雪の舞う夜

 今日は特に寒い日だった。底冷えする空気は、温暖なこの地域では珍しい。


「おい……何故、俺の部屋なんだ?」


 ピクリ、と眉を引き上げ、目の前の人物を見据えるエドワード。その視線の先には、寮の厨房から借りてきた食器をテーブルの上に並べながら、着々と晩餐の準備を進める人物。そしてその人物は、その声に作業を止めて振り返った。「何を言っているんだ?」と言いたげに、目を真ん丸くして。


「何故って……俺たちの中で一人部屋なの、エドだけだろ? 俺やジュリアはルームメイトがいるし、イリアの部屋は神殿の中にあるから、あんまり大きな声は出せないしな」

「お前、人の部屋でどれだけ騒ぐつもりだ」

「まあまあ、いいじゃないか」


 いつもの人懐こい笑みを向け、ジャッキーは我が物顔で再び手を動かし始める。まるでこの部屋が、あたかも自分の部屋であるかのように。

 そんな様子に、エドワードは諦めたようにため息をつく。そして壁の掛け時計へと視線を移すと、「おい」と声を上げた。


「少し留守を任せるぞ。二人の様子を見てくる」

「ん? ああ、頼むよ」


 言いながら、ジャッキーは思い出し笑いを浮かべる。イリアとジュリアが持ってきたのは、籠いっぱいに詰め込まれた飲み物や肉と野菜。あれだけの量ならば、切るだけでも一苦労だろう。

 エドワードが部屋を出ようとしたその瞬間、「あっ!」と何かを思い出したような声が掛かった。


「ついでに、厨房で鍋と耐火マットも借りてきてくれないか?」

「お前、人使いが荒いぞ」

「何言ってんだよ。俺がこんなこと言うのも、お前に気を許してるからこそだろ?」

「調子の良い奴」


 苦笑交じりに息を吐き、部屋を出る。だが、あの人好きのする笑顔に心を許している自分がいるのも、また確かなのだ。

 エントランスのすぐ隣、庭が見える大きな窓が並ぶ食堂の先に、目当ての厨房がある。夕食の準備で慌ただしい室内の片隅で、イリアとジュリアは下ごしらえを進めていた。時折談笑を交わしながら、手際の良く作業を続けている。彼女たちは最後の野菜を切り終えると、ふぅ、と息を吐いた。


「これで全部ね」

「うん。でも、ちょっと買い過ぎちゃったかな?」

「そんなことないわよ。足りないよりは良いわ」

「それもそうだね」


 楽しそうに、にっこりと笑い合うとエプロンを調理台の脇に置き、大きめの皿に肉や野菜を山盛りに乗せていく。不意に、ジュリアがエドワードの姿を目に留めると、その手を止めた。


「あ、エドワードくん! ごめんね、時間が掛かっちゃって……」

「だが、準備は出来たんだろう? 行くぞ」


 借りた鍋と飲み物のたくさん入った籠を片手に、もう片方の手で皿の一つを持ち上げると、踵を返して厨房を出ようと足を進める。その流れるような一連の動作に、イリアもジュリアもきょとんと目を瞬かせた。そんなこととは露知らず、後をついて来ない二人を不審に思った彼は一旦足を止めると、怪訝そうに振り返った。


「おい、そんなところで何を突っ立っているんだ?」

「え? あ、ごめんなさい、今行くわ。料理長さん、場所を貸してくださって、ありがとうございました」


 忙しなく動き回る彼等に礼を告げ、急いで後片付けを始める。そして残りの皿をそれぞれ一つずつ取ると、小走りでエドワードに駆け寄った。そんな彼女たちの姿を目に留め、エドワードは再び足を進める。

 エントランスや待合室の脇を通り、階段を上って奥へと進む。そうしてしばらくして、ある部屋の前で彼は足を止める。そして一言声を掛けて間もなく、ドアの向こうからジャッキーがひょっこりと顔を出した。


「おかえり、エド。イリアもジュリアも、お疲れ様。廊下は寒いだろ? 早く入りなよ」


 身震いするような寒い外気ほどではないが、この廊下も空気がかなり冷えている。彼の言葉に甘えて室内に入ると、きちんと整頓し尽くされた様子が目に飛び込んできた。本棚にはたくさんの書籍が並び、机の上にはレポート用紙と文具の数々。無駄なものが一切無い、とてもシンプルな部屋だ。

