第26話 奥多摩
新宿から三十分ほど走り環状七号線を越えると、周囲の風景は都心から東京都下のものになる。
隙間無く詰め込まれたビルの密度は下がり、都心ではビルの一階に半ば隠されていたコンビニやファミレスも目立つ、山梨でも甲府の中心部近く等で見慣れた風景。
都心は働く人の街で、そこで暮らす人など居ないかのように思わせる雰囲気だったが、ここまで来るとオフィスビルだけでなく集合住宅、たまに一軒家なども見られ、働く人と暮らす人が混在している。
たまに見かけるスーパーマーケットが、この街に生きる者の彩りを与えているのかと思った。暮らしというものが即ち食べる事ならば、出来上がった料理を買う店しか見かけなかった新宿や渋谷と違って、ここでは自分で食事を作るための食べ物を買うことが出来る。
きっとこのまま西へと走り続けていれば、街の密度はさらに下がり、地元の山梨や小熊が今まで行った各県と同じように、東京も自然物の合間に人の営みが存在する姿を見せてくれるんだろうと思っていた。
礼子や椎のカブと先頭を入れ替えながら荻窪で環状八号線を越える。関町で東京二十三区から市部に入っても、街の姿は変わらなかった。
それからも小熊は、数時間に渡り青梅街道を走り続けたが、いつになっても街の密度は変わらない。田無、小平、村山とスマホのナビに表示される市の名前は変わっていくが、道から見た周囲の世界は、仕事の場と生活の場が管理調整されたかのように混じり合い、人工物が途切れる事は無い。
たまに広い緑地を見かけることはあったが、そこは山野ではなく人の手で作られた公園。小熊は自分がずっと息を止め、水の中を泳いでいるような気分になった。
目を惹く建築物やロードサイド店舗など、見ている景色は自然の中を走っている時にはありえないほど変化に富んでいるのに、まるで朝から晩まで風景の変わらない砂漠の一本道を走ってるみたいだと思いながらカブを走らせていると、瑞穂で国道十六号を越えたあたりで、皮膚がささやかな変化を感じ取った。
周囲は相変わらず人家や店舗が途切れないが、隙間から遠くに視線を投げると、冬の澄んだ空気の中に存在する山々の連なりが見えた。
山はまだ遠いが、目に見えるというだけで空気の味が変わったように感じられる。木々を渡り吹く風からは、人の営みで濁っていない清澄な味がする。広い東京の街でイルカかクジラのように息を殺していた小熊は、やっと呼吸を取り戻した気がした。
昨日から今日にかけて都内をカブで走り回り、ネットカフェに泊まり快適な東京生活を過ごした積もりだったが、安らぎを覚える物はそうそう変わらないらしい。
やはり自分は山梨で育った人間だという事を思い知らされる。もしかして海育ちなら羽田やお台場の海を見て懐かしさを覚えるのか、それとも千葉や湘南まで遠出して砂浜でも見に行くんだろうかと思いながら走っているうちに、周りに自然物が現れてくる。JR青梅線に沿っている青梅街道は、中央本線沿いの甲州街道に似ている。きっとこの道が徒歩で旅する人たちの道だった頃からそうなんだろう。
奥多摩駅を通り過ぎ、湖沿いに走っているうちに東京と山梨の県境を越えた。
道路標示に甲府や塩山など、見慣れた地名が現れる。
先頭を走っていた小熊は後方の礼子と椎に合図して、カブを道端に駐める。東京の西端を見たいと思い東端の千葉県境からカブを走らせて来たが、ここで引き返す事にした。
正確な西と東の端はここから遥か遠くの海上にあって、本土の西端を見るにも、ここから徒歩で冬山登山をしなくてはいけないが、そういうチャレンジをしに来たわけではないし、見るべきものはもう見た。
数時間走りっぱなしで時間はもう正午の手前。早朝のラーメンとクロワッサンで補給したエネルギーも尽きてきた。礼子は今すぐここに丸飯盒とコンロを広げてご飯を炊き始めそうな勢いで。椎も温かいお茶を飲みたそうな感じだったので、山梨県境から数km戻り、先ほど見かけた奥多摩駅前のコンビニに入る。
棚に並ぶ新刊の雑誌を眺めながら、こんな観光と行楽の地にまでコンビニが存在する東京に驚かされる。
とりあえず手っ取り早く食べられる物なら何でもいいと思い、幕の内弁当とおにぎり、紙パックのお茶を買った小熊は、コンビニを出て手近な公園で弁当を広げた。長距離走行で冷えたか体にはありがたい温かい弁当を食べながら言う。
「東京は山梨と違う。でも変わらない」
礼子はレジでお湯を入れてもらった特大のインスタント焼きそばを頬張りながら答えた。
「何が違って、何が変わらないのかはまだわからないわ」
椎はコンビニコーヒーとスパゲティミートソースを交互に口に運びながら言った。
「確かめてみましょう」
少し早い昼食を終えた小熊たちは、再び走り出した。
次は東京の北と南。原付で行ける範囲ということで、北端の征服を奥多摩から数km走った先にある日原で済ませ、カブを南へと向けた。
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