第3話 見舞い

 日野春駅前と高校を結ぶ県道が国道二十号線が交差する、牧原の十字路からカブで十分少々。

 近いような遠いような、カブで走ればすぐ近くだけど、できれば遠くにあってほしいと思いたくなるような場所に着いた小熊は、駐輪場にカブを駐め、ワイヤーロックをかけた。

 最初にここに来たのは一ヶ月ちょっと前。あの時はカブじゃない交通手段で訪問した。赤信号や速度制限を無視して走る、赤灯とサイレンのついた白い車。

 小熊は、かつて自分が入院していた総合病院にやってきた。


 建物の中は、ここが生活の場だった頃には気にならなかった消毒液の匂いで満たされていた。あまり長居したくないと思いながら受付に行った小熊は、順番待ちの整理券を取ってすぐに放送で呼び出された。

 整理券と通学用のディパックから取り出した幾つかの書類を手にした小熊は、職員の制服以外は銀行と変わらぬ窓口で、医療費の清算を行った。

 事故相手の保険会社から支払われた入院費は無事決済されていて、小熊は幾つか追加の書類に記入し、提出しただけで済んだ。この病院は銀行や役所ほどがめつくないらしく、手数料の類も取られることなく手続きは終了した。


 これでここに来た目的はほぼ終わり。そう思いながら小熊は、待合室を振り返った。

 昼間より来院者が帰った後の夜の印象のほうが強い。入院中はよく夜の待合室で、他の入院患者と一緒に座り心地のいい椅子を占領して、売店で買ったコーヒーを飲んだ。

 受け取った各種の書類を落ち着いて整理する必要があったので、椅子の一つに座った。どこにでもあるような大量生産の椅子で、新居の家具を探している今の小熊なら、タダでもいらないと思うような代物。

 小熊は冷たいプラスティックに合皮のクッションを貼った安物の椅子に、自分が心理的にも入院生活を終え、退院したという事を知らされた。

 書類を手早く分類してディパックにしまいこんだ小熊は、特に休憩の類を取ることなく立ち上がり、入り口とは逆の方向へと歩き出した。

 ここに来た目的はもう一つある。それを果たそうと思う気持ちが萎えないうちに、足を動かそうという気になった。


 一階の来院者スペースの隅にあるエレベーターに乗り込んだ小熊は、押し慣れた階数ボタンを押して三階に上がり、歩数まで覚えている距離にある病室へと向かった。

 入り口のプレートを一瞥して中に入る。小熊が数日前まで入院していた病室は、何も変わらないように見えた。

 六床のベッドがある大部屋病室。小熊が最初に世話になり、後に同室者の桜井が寝ることとなった重傷患者用のトイレつきベッドは空いていた。

 その隣にある、片側三床の真ん中にあるベッドには、小熊が入院してから退院するまでそのベッドに入院していた後藤が、未だにそこに居た。


 後藤は浴衣姿でベッドの上に横座りしてノートパソコンを見ることに集中している様子で、小熊が入ってきた事に気づかない。入院生活中の趣味まで変わらないらしい。

 何かの動画を流しているらしきノートパソコンを見た後藤が、首を反らして大笑いしている。小熊が入院している時には見られなかった姿。彼女は楽しみに耽っている時も、もっと内に篭った、押し殺したような笑いを浮かべていた。

 たった数日会わなかったくらいで人は変わるんだろうかと思ったが、女子にはそういう事がある。


 後藤はノートパソコンのモニターを指差しながら、陽気に笑っている。

「何これ八人もやってんの! おとといのあれは六人やられたから新記録じゃん!」 

 後藤は何も変わっていないらしい。やっと小熊の存在に気づいたらしき彼女は、ゲっと声を上げて飛び上がる。

 丸めて脇に置き、肘掛け代わりにしていた掛け布団を被った後藤は、顔だけ出して言う。

「何しに来たの?」


 小熊はディパックを開け、中を探りながら言った。

「見舞い」

 小熊が手土産に持って来たのは、うまい棒のチョコレート味が三十本入った大袋。値段の割りに見栄えがするし、うまい棒は袋を開けて中身をバラせば、他の入院患者とお菓子や見舞い品を交換する通貨になり、挨拶代わりに渡す名刺にもなる。当然、自分で食ってもうまい。

 他にもレモンスカッシュ味やシナモンアップルパイ味などの甘口のうまい棒を、韮崎の駄菓子安売り店で買ってきた。スイーツ系のうまい棒は、うまい棒の欠点の一つ、多食するとやや過多な塩分が控えめになっている。


 後藤は小熊が差し出したうまい棒の大袋をひったくり、掛け布団の中に隠しながら言った。

「あ、ありが、とう」

 もしかして後藤が他人に礼を言うのは初めてかもしれない。他人の不幸を笑うのが好きだという自身の嗜好を気にしていた後藤は、有害な病原菌を体内で共生させるように自分の性格と折り合い、付き合うことを覚えたが、その過程でまともな性格に戻ってしまったのではないかと、小熊は少し心配した。

 良くない性格ではあるし、いずれ緩和させなくてはいけないんだろうけど、性急に強い薬で抑えればいいわけでも無い、それに、後藤がそんな凡百の人間になるのは、少しつまらない。

 

 小熊は後藤の横に歩み寄り、彼女がノートパソコンで見ている動画を覗き見た。映っていたのは海外のニュースサイトで、人が次々と殺害されている。

 後藤は特に恥じたり隠したりするでもなく、どちらかというと自慢げな顔でディスプレイを指差しながら言った。

「ほら見て、死に方がすごく面白い。クズみたいな奴らが体を張って私を楽しませてくれる」

 小熊は呆れつつ少し安心した。後藤は変わらない。それが彼女の普通で、もしかしたら彼女は世間一般の善良な人間が見落とし、あるいは見て見ぬふりをする物を直視する人間になるのかもしれない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る