 その傍らのテーブルでは、ジャッキーが最後の支度を進めていた。炎の魔法陣が刻まれたマットの上に鍋を乗せ、自分で用意してきただし汁を中へ入れる。そしてエドワードの方を振り返った。


「よし、準備完了! エド、頼む」

「仕方がないな……」


 エドワードはマットに手を触れ、短く呪文を詠唱する。そうしてしばらくすると、鍋の中のだし汁から温かな湯気が立ち上り始めた。それを確認して、ジャッキーは調味料や食材を次々に加えていく。

 ふと、何気なく視線を外すと、イリアとジュリアがまだ立っていることに気付き、苦笑を浮かべた。


「二人とも、立ってないで遠慮なく座りなよ」

「それはお前が言う台詞じゃないだろ。まあ、異論は無いが……」

「え、もしかして、ここ……」

「俺の部屋だが?」


 控えめなジュリアの問い掛けに、エドワードはあっさりと頷いて見せる。その途端、恥ずかしそうに顔を伏せた。男性の、しかも意中の人の部屋ということで、そわそわと落ち着かない様子だ。

 それとは対照的なのがイリアだ。興味深そうに、本棚に並ぶ背表紙に目を通している。

 と、その時、彼女たちの後ろで「出来た!」と嬉々としたジャッキーの声が届いた。振り返って鍋の中を覗けば、食欲をそそる匂いが鼻をくすぐる。顔の綻びが抑えられない。


「わぁ、美味しそう!」

「だろ? 俺の渾身作だからな!」

「大袈裟だな。ただ鍋に放り込んだだけだろ」

「失礼だな! ただ放り込んだだけじゃ、美味い鍋は作れないんだぞ!? あ、野菜はそろそろ食べ頃だよ」

「だったら、そろそろいただきましょうか。皆、飲み物はどれが良いかしら?」


 席に着いた一人ひとりに、イリアが飲み物を注いだコップを手渡していく。そして、「乾杯!」の掛け声と共に、鍋パーティが幕を開けたのだった。






 鍋の中の肉や野菜も残り僅かとなった頃。コップの中の酒を飲み干したジャッキーが、ポツリと呟いた。


「アイスが食べたいなぁ……」

「真冬にアイス? そんなの、寒いだけだろ」

「分かってないなぁ、エドは。冬に温かい部屋の中で食べるアイスが良いんじゃないか」

「でも、そうね……なんだか、私も食べたくなってきちゃったわ。ちょっと買って来るわね」


 立ち上がり、そのまま部屋を出ようとする。そんな彼女を追うように、ジャッキーも慌てて席を立った。


「あっ、ちょっと待った! 俺も行くよ」

「でも、外は寒いわよ?」

「それはイリアだって同じだろ? それに、夜の女性の一人歩きは危ないよ。二人とも、何が良い?」

「俺はいらない」

「わたしはバニラが良いな。気を付けて行ってきてね」


 ジュリアの見送りを受け、イリアはジャッキーと共に部屋を出る。すると、向かいの窓の外には、白い何かがひらひらと舞っていた。次の瞬間、イリアの目が歓喜で見開かれる。


「もしかして……雪が降ってるの?」

「本当だ……雪だ!」


 二人のその声に、ジュリアもつられて部屋を出た。温暖なこの地域に雪が降るなんて滅多に無い。そんな雪をジュリアは物珍しそうに、だが嬉しそうに見つめていた。


「じゃあ、行ってくるけど……体が冷えきる前に部屋に戻れよ」

「うん」


 返事は返ってきたものの、声は上の空。すっかり窓の外に夢中になっているようだ。イリアとジャッキーは互いに顔を見合わせ、苦笑を漏らす。そしてランプが灯る廊下を、エントランスへ向けて歩き出した。

 そうして二人が外に出ると、真っ白な雪が絶えることなく舞い降りている。言葉を失うほど神秘的な景色。珍しさも相まって、その美しさから目が離せなかった。


「綺麗ね……なんだか、見ているだけで嬉しくなるわ」

「ああ、そうだね。でもこれだけ降れば、明日には積もってるかな?」

「積もるといいわよね」


 笑い合った拍子に白い息を舞い上がらせながら、夜の街を並んで歩く。足取りは踊るように軽い。大通りはまだ時間も早いからか、雪の物珍しさからか、普段よりも人通りが多かった。

