第27話 国道十六号
東京の東西南北端を制覇するという試みは、南端を残すのみとなった。
地理的には東京都の最南端となっている沖ノ鳥島までカブで行くには、大学を何ヶ月か休学しなくてはいけなくなりそうだったので、とりあえず原付で行ける範囲ということで、島嶼部を除いた東京の中で最も南にある場所をスマホで探した。
小熊は調べるまでもなく知っていた。東京都町田市。山梨の集合住宅を引き払った後、小熊が暮らすことになる木造平屋は町田市の北部にある。
自分が大学生活を始める地ということで、町田の事は多少なりとも調べていた。東京でありながら自然が多く、バイク趣味の人間にも暮らしやすい地らしい。
奥多摩から町田までの経路については、礼子が奥多摩周遊道路をブっ飛ばして甲州街道まで出ようと出張したが、スマホで調べてみると二輪車は数年前に通行止めになっている。きっと礼子みたいな奴が一杯居たからだろう。
結局、来た道を戻る形で青梅街道を上り方面へと走った。
バイクツーリングで一度走った道をもう一度通るのはやや退屈で、何か損でもしたような気になるが、小熊は往路で見て気になっていた物をもう一度見たい気持ちもあった。礼子は走りながらつまらないと連呼し、椎はここは手堅く行きましょうと言っていて、二人の意見は割れ気味。
小熊としても奥多摩、青梅の山間部を抜けて、市街地に入った後は、特に見るべき物も無いので、折衷案がいいだろうと思い、瑞穂で国道十六号方面に右折する。
東京の外周を広く囲っている事から、東京環状という名が付けられた幹線国道は、見慣れた物と目新しい物が混じり合っていた。
それまで片側一車線、広いところでも二車線だった道路幅は四車線に増え、トラックが今までより速い流れで走っている。
道路脇にあるロードサイド店舗もスケールが大きく、端から端までが視界に収まりきれぬほど巨大なショッピングモールや、車以外の交通手段で来る人間など居ないかのような広大な駐車場を抱えたファミレス。ゲームセンターなど建物のサイズは山梨のデパートと同じくらいある。いずれもスケールが大きい。
住所的には東京都で地代も山梨ほど安く無いはずなのに、こんな馬鹿でかい店が幾つもあるのは、それを利用し消費する人間の母数が違うんだろう。
どこか日本離れした風景を見ながら国道十六号を走っていると、左手に広大な敷地を持つ施設が現れた。米軍の横田基地。真横に駐められている輸送機から視線を右に移すと、基地ゲートと国道を隔てた向かい側には、アメリカ風のダイナーレストランや古着屋がある。
ゲートの前に築かれた小さなアメリカは、基地だけでなく国道十六号にも馴染んでいた。膨大な物量と車社会、アメリカを思わせる道。小熊は椎の母から、国道十六号は都内近郊各地にある米軍基地の間を連絡するために作られた軍用道路だという話を聞いたことがあった。
礼子が基地前の店に寄りたそうな、あるいはゲート越しに基地を見物したそうな様子でブレーキランプを点滅させていたが、今日中に東京の東西南北を走り尽くすならば、ここで道草を食うわけにはいかないので、ヘッドライトを上下に動かして先を急がせながら小熊は思った。国道十六号はこれから暮らす事になる町田の賃貸からすぐに行ける距離なんだろうか。ロードサイドの店でアメリカ式にカート一杯の買い物をする予定など無いが、この無数の人たちの胃袋、あるいは別の欲望を満たす巨大な箱を見に行くのは悪くない。都心部に居るより、東京で暮らしている実感を得られるのかもしれない。
八王子で中央高速を越えたあたりで一度給油をした。やはり椎の電子制御式リトルカブは最も燃費がいい。椎も「私のカブはお財布に優しいんですよ」と上機嫌な様子。
一方礼子は小熊や椎のカブよりガソリンを食うハンターカブに、更に余分に金のかかるハイオクガソリンを入れていた。各部にカスタマイズが施されたハンターカブはシリンダーの圧縮も上げられていて、ハイオクでないと本来の性能が発揮できないらしい。
カフェ併設のセルフスタンドだったので、カブを給油スペースから駐輪スペースまで転がして行き、一休みすることにした。八王子のひよどり山に実家があるという礼子は、目の前を流れる国道十六号を眺めながら呟いた。
「子供の頃は、ここまでが私の世界だった」
冬のバイク乗りにとってありがたい熱いコーヒーを飲みながら、小熊は黙って話を聞いた。
「家から歩いて行けるのは十六号まで。そこから先はバスか親の車に乗らないと行けなかった。別に禁止されていたわけじゃないけど、自分の中に境目があって、この道を越えた途端に恐くなって引き返した」
小熊にも覚えのある事だった。子供の頃は自分の中で認識可能な世界というものがあって、家と近所と通学路で出来た世界は心理的な壁で囲われていた。
「だから礼子はカブを買ったの?」
礼子は窓越しに自分のハンターカブを見ながら答えた。
「壁を壊すのが一番上手いバイクだからね」
小熊はコーヒーの湯気越しに外を見て呟く。
「行かなきゃいけないところや行きたいところがあると、壁とか言っていられない」
自分の世界が広くなることで、周囲を取り巻く壁は無くなる。ただそれは多重の壁が幾つか消えただけに過ぎず、東京で生きていくにはあと何枚か壊さないと狭苦しくてたまらない。だからこうして東京を知るべく走り回っている。
礼子は遠くを見た。高校卒業後は世界を放浪して過ごすという礼子は、自分を囲う全ての壁を壊そうとしている。
リトルカブにガソリンを入れた後、差し引きで重量のバランスを良くするためかトイレに駆け込んだ椎が、すっきりした顔で戻ってきた。カフェのスツールによじ登るように座りながら言う。
「何の話をしていたんですか?」
礼子は椎の姿、特に体型をじっくりと眺めながら答えた。
「壁の話」
給油と休憩を終えた小熊たちは再び走り出した。八王子から橋本、相模原を経て、時刻が昼下がりから夕方になる頃、目的地の町田市最南端にあっさり到着する。
とりあえず東京の広さと多様性については、実際に自分の目で見て確かめる事が出来た。目的を果たした後、小熊は次の行動について決める事にした。
「どこに泊まる?」
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