第25話 東京の目覚め

 東京の西端とその向こう側を確かめた小熊と礼子、椎は西へ向かうことにした。

 来た道をそのまま戻ってもつまらないので、江戸川沿いに数km走って河口まで下る。

 東京というところは、地代からくる必然か道も街もコンビニさえも狭苦しく小さいが、川だけは大きい。

 山梨の川は、いずれも上流に近いため狭く流れが速いが、こうして東京で河口の辺りを走っていると、川というより湖か何かのような、膨大な水を湛えた空間が静かに存在している事を感じさせてくれる。


 せせらぎの音すら聞こえない夜の川は暗く、これだけ灯りが敷き詰められた東京に存在する暗黒に不安より興味を覚える。小熊は自分が春から暮らす町田北部の借家も、近くに川があればいいと思った。 

 椎のマンションは目の前が多摩川だと聞いたが、大学生活が始まってからはあまり行く事が無さそうだと思っていた椎の部屋に、たまには遊びに行くのもいいかもしれない。右を向いても左を向いても人と人工物が目に入る東京では、夜の川を眺めながら時間を過ごせるというだけで価値がある。


 江戸川の下流近くで、再び千葉県の市川市に入った。分岐した旧江戸川に沿って都県境が引かれている関係で、今の江戸川の西側まで千葉県が張り出している。さっき見た川の向こうの千葉県は東京と変わりなかったが、道の上に存在する目に見えない境界を越えても、やはり東京と千葉の違いは感じられない。


 河口で右に折れ、湾岸道路に入る。首都高の湾岸線に沿うような形で東京の港湾部を繋ぐ道路は、今まで通ってきた国道とは違う風景が広がっていた。

 広く直線的な幹線道路はオレンジの照明で彩られ、海側では照明でギラギラ輝くコンビナートが煙突から炎を吹き上げている。商業都市としての東京とは異なる、工業の街としての顔。そしてなにより、トラックの速度。

 早朝の東京は都心部でも一般車よりトラックが多かったが、早朝の湾岸道路はほぼ大型トラックしか走っていないのかと思わされる。いずれも高速道路並みの速度で飛ばしている。


 幸い道が広く道路端のエスケープゾーンが充分にあったので、小熊たちは次々と追い抜いて行くトラックとは違うスピードで走る事が出来た。礼子は今すぐハンターカブのアクセルを全開にして、あのトラックを従えて走りたそうにしていた。椎は大型トラックが通過するたび感じる風圧を楽しんでいる様子。小熊も景色のいい道路を走るのは快適だったが、トラックにしてみれば迷惑なことだろう。

 日本の物流を支える流れの邪魔をしているような、いささか後ろめたい気分を味わいながら走っていると、前方に赤い点滅光が見えた。ロードバイクの車列。礼子が後方からトラックが来ていない事を確認した後、ハンターカブを右側に寄せて追い抜く。小熊と椎もミラーと自分の目で後方を確認しつつ礼子に続いた。


 確かにここは働く人たちのために作られた道路で、自分たちは仕事でも何でもない卒業旅行をしているに過ぎない。さっき追い抜いたロードバイクも似たようなものなんだろう。しかしここは公道。納税者たる個々人が、法と道路上で発生する暗黙のルールに従いつつ、自分のスピードを以って利用する行為は、何ら引け目を感じる事では無い。

 トラックは道路端を走る小熊たちなど目にも入らない様子で、横を通過していく。小熊は今までバイク便の仕事をしていて、遊びで車やバイクに乗っているであろう人達に反感を覚えた事もあったが、淀みなく流れるトラック達を見て、公道を走る者としての己の未熟さを省みた。


 東京の東端で湾岸道路に入った小熊たちは、流れが速いだけに移動時間も短く、ようやく空の端が明るくなってくる頃にはもう都心部でも西側寄りの台場まで達していた。

 原付二種は走れるが、原付一種は通れない不可解な交通規制を敷かれたレインボーブリッジを避け、有明経由で晴海通りに入る。

 勝鬨橋から銀座を抜け、右に折れて小熊たちが暮らしていた山梨を貫き長野県まで達している国道二十号線の起点となる日本橋まで行ってみた小熊たちは、皇居の内堀に沿うように走り、半蔵門で左に曲がって西進する。


 ついさっき東京の東端まで行く時に通った道は、まだ空が白み始めて間もないというのに、目覚めかけていた。路線バスはもう動いていて、夜に働く、あるいは遊ぶ人たちしか居なかった街をこれから通勤、通学するらしき人たちが寒そうに歩いている。

 昼も夜も無い街だと思っていた東京も朝を迎えると変わるのかと思いながら、国道二十号線を走っていると、都心に入ってから先頭を走っている椎が御苑トンネルの手前で右に折れ、少し走って靖国通りに入る。

 山梨から東京に出てくる時は、国道二十号線を延々走ったが、同じ道ではつまらないと思ったのかもしれない。小熊と礼子も同じ気分だった。


 歌舞伎町に達する頃には、まだしても街の姿は変わる。さっきまで朝の目覚めが始まっていた街並みが、再び夜の風景となる。

 街のあちこちから発する無数の光で、今まで見た東京のいかなる街よりも明るく照らされている。空はもう漆黒から青へと変わりつつあるのに、まだ夜だと言い張るように街自体がギラギラ輝いていて、やはり夜のロスタイムを粘っている酔客たちが歩いている。東京とは、これほどまでに幾つもの顔を持つ物なのか。


 新宿の大ガードを抜けると、夜のままだった街はだいぶ大人しくなる。先月の事故でタクシーに若干トラウマのある小熊としては、深夜の都内を我が物顔で走っていたタクシーの数が電車やバスが動き始めると同時に減っていくのがありがたい。

 小熊、礼子、椎のカブは、青梅街道を西へと進んでいく。   

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