第4話 停滞

 小熊が後藤と短い会話を交わしていると、隣にある窓際のベッドから誰かが飛び出してくる気配がした。

 誰なのか確かめるまでもない。無駄に大きな体に相応しいパワーロスの多い動き、相手が誰なのかを確かめる前に近づいてくる、野生動物ならすぐに食われそうな仕草、そして陽に当たると太陽より明るく輝く蜂蜜色の髪。

 桜井は小熊に駆け寄り、抱きついてきた。

「寂しくて会いに来たな!」

 小熊はまとわりつく桜井を突き飛ばした。つんのめった桜井は転ぶことなくもちこたえる。左足を骨折して入院し、退院直後に右足を折った桜井は、同じ部位を骨折した小熊と同じような治療スケジュールなら、もうリハビリも佳境を迎え、退院の時期が見えてきた頃。桜井のしっかり踏ん張った両足を見る限り、馬鹿なことをしでかすは事無く順調に回復しているらしい。


 小熊は懲りずに再び近づいてくる桜井を手でブロックしながら言った。

「あんたに会いに来たんじゃない」

 冷たい応対に頬を膨らませていた桜井は、小熊がディパックから取り出して渡したうまい棒のアップルシナモン味が三十本詰まった袋を見て機嫌を直す。正価の半値近くで叩き売られていた駄菓子問屋のセール品で大喜びするとは、相変わらず安っぽい奴だと思った。

 貰って早々に外袋を破り、中身をベッドに開けた桜井は、小熊に一本放り、もう一本を自分で開けようとしたが、うまく開けられない様子。右手と歯を使って何とか封を切ろうとしているが、病院のやわらかい食事で歯と顎、それから意思の力まで衰えたのか、袋は伸びるだけでうまく裂けない。


 小熊は桜井の手からうまい棒の袋をひったくり、開けてやりながら言った。

「手、どうしたの?」

 桜井は包帯が巻かれ、自由にならない様子の左手を振りながら言った。

「先週やっと外出許可が出たからよ、あたしの白いカラスを自分で直そうとしたんだ、そしたら足回りを見てる時にバランス崩して尻もちをついて、手をついたらそのままヒビ入っちゃって」

 小熊は袋を開けたうまい棒を差し出しながら言った。

「作業をする時は座る。地面か椅子に尻をつけてしっかり座る。作業事故を起こしたくないなら、しゃがみ作業は絶対やるな」


 小熊の手から直接うまい棒を食べていた桜井が、わかったようなわかってないような顔をしたので、自分の言葉をちゃんと飲み込ませるため、うまい棒を押し込んだ。桜井は声にならないような声を上げて目を白黒させている。

 口一杯にうまい棒を詰め込んだ桜井はしばらく口が利けない様子。小熊としても桜井とくだらないお喋りをするためにここに来たわけではないので、本来の目的を果たすことにした。

 桜井の向かい側、窓際のベッドを見ると、向こうも作業を中断させて顔を上げ、こちらを見ている。数日前まで小熊が入院していた時、病室の最古参だった入院患者は、変わることなくそこに居た。

 小熊は中村に一礼した。向こうも微笑みを浮かべて小熊に言った。

「よく来てくれたね」


 小熊はディパックからシュガーラスク味のうまい棒を取り出した。三十本入りの大袋とは別に単品で買って食べ比べた結果、一番美味だと思った味。

 中村はベッドテーブルに置いていたMacBookProと、最近持ち込んだらしき外付けHDDを脇にどけた。後藤の中古ノートPCや桜井のタブレットの十倍以上の値が張りそうなプロスペックの品。実際に中村は遊びではなく仕事としてMacに向かっていた。

 それなりに選んで買ってきた見舞い品だけど、無駄に嵩張る物を持ってきてしまったようで、こっちが悪い気になる。この人は他人にそうさせてしまう能力を有した人間だからしょうがない。どんな集まりの中でも常に中心に据えられ、周りが勝手にその人のために動く。その力がありすぎたが故、多忙を極めた末に体を壊し、ここに入院している。


 小熊は中村の横まで歩いていった。そのまま突っ立っていると、中村はすぐにベッド横の丸椅子を薦めてくれた。彼女はそういう事が出来る。座る場所を手で指すくらい誰にでも出来るが、小熊に許しを得るまでは座ってはいけないと思わせるような相手はそうそう居ない。

 丸椅子に腰掛けた小熊は、MacBookProのディスプレイを眺めながら言った。

「別の仕事を入れたんですか?」

 かつて従事していたテレビ製作スタッフの仕事を入院と同時にやめた中村は、自身が才能を惜しみ、個人的に面倒を見ていたVtuberの無償プロデュースという形で映像製作の世界に復帰し、入院中の小熊はその手伝いをしたこともある。


 画面に映っていたのは、小熊が以前中村の手助けをすべく配信を手伝ったVtuberとは別のキャラクターだった。あのキャラは全身を釣り装備で固め、竿を片手に配信していたが、目の前で中村の手によって各部の修正が施されているキャラは、小熊が見慣れた姿をしていた。

 ライディングジャケットにデニムパンツ、革のワークブーツとグローブ、そしてヘルメット。

 バイク乗りの姿をしたVtuberが、画面の中で踊っていた。


 中村は以前小熊が修理した湯沸しポットで手際よく二杯のお茶を淹れ、一杯を小熊に薦めながら言った。

「今回の入院で小熊君と桜井君を見ていて、バイクはわからないがバイクに乗る人間に興味が沸いてね、企画を持ち込んだところ話が進んで、今は明後日のプレゼンに間に合わせるべく頑張っているところさ」 

