第16話 旅立ち
小熊と礼子、椎は駐輪場に駐めてある各々のカブの元へと向かった。
すでに旅の準備は終えている。最初の目的地は渋谷のフリーマーケットだが、その先はまだ決めていない。
以前この面子で九州に行った時のように、宿はビジネスホテルやネットカフェで済ませるかもしれないし、遊牧民のように寝られる場所を見つけて寝る日々を過ごすのかもしれない。
一つ確かなのは、自分がどうになるかわからないという状況ほど面白い物は無いという事。
今までカブで色々な場所に出かけて来たが、どこに行こうと帰る家、帰らなくてはいけない場所はあった。
そんな引き綱で繋がれた散歩のような旅を行うために東京に行くわけでなない。
これから小熊は、もう帰る事の無い、帰らなくてもいい旅に出る。
礼子のハンターカブに取り付けられた大型の郵政業務用ボックスには、三人分のシュラフとテント、銀マット、コンロ、丸飯盒等が押し込まれていた。
去年の今ごろ三人でツーリングした時は、椎をハンターカブの後ろに乗せていたこともあってキャンプ道具は積めなかったが、今回は椎も自分のリトルカブに乗っている。
礼子はこれさえあれば何日でも旅を続けられると豪語しているが、一通りキャンプグッズを見た小熊は、テント泊はあくまでも緊急用、あるいは物珍しさを楽しむだけにしようと思った。
シュラフはリサイクル店で五百円で買ったという春夏用。礼子は「もう厳寒期じゃないし、東京は暖かいから」と言っていたが、いくらなんでも甘く考えすぎ。
テントも一応二人~三人用とあるが、中は椎を挟んで三人並んで何とか横になれる広さ。随分前から小熊が貸しっぱなしにしているコールマンのガソリンコンロも、しばらく使っていないらしいので、ぶっつけ本番で動作するのか不安になる。
第一、東京にテントを張ってキャンプが出来る場所なんてあるんだろうか。
小熊のスチール製リアボックスには、自分の旅荷物と、ハンターカブのボックスに入りきれなかった礼子の服や洗面道具が入っている。椎のリトルカブにもゴミ収集所などで見かけるプラスティック製コンテナに、ジッパー付きトートバッグを加工して作ったカバーを被せたボックスが取り付けられていたが、その中には椎の荷物に加え、椎の両親が持たせてくれた食糧が収まっている。
日持ちする黒パンの大きな塊や缶詰、オリジナルブレンドのコーヒーに加え、出先でエスプレッソを淹れられるマキネッタと呼ばれるポット型のコーヒー器具。これも意味のある積荷なのか小熊にはわからなかった。
砂漠や荒野を横断するのではなく、行き先は東京。食べる物はどこででも入手出来るだろう。コーヒーもコンビニやファストフードで上等な物が買えるし、山梨にはまだ数えるほどしか無いスターバックスも、東京に行けばそこらじゅうにあるらしい。
そこまで考えたところで、小熊は自分もまた、数回行っただけの東京という地に先入観を抱いている事に気づいた。だから確かめるために行く。
とりあえず、礼子はキャンプ道具、自分は衣類、椎は食糧といった具合に各々のボックスに入っている物が決まっていると、誰か一人が脱落した時、ボックスの中身や、それによって可能となる事まで失われるので、お互いに荷物を分け合って適度に分散させた。
三人はカブのエンジンを始動させて、ヘルメットを被りグローブを付けてシートに座った。
気の急いている礼子を先頭に、小熊、椎の順番で走り出す。
以前は三人で走る時は、初心者の椎を中間に置いて小熊と礼子で挟む事が多かったが、今は三人が必要に応じて順序を入れ替えながら走る。
幹線道路は礼子に引っ張らせれば良好なペースを維持出来るし、道が混雑してきた時は、バイク便の仕事をしている小熊が先導したほうが、信号や他車による分断ではぐれてしまう事が起きにくい。
都市部では椎のほうが小熊や礼子よりスムーズだった。椎は周りの車やバイクを不必要に押しのけたりしない走りが出来る。テクニックより人格によるのかもしれない。
小熊、礼子、椎はもう何度通ったのかも覚えていない校門から外に出た。
バックミラーには、二度と行く事の無い母校が映っている。
振り返って何か三年間世話になった礼でも言うべきかと思ったが、とりあえず後ろから意外と積極的に煽ってくる椎のリトルカブをコントロールしつつ、逸る礼子のハンターカブについて行く事に集中した。
目の前に広がっている光景がまぶしすぎて、後ろを見る余裕など無かった。
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