 そうして立ち寄ったカフェは最近オープンしたばかりで、コーヒーとオリジナルのケーキが話題を呼んでいる。加えて、比較的遅い時間まで営業しており、店内には若者の姿が多く見受けられた。

 そのカフェの店先でアイスを買えば、後は部屋へ戻るだけ。だがそれでは何とも味気ない。するとジャッキーは、名案を思い付いたような表情でイリアを振り返った。


「そうだ、ちょっと遠回りして帰らないか? 温かい飲み物でも飲みながら、さ」

「あら、偶然ね。私も同じことを考えていたのよ」

「決まりだな。じゃあ、コーヒーと紅茶、どっちがいい?」

「そうね……コーヒーにしようかしら。えぇと、値段は――」

「俺が出すよ。言い出したのは俺だしさ」

「でも、それじゃ悪いわ」

「気にすんなって。すみません! コーヒー二つ追加してください」


 会計を済ませて店員から商品を受け取り、イリアにコーヒーの入ったカップを手渡した。冷え切った指先には熱過ぎるそのカップに、彼女は思わず顔をしかめる。だが慣れれば、その熱はじんわりと手に馴染み、立ち上がる湯気に顔を寄せた。


「温かくて、良い香り……ありがとう、ジャッキー」

「どういたしまして」


 ふんわりと笑うイリアにつられるように、ジャッキーも嬉しそうに笑みを向ける。そして二人は来た道を戻らず、そのまま先へと進んで行った。






 一方、その頃。なかなか部屋に戻らないジュリアに痺れを切らし、エドワードは声を掛けた。


「おい、本当に風邪を引くぞ。そんなに見たいなら、部屋の窓から見ればいいだろ」

「あ、うん」


 いきなり聞こえた声にハッとし、ジュリアは踵を返す。そして部屋に戻ってカーテンを引いた。するとそこには露がびっしりと張っており、ガラスに沿って滴り落ちている。それを手で擦り取ると、途端に雪景色が目に飛び込んでくる。思わず、笑みを零した。


「そんなに雪が好きか?」


 どれくらい時間が経っただろう。何の前触れもなくエドワードの声が届き、久しぶりに窓の外から視線を外した。

 振り返った先で彼は椅子に座り、魔術書へと視線を下ろしている。だがジュリアは、その彼の言葉に首を傾げた。


「わたしは好きだけど、エドワードくんは好きじゃないの?」

「……好き嫌いと言うよりは、見飽きたな」

「見飽きた?」

「テルティス領でも北の方で生まれたからな。冬には毎年雪が降っていた」


 次の瞬間、ジュリアの顔がパッと華やいだ。雪も珍しいが、エドワードが自分のことを話すのもまた珍しい。気が付けば、嬉しそうにクスクスと笑みを零していた。

 そんな彼女を一瞥し、エドワードは居心地が悪そうに顔を逸らした。その様子から、照れ隠しだとすぐに分かる。

 と同時に湧き上がる好奇心。もっと彼の故郷のことを聞いてみたい、と。もしかしたら、機嫌を悪くしてしまうかもしれない、と頭の片隅で思いつつもジュリアは口を開いた。


「エドワードくんの故郷って、どんなところなの?」

「……何の変哲も無い、小さな田舎町だ」

「そうなんだ。行ってみたいな……エドワードくんが生まれ育ったその町を見てみたい」

「物好きだな……行っても何も無いぞ」

「それでもわたしは見てみたいよ。……ダメ、かな?」


 顔を伏せ、伺うように視線を上げる。そんな彼女に、短くため息をついた。


「……今は、あそこには戻りたくない。だがもしも、戻ってもいいと思える時が来たら、考えてやってもいい」

「ありがとう、エドワードくん!」

「言っておくが、死ぬまで戻りたいと思わないかもしれないぞ」

「それは、寂しいことだけど……でも大事なのは、エドワードくんの気持ちだから」


 にっこりと、穏やかな笑みを向ける。そしてふと、時計へと視線を移した。イリアたちが出て行ってかなりの時間が経つが、まだ戻る気配は無いからだ。


「そういえば、イリアちゃんもジャッキーも遅いね……どうしたのかな?」

「どうせ、呑気に寄り道でもしているんだろう。二人とも子供じゃないんだ。そのうち帰って来る」


 相変わらず、視線は手元の魔術書に向けられたまま。だがジュリアは、その言葉にクスリと笑みを浮かべる。そしてそのまま、再び窓の外へと視線を向けたのだった。

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