊張感は、初めて旅をする身には堪える。そうして疲労が頂点を迎えたところで繁華街もある地方都市を訪れたのだから、安心感からいくらか気を抜いていてもおかしくない。
イリアの手元を覗き込んだティナは、「ああ」と頷いた。
「ポストカードを見てたんだね。そっか、そうだよね。旅の途中で仲間に手紙を出したい時もあるよね。アタシも買っちゃおうかな」
王都の友人を思い浮かべているのか、鼻歌でも歌いそうな笑顔でポストカードを選んでいる。その様子を、イリアはきょとんと見つめ返していた。
「手紙だったの? このカード」
「そうだよ? ……え、もしかして、テルティスでは手紙を出さないの?」
「手紙は出すのよ? でも、私はプライベートで出したこと無いわ。テルティスでは、離れた街に友人がいる人は少ないから……同じ街にいれば、手紙よりも会う方が早いし」
大陸北部は草原が広がり、移動が比較的容易にできる。それ故に、エリュシェリン王国内では人や物の移動が頻繁に行われている。特に王都では、地方から出稼ぎに来る者が多く集まり、コミュニティを作っている。そこで得たものを手に、故郷に戻って商売をしたり、行商として他の町に行く者もいる。この国に住む者にとって手紙とは、コミュニティで親交を深めた者はもちろん、故郷の家族や友人に近況を知らせる、大切な手段なのだ。
一方、テルティスのある南部は大半が森だ。魔物の領域である森を拓いて街を造り、街道を整備した関係上、街同士の交流は他国よりも格段に少ない。唯一、ガルデラ神殿の神騎士団だけは、テルティス領内の他の町に手紙を運ぶ伝令隊が組織されていた。領内のあらゆる町に彼等の詰め所があるため、手紙で指示を出すのだ。そんな公的な手紙の中に、同僚に宛てた私的な手紙を紛れさせることもあるという。だが、巫女の護衛という、神殿の中だけで任務が完結するイリアたち聖騎士団や、領内に住む住民たちには、手紙の文化は根付いていないのだ。
こんなところでも隣国との違いが浮き彫りになり、ティナもまた目を丸くして「へー」と呟いた。そして、イリアがポストカードを棚に戻そうとしている様を見て思わず、「えっ!?」と声を上げる。
「買わないの!?」
「? ええ、今日は何も買うつもりは無かったから」
「えー、せっかくだから、テルティスの仲間に出せばいいのに。アタシが貰う立場だったら、嬉しいのにな……」
頬を膨らませるティナに、イリアは苦笑を漏らす。ポストカードを戻した彼女は、そのままティナに別れを告げて店を出て行った。
そんな後ろ姿を、どこか不満げに見送るティナ。彼女は、イリアが見ていた三枚のポストカードに視線を落とした。
これを見ていた彼女は、とても穏やかな顔をしていた。その頭の中には、このカードの絵柄を彷彿とさせる友人の顔が浮かんでいたに違いない。
次の瞬間、不満げな顔から一転、にんまりと口元を引き上げた。
その日の夜。宿の部屋で本を読んでいたイリアは、紙面に影が落ちたのに気付いた。顔を上げれば、悪戯っ子の笑みを浮かべたティナが立っていた。
彼女は、勿体ぶるように両手を後ろに回している。そして次の瞬間、イリアの目の前に手を突き出した。
「ティナ、これって……」
「そう! イリアが見てたポストカードだよ。アタシの分を買うついでに、イリアのも買ってきちゃった」
驚く彼女を尻目に、ティナは素早く準備に取り掛かる。椅子を持ってきて、彼女と机を挟んで向かい合うようにセッティング。近くにあったペンを机の上に置き、部屋を後にしたかと思えば、すぐに別のペンを持って戻ってきた。
「ミックとルイファスの部屋から借りてきたよ。アタシはこれを使うから、イリアはそっちを使ってね」
言うなり、ティナはイリアの向かいに座ると、自分の分のポストカードを前に頭を捻っている。「何を書こうかな……」と呟きながら。
ふと、イリアもまた思考を巡らす。思い出すのは、テルティスに残してきた三人の友人たち。ホッと安らぐような、柔らかな空気を持つ心優しき少女。明るい笑顔が印象的な、ムードメーカーの青年。いつも人を突き放しているようで、どこか儚げな青年。
小さく笑みを浮かべ、そっとペンを取る。
「ありがとう、ティナ」
「どういたしまして」
「そういえば、明日は何か予定があるかしら? 宿の人から、街で人気のクレープのお店を教えてもらったの。一緒にどう?」
「いいね! 行こ行こ!」
二人でお喋りをしながら、ポストカードに想いを綴る。今日の出来事を無邪気に母に話す子供のように。夜も更け、呆れ果てた顔をしたルイファスが扉をノックするまで、部屋には少女たちの笑い声が響いていた。
朝露が滴る草を踏み締めると、独特の湿った匂いが鼻を抜ける。晴れつつある靄の向こうには、涼やかな青空が広がっている。今日もいい天気だ。
天気とは別の意味で胸を弾ませながら、イリアは足を進める。そして、ある建物の前で歩みを止めた。
「……ここね」
煉瓦造りの建物は二階建てで、平家建てばかりの建物の中ではとても目立つ。宿の女将が「行けば分かるよ」と言っていたのも頷ける。扉も両開きで、多くの人が一度に出入りできそうだ。
そして彼女は、軒先にある木箱に目を移した。箱の高さは胸の辺りまであり、手紙を入れるであろう穴が空いている。見た目には魔法陣が無いにも関わらず魔術の気配がするのは、箱の内側に描かれているのだろう。箱が雨風に晒されても手紙が無事なような魔術が施されていると想像できる。
まず先に入れたのは、ティナの分。本当ならば二人で一緒に出しに来て、そのままクレープを食べに行くつもりだった。だが、旅の疲労から体調を崩したカミエルが心配で、やむなくクレープを諦めたのだ。
そして次は自分の分、と手を伸ばしかけるも、宛先が間違ってないか心配になり、再度確認。宛名や内容、ポストカードの絵柄の組み合わせも間違っていない。後は箱に入れるだけだ。
(……なんだか、緊張しちゃうわ)
初めて出す、私的な手紙。心臓が高鳴り、胸に抱いたポストカードに鼓動が移りそうだと思ってしまう。
あれから数分。イリアはポストカードを抱いたまま、箱の前で佇む。
しばらくして彼女は、意を決した顔で腕を伸ばし――箱の中にポストカードを差し入れた。
(これで……!)
この建物の職員が箱の中の手紙を回収し、自分たちのポストカードが王都やテルティスに運ばれていく。それぞれの故郷に残してきた友人たちに、あのポストカードが届けられる。
朝から一仕事終えたような感覚。心は晴れやかで、いつの間にか靄が消えた青空のように澄み渡っている。
(ポストカードを受け取ったら、みんな、どんな顔をするのかしら?)
その瞬間が、その顔が見られないことだけは、とても残念に思えてならない。それでも、友人たちの様子を想像する楽しさは残されている。
これでまた一つ、彼女等と再会した時の話の種ができた。それを話せる日を迎えるのが楽しみでならない。
子供の頃のようにスキップしたい気持ちに駆られながら、イリアは仲間の待つ宿へと戻っていった。
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