第6話 旅行


「引越し」

 小熊は間を置かず、礼子の問いかけに答えた。

 普段は礼子から何か聞かれても、すぐに答えを返すことは少ない。返答次第で何をやらかすかわからない奴だし、たまに熟考を求められるような言葉を発することもあるので、この三人で居ると、椎が先に答えてしまうことが多い。

 椎は小熊の顔を見て、あからさまにつまらなそうな表情をしながら言った。

「え~卒業旅行に行きたいです~」


 小熊が見る限り、椎は他人の言葉に対し、特に深く考えず返答することが多い、そのくせ相手の反応を見て言う事を変えたりする。小熊のように最初の一歩を慎重に踏み出し、何物にも惑わせられず初志を貫くタイプと違い、まず歩き出して間違っていたらその都度修正する。それゆえ失敗も多いがそこから立ち直る柔軟性は高く、何かしらの目標に到着する時間や達成率は、小熊と大差無い。

 だからこそ、小熊は椎から出てくる答えを恐れたのかもしれない。


 小熊たちが高校生活から解放され、春休みの始まる卒業式まで一ヶ月少々。とりあえず小熊は、入院生活で落とした単位の帳尻を合わせるべく、補習と追試を受けなくてはならない。

 同じクラスに居る卒業後に進学や就職のため県外に行く同級生の中には、もう生活の基盤を転居先に移す準備を始めている生徒も居るが、とりあえず小熊は卒業式前日まで詰め込まれた補習のスケジュールを消化しないことには、身動きが取れない。

 引越し先については既に決まっている。でもカブを含めそれなりの量のある家具類を自力で東京まで運ばなくてはならず、荷解きやライフラインの開通など、他にもやる事は多い。


 小熊と同じく東京の大学に行く椎は、既に何度かの下見の時に母親のシボレートラックで嵩張る荷物を運び入れていて、引越し当日の椎は身の周りの物だけを詰めたトランクを自分のリトルカブに積んで東京に行くと言っている。東京に行く自分自身の姿について、何かの美意識があるらしき椎は、そうすると決めているらしい。

 小熊は自分の引越しには中古バイク屋のシノさんがトランポとして持っているトラックを借りる積もりだったが、既に半ば自分の物のように乗り回しているサニートラックは問題なく借り出せるだろう。今の部屋にある運ばなくてはいけない家具や荷物を頭の中で量ってみた。全部まとめてもサニートラックの荷台に余裕で積める。

 運び終わったらシノさんの店まで引き返してトラックを返し、そのままカブに乗って東京に行けば、引越しの実作業はほぼ終わり。おそらく一日で終わらせられる。

 一日で終わってしまう。


 引越し作業が終わったら今度はバイトがある。甲府昭和のバイク便会社にはまだ籍を置いているし、小熊をスカウトしたいと言って来ている東京の陸送会社にも、大学が始まりオリエンテーリング等で忙しくなる前に、顔を出さなくてはいけないだろう 

 小熊は椎に上目遣いで見つめられながら、旅行に行く事を断る方便を探していた。

 行きたくない理由は一つ。金の問題。小熊にとって旅行とは、生活に余裕が出来た時に行う道楽で、今の自分にはそんな余り金は無いし、アニメやマンガのように福引で旅行が当たる予定も無い。

もう一つの理由については、まだ頭の中で言葉に出来るような形になっていない。

 

 椎は小熊の腕を両手で掴み、ぐいぐい引っ張る。小熊は外出を渋る日曜日のお父さんになったような気分にさせられた。お父さんみたいに疲れてるからと言って旅行を断ろうとも考えたが、どうしても遊びに行きたい娘がそうであるように、椎も納得してはくれないだろう。

 小熊は助けを求めるように礼子を見た。普段なら、三人の間で何かしらの行動を起こそうという言葉が出た時、真っ先に盛り上がる礼子が、今は椎の旅行に行こうという言葉を聞いていつものように行こう行こうと騒ぎ立てるでもなく、なにやら考えこむような顔をしている。


 高校卒業後の進路を決めず、ただ放浪することを選んだ礼子なら、高校生女子のお約束イベントを楽しむ気持ちで卒業旅行に行きたがる椎に、何かしら甘ったれた考えをぶち壊すような事を言ってくれるのではないかと期待した。

 しばらく俯き、それから自分の背後、ログハウスの室内に駐めてあるハンターカブをふりかえった礼子は言った。

「旅行、旅行は今の私たちに必要かもしれない」


 席を立った小熊は、薪が燃えるストーブの上に置かれていたパーコレーターを手に取り、三人分のコーヒーを淹れながら答えた。

「必要?」

 テーブルの上に並べられていたロブスターとポテトの夕食は綺麗に食べつくされているが、誰もデザートを出そうとしていない。礼子が最初に投げかけた言葉は、小熊と椎、そして言った礼子の中でそれなりの影響があったのかもしれない。

 小熊は冷蔵庫から大きなタッパ一杯の苺のミルクゼリーを取り出す。入院中は病院食のデザートでやたらゼリーが出てきて、退院する頃には飽き飽きしていたが、いざ退院するとまた食べたくなったので、レシピを調べて自分で作った。


 練乳にたっぷりの苺を入れてゼラチンで固め、冷やしたゼリーを大雑把に切り分けて三枚の皿に盛り、椎や礼子の前に置いた小熊は、改めて礼子に聞いた。

「四月から色々な事を始めなくてはいけない時期に、その準備を怠ってまで観光地で美味しい物を食べて遊びまわる事が必要だとは思わない」

 椎はパーコレーターで淹れた荒い味のブラックコーヒーと、甘酸っぱく瑞々しい苺ミルクのゼリーを交互に口に運びながら言う。

「わたしは新しい生活を始める前に、の今の生活の終わりになることがしたいです」

 椎の発した終わりという言葉に、小熊の中にある形の無い感情が、少し反応した。


 小熊もゼリーを頬張る。山梨では今の季節、勝沼あたりの果樹園に行けば規格外の苺が安価で手に入る。夏には桃、秋には梨や葡萄、東京に引っ越せば、これもそれなりの金を払わなくては手に入らなくなる。

 苺をスプーンで潰し、ピンク色になった練乳のゼリーを食べていた礼子は、スプーンで二人を指しながら言う。

「あんたたちは新しい事を始める前に、行かなくちゃいけない場所があるでしょ?見て知って把握しなくてはいけない場所」

 小熊はまだ熱いブラックコーヒーを飲み干した。相変わらず食べ方が汚く、口の周りをゼリーで汚した椎は小熊の腕をぎゅっと握る。礼子がろくでもない事を言い出す時の兆候はわかっている。

 礼子はテーブルを平手で叩きながら言った。

「東京よ」  

 

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