 小熊や桜井がバイクの話をしていても加わることの無かった中村が、なぜバイクを題材に選んだのか小熊にはわからなかった。何より目の前のバーチャルキャラクターには、その分野で素人の小熊にさえわかる致命的な欠陥があった。

「顔、見えないじゃないですか」


 フルフェイスのヘルメットを被った女子らしきバーチャルキャラクターの容姿は、目元と鼻、そしてヘルメットからこぼれる長い髪しか見えない。それだけでも美人であることは何となくわかるが、ヘルメットで隠されている部分が明らかになってもそうなのかはわからない。そうではなかった実例を小熊は知っているような気がする。

「課金とかすれば、顔が見えるようになるんですか?」

 中村は笑って首を振る。それからキーを操作し、一応は作っているらしき素顔を見せてくれた。やっぱり美人。予想通りで、想像を超えたものは何もない。


「きっとこの子が世に出れば、何人ものファンによって素顔が描かれるに違いない。その流れを止めるのは上策とは言えないし、私はそうやって人々が動き始めるところを見てみたい」

 とりあえず、小熊が全くもって疎いVtuberの世界では、何が金を産むことになるのかわからないという事だけはわかった。とりあえず中村が知らない事を知っているであろう人間の義務だけは果たしておく。

「この靴ですが、ギアチェンジするバイクには使えませんよ」


 バーチャルキャラクターが履いていたブーツの甲は、ワークブーツの中でも最もオーソドックスな外縫いのデザインだったが、この形のブーツは強度も履き心地も最良ながら、シフトペダルの操作性が致命的に悪い。

 礼子も「カブは靴裏で踏んでシフトチェンジするから問題ない」と言って買ったが、スーパーカブといえど乗り方次第で爪先でのシフトチェンジとは無縁でなく、甲に外縫いのステッチの無いプレーントゥのブーツに買い換えた。

 小熊の言葉を聞いた中村はディスプレイを前に考え込んだ。身に付ける物のバランスで成り立っているキャラクター、どうやらバイクに乗るキャラだからバイク用の靴を履かせればいいという単純な回答ではないらしい。


 その分野のプロ相手に素人が何か考えても無駄だと思った小熊は、第一印象で頭に浮かんだ事を言った。

「ウエスタンブーツが似合いそうですね」      

 顔が見えないので美人かどうかはわからないが、黒く硬質な長髪といい、涼しげな目元といいシャープな印象を与える女。ならば身に付ける物も尖ったほうがいいと思った。 

 中村は天啓を得たように目を輝かせ、仕事用のMacとは別に持ち込んでいるらしきiPadでウエスタンブーツの画像を検索し始めたが、我を忘れ夢中になった自分を恥じるようにiPadを横に置いた。

「そうだ、小熊君がここに来た目的を忘れるところだったよ」

 中村はベッドの下から、トロ箱と呼ばれる発泡スチロール製の箱を引っ張り出した。


「さっき冷蔵庫から出したところだ」

 小熊はミカン箱ほどもあるトロ箱を押し頂いた。中村からこの箱の中身を譲ってくれるというLINEが届いたのは昨日だった。仕事先で貰ったが、誰も欲しがらないので取りに来てくれるならば無料で進呈するという申し出。小熊はありがたく頂戴することにした。

 トロ箱を抱えた小熊と中村の間に、少し間延びした時間が流れた。双方の用事は終わった。このままだらだらお茶とお喋りでの時間を過ごすほどの仲ではないが、すぐに帰ると自分が現金で社会性の無い人間になったような気分にさせられる。こういう時に時間の引き延ばしに便利なお茶は、中村の話を聞きながら全部飲んでしまった。


 小熊が何か言おうとして言葉に詰まっていると、中村が言った。

「小熊君、もうここには来ないほうがいい」

 小熊の心が不安に襲われる。周囲に惑星を従える恒星のような女。もし太陽の光が突然消えたら、地球はこんな気分になるのかと思った。

「ご迷惑でしたか」

 桜井と後藤はうまい棒を交換し合っていて、中村と小熊の会話が聞こえない様子。中村はそっと小熊の髪に触れ、慈しむように触れながら言った。

「君は今、動いている、動こうとしている。ここは止まった場所だから。私は動く小熊くんの足を引っ張りたくない」


 中村に髪を撫でられ、少し落ち着いた小熊は言った。

「来るなと言っても来ますよ」

 中村は自分のMacBookProを指で弾きながら笑う。仕事用のプロスペックPCの中では、相応の金を生むプロジェクトが生み出されている、それも中村にとっては仕事ではなく、止まった人間が動いているフリだけする、ごっこ遊びなんだろう。

「止まった私がもう一度動き始めたら、また会おう」

 小熊は左手でトロ箱を抱え込みながら右手を出し、中村と握手をした。


 病院を出た小熊は、そのまま礼子のログハウスに向かった。

 チャイム代わりにカブのクラクションを鳴らし、ドアを開けて勝手に入ると、既に椎も待っていた。

 2by4材の手製テーブルに病院でもらってきたトロ箱を置くと、空腹に耐えられない様子の礼子が蓋を開け、それから後ろにのけぞった。

 箱の中身は、まだ生きているロブスターだった。

 オガクズに包まれて動くロブスターに恐れを成している礼子の横で、案外平気そうな様子の椎が指で押して肉付きを確かめながら言った。

「どうしたんですか?これ」

 ライディングジャケットを脱いで壁にかけた小熊は、ポケットから桜井に貰ったきり開けていなかったうまい棒を取り出しながら言った。

「これで釣って来た」

 首を傾げる椎の横で、これから茹でて食われるというのに必死で生きようと動いているロブスターが、ハサミを振り上げて小熊を威嚇した。

